伊予柑の謎(2) ― 2009/02/12
原因を調べようと辞書を引いたが無駄だった。インターネットで伊予柑の直販サイトなども調べたが肝腎のことは書かれていない。明治期に山口県で発見された品種だとか、温州ミカンとオレンジが自然交配したものだとか、近年は「宮内伊予柑」が主流だとか、宮内は人名であるといった程度の情報に過ぎなかった。が、気になる記述もあった。収穫期が12月中旬以降となっているのに対し消費期が1月~3月と記されていたことである。
市場関係者によると、収穫したばかりの伊予柑は酸っぱすぎて食用には適さないそうである。貯蔵しておく間にほどよく酸味が抜け濃い甘さだけが感じられるようになるとのことだった。小田原産のミカンについても似たような経験がある。友人からミカンが届けられた。12月初めの月曜日だった。「昨日、家族で収穫してきました。クリスマスが過ぎたら召し上がり下さい」そんな口上が付いていたことを思い出した。
さらに調べると、JA全農えひめのサイトで「収穫してすぐの伊予柑は酸があり酸っぱいので、先に収穫して酸をぬいた伊予柑をみなさんにプレゼントしました!」と記した収穫体験レポートを見つけた。伊予柑から有望な新品種への更新を研究している愛媛県果樹研究センター(旧愛媛県立果樹試験場)の「果試ニュース」第16号には、消費減少の原因として「むきにくい、じょうのうが硬い、旬がわかりにくい等」の指摘があった。またこれより前の1998~2002年度の研究報告「マルチ栽培による伊予柑の高品質果実生産」の中に「長期貯蔵後のす上がりの発生が少なくなる」という記述も見つけた。
これで伊予柑が「酸抜けのよい大果の」商品価値が高い商品とされる一方で、「す上がり」と呼ばれる現象が起こる理由も判明した。愛媛県農林水産部農業振興局農産園芸課のサイトには品質低下による価格の低迷を懸念して、収穫の時期や貯蔵管理の方法について細かな指示を記したページもあった。なお市場関係者は、収穫期の気温が低いと「す上がり」が起きやすいとも話していた。
市場関係者によると、収穫したばかりの伊予柑は酸っぱすぎて食用には適さないそうである。貯蔵しておく間にほどよく酸味が抜け濃い甘さだけが感じられるようになるとのことだった。小田原産のミカンについても似たような経験がある。友人からミカンが届けられた。12月初めの月曜日だった。「昨日、家族で収穫してきました。クリスマスが過ぎたら召し上がり下さい」そんな口上が付いていたことを思い出した。
さらに調べると、JA全農えひめのサイトで「収穫してすぐの伊予柑は酸があり酸っぱいので、先に収穫して酸をぬいた伊予柑をみなさんにプレゼントしました!」と記した収穫体験レポートを見つけた。伊予柑から有望な新品種への更新を研究している愛媛県果樹研究センター(旧愛媛県立果樹試験場)の「果試ニュース」第16号には、消費減少の原因として「むきにくい、じょうのうが硬い、旬がわかりにくい等」の指摘があった。またこれより前の1998~2002年度の研究報告「マルチ栽培による伊予柑の高品質果実生産」の中に「長期貯蔵後のす上がりの発生が少なくなる」という記述も見つけた。
これで伊予柑が「酸抜けのよい大果の」商品価値が高い商品とされる一方で、「す上がり」と呼ばれる現象が起こる理由も判明した。愛媛県農林水産部農業振興局農産園芸課のサイトには品質低下による価格の低迷を懸念して、収穫の時期や貯蔵管理の方法について細かな指示を記したページもあった。なお市場関係者は、収穫期の気温が低いと「す上がり」が起きやすいとも話していた。
天然物と養殖物(1) ― 2009/02/18
人類は、四足歩行から二足直立歩行に進化しても、食糧については狩猟と採集に頼る生活を続けていた。我々の祖先が農耕や牧畜による食糧生産の技を身につけ、こうした100パーセント自然まかせの生活から脱したのは1万2千年ほど前のことである。日本列島に限って言えば本格的な食糧生産の歴史はさらに短いものとなるだろう。いずれにせよ地球上に人為の及ばない天為のままの生物と人為の加わった生物とが併存するようになったのはこのときからである。
植物には野生種に加えて栽培種が登場した。セリ科の多年草であるミツバを例に挙げれば、山野に自生する丈の低い昔ながらのミツバに加えて、人間が住居の周りに移植したり種を蒔いて育てる姿のよい大きめのミツバが現れた。動物では野生種の家畜化が試みられて犬や農耕馬の普及が進み、イノシシを改良した成長の早い食肉専用の豚が誕生した。
人類の歴史にとって1万2千年は一瞬にも等しいほどの短いものである。が、人間の暮らしぶりや味覚を変化させるには十分すぎるほどの長い時間であった。栽培や飼育という新しい技を身につけた人類は、生産量の増大や栽培・飼育期間の短縮を目指して挑戦を続け、さらに味や食感などの改良にも意を注いだ。その結果、陸生の植物で野生種だけを常食にする民族は稀となり、食用には栽培された野菜や果物などが専ら供されることになった。
植物には野生種に加えて栽培種が登場した。セリ科の多年草であるミツバを例に挙げれば、山野に自生する丈の低い昔ながらのミツバに加えて、人間が住居の周りに移植したり種を蒔いて育てる姿のよい大きめのミツバが現れた。動物では野生種の家畜化が試みられて犬や農耕馬の普及が進み、イノシシを改良した成長の早い食肉専用の豚が誕生した。
人類の歴史にとって1万2千年は一瞬にも等しいほどの短いものである。が、人間の暮らしぶりや味覚を変化させるには十分すぎるほどの長い時間であった。栽培や飼育という新しい技を身につけた人類は、生産量の増大や栽培・飼育期間の短縮を目指して挑戦を続け、さらに味や食感などの改良にも意を注いだ。その結果、陸生の植物で野生種だけを常食にする民族は稀となり、食用には栽培された野菜や果物などが専ら供されることになった。
天然物と養殖物(2) ― 2009/02/19
野菜や果物が商品として販売されるとき、それらの価格を決するのは需給関係と商品そのものがもつ魅力である。魅力とは味であり、姿の良さであり、そして重さや大きさである。味には近縁の品種や在来種などとの対比も含まれ、時に微妙な食感や個人差なども影響する。栽培にあたっては、供給時期への配慮とともに、これらの魅力をいかに増大させるかに意を尽くさなければならない。
しかし食する側に何世代も何十世代も前の先祖が食したであろう野生種の味や食感が伝わっているはずはなく、それらとの対比が話題にされたり、それらに対する郷愁が口の端に上るおそれはない。陸生の野菜や果物について見る限り、元の野生種は忘れ去られたも同然の全く無縁な存在となっている。それらの味や食感を意識して栽培する必要など微塵もないのである。
動物の場合も食用にされるのは家畜として飼育された陸生動物が一般的である。味の対比は他の食用動物との間かまたは同一品種や近縁品種との間で行われ、飼育地や飼育方法などに関心が集まる。動物の場合は飼料の影響が特に大きく、ついで飼育地の広さなど運動環境が問題になる。広さが問題となるのは、動き回ることで筋肉の発達を促して肉質を良くし歯触りや歯応えといった食感の因になるからだろう。何にせよたまたまイノシシの肉を食べた人がその味や食感を表すために豚肉をもちだすことはあっても、豚肉の味を評するために原種であるイノシシの肉をもちだすことはまずない。いまや猪肉に郷愁を懐く人は稀だろう。
しかし食する側に何世代も何十世代も前の先祖が食したであろう野生種の味や食感が伝わっているはずはなく、それらとの対比が話題にされたり、それらに対する郷愁が口の端に上るおそれはない。陸生の野菜や果物について見る限り、元の野生種は忘れ去られたも同然の全く無縁な存在となっている。それらの味や食感を意識して栽培する必要など微塵もないのである。
動物の場合も食用にされるのは家畜として飼育された陸生動物が一般的である。味の対比は他の食用動物との間かまたは同一品種や近縁品種との間で行われ、飼育地や飼育方法などに関心が集まる。動物の場合は飼料の影響が特に大きく、ついで飼育地の広さなど運動環境が問題になる。広さが問題となるのは、動き回ることで筋肉の発達を促して肉質を良くし歯触りや歯応えといった食感の因になるからだろう。何にせよたまたまイノシシの肉を食べた人がその味や食感を表すために豚肉をもちだすことはあっても、豚肉の味を評するために原種であるイノシシの肉をもちだすことはまずない。いまや猪肉に郷愁を懐く人は稀だろう。
言葉の視覚化 ― 2009/02/20
音声は発せられると空気を振動させながら伝わってゆく。そして誰かの鼓膜に届き、言葉として受け止められれば意思疎通の用をなすが、届く範囲に誰もいなければ瞬く間に消え去ってしまう。発せられて鼓膜に届き、意味するものが理解されて初めて、音声は意思疎通の手段として働くことになる。
しかし人間の声が生み出す空気の振動は大きくない。音声に託された表現手段としての役割は瞬間的であり、伝わる範囲は身の周辺に限られている。書き言葉は、こうした瞬間的な表現手段である音声を目に見える形の何か別なものに置き換えることによって、表現手段としての寿命を引き延ばそうとした工夫だと言えるだろう。
音声を目に見える別の何かに置き換える努力は、ひとつひとつの言葉ごとに置き換える方法と、ひとつひとつの音声ごとに置き換える方法の2つの努力によって進められた。その結果、前者は新しく生み出した記号に元の言葉がもつ意味とその音声の両方を示す役割を持たせることになった。一方、後者では音声ひとつひとつに対応する単純な音声代替記号を創りあげた。
音声が目に見える形となり、しかもそれがすぐには消えないものとなったことで、言葉には従来の表現手段という役割に加えて、記録性という全く新しい可能性が生まれることになった。これが言葉の視覚化である。人類はこの視覚化を契機に、やがて地球環境をも危うくするほど急速かつ加速度的に、みずからの文明を発展させることができたのである。
しかし人間の声が生み出す空気の振動は大きくない。音声に託された表現手段としての役割は瞬間的であり、伝わる範囲は身の周辺に限られている。書き言葉は、こうした瞬間的な表現手段である音声を目に見える形の何か別なものに置き換えることによって、表現手段としての寿命を引き延ばそうとした工夫だと言えるだろう。
音声を目に見える別の何かに置き換える努力は、ひとつひとつの言葉ごとに置き換える方法と、ひとつひとつの音声ごとに置き換える方法の2つの努力によって進められた。その結果、前者は新しく生み出した記号に元の言葉がもつ意味とその音声の両方を示す役割を持たせることになった。一方、後者では音声ひとつひとつに対応する単純な音声代替記号を創りあげた。
音声が目に見える形となり、しかもそれがすぐには消えないものとなったことで、言葉には従来の表現手段という役割に加えて、記録性という全く新しい可能性が生まれることになった。これが言葉の視覚化である。人類はこの視覚化を契機に、やがて地球環境をも危うくするほど急速かつ加速度的に、みずからの文明を発展させることができたのである。
天然物と養殖物(3) ― 2009/02/21
魚類は動物の一種だが、いま魚類と人類との関係が大きく変わろうとしている。いくら陸生動物の家畜化が進行しても、肺呼吸しかできない人類にとって水生動物の家畜化や飼育は難事業と見なされてきた。それが少しずつ変わり始めている。これまで海洋や湖水や河川において天然自然に生育していた魚類や海老などを人工的な装置・環境の下で人為的に育てようとする試みが始まり、普及を見せている。個人事業の要素が強い小漁船による漁労中心の漁業から、より大きな資本を必要とする栽培型漁業や養殖型漁業への転換が本格化している。
天然の魚介類や海藻を口にする機会は徐々に減り、遠からず養殖物が水産物の主流を占める時代に入るだろう。そうなれば野菜や果物や食肉がたどったと同様の道を水産物もたどることになる。野生種や原種としての天然物の味を知る人も、それらの味に郷愁を覚える人も稀になる。そうした味との比較ができる人も、比較しようと考える人もいなくなってしまう。
地球環境が悪化する中で、天然の水産物が高価格で取引きされる理由は何よりもその希少性にある。背景には希少性を高価値と見なす伝統的な価値意識が働いている。しかし魚介類も海藻も人間が口にする食べ物である。身につけるための貴金属や鉱物資源ではない。貴金属並みに天然だから高価値、人造や養殖だから低価値と見なす紋切り型の評価法はいずれ改めざるを得なくなる。人間の味覚には個人差があるし、味や食の好みが時代や世代によっても変わることを忘れてはならない。
天然の魚介類や海藻を口にする機会は徐々に減り、遠からず養殖物が水産物の主流を占める時代に入るだろう。そうなれば野菜や果物や食肉がたどったと同様の道を水産物もたどることになる。野生種や原種としての天然物の味を知る人も、それらの味に郷愁を覚える人も稀になる。そうした味との比較ができる人も、比較しようと考える人もいなくなってしまう。
地球環境が悪化する中で、天然の水産物が高価格で取引きされる理由は何よりもその希少性にある。背景には希少性を高価値と見なす伝統的な価値意識が働いている。しかし魚介類も海藻も人間が口にする食べ物である。身につけるための貴金属や鉱物資源ではない。貴金属並みに天然だから高価値、人造や養殖だから低価値と見なす紋切り型の評価法はいずれ改めざるを得なくなる。人間の味覚には個人差があるし、味や食の好みが時代や世代によっても変わることを忘れてはならない。
日本語の視覚化(1) ― 2009/02/23
ヒトはサルから進化した動物である。群れをつくり仲間と支え合うことで種の保存を図ってきた。動物にとって食べるは生きると同義である。食べることを確実にするためには群れの仲間との意思疎通が欠かせない。仲間が発した言葉を一言半句も疎かにすることなく聴き取り、それに応え、そして記憶することで意思の疎通を図ってきた。
日本列島における言葉の視覚化はまだ千数百年程度の歴史しかもっていない。アイヌの人々がそうであったように、列島の南西側に暮らす人々にとっても言葉とは記憶に止めなければ消え去るものであった。記憶は一代限りであり、記憶を子孫に遺すには口承に頼るしかなかった。
そんな先人たちの暮らしぶりにも徐々に変化が現れた。大陸との交流・交易が始まり、ついに、消えない言葉を目にするときがやって来た。今から二千年ほど前と思われるその日、中国大陸で生まれ広く行われるようになった漢字が貨幣や金印に記されて初めて日本列島にもたらされたのである。しかしすぐに漢字の存在が注目されたり、その必要性が認識されたわけではない。そうなるためには交流の深化による政治や文化の発展とそのための百年単位の長い時間が必要であった。
列島において言葉の視覚化に熱心だったのは、大陸との交流で渡来し定住することになった人々やその子孫たちであろう。その開始は金石文の出土状況から見て4世紀か5世紀頃と推測される。渡来人とその子孫たちが進めた日本語の視覚化とは、祖国の記号である漢字を使って列島の言葉を記録しようと試みることであった。この作業にもさらに百年単位の長い時間を要することになった。
日本列島における言葉の視覚化はまだ千数百年程度の歴史しかもっていない。アイヌの人々がそうであったように、列島の南西側に暮らす人々にとっても言葉とは記憶に止めなければ消え去るものであった。記憶は一代限りであり、記憶を子孫に遺すには口承に頼るしかなかった。
そんな先人たちの暮らしぶりにも徐々に変化が現れた。大陸との交流・交易が始まり、ついに、消えない言葉を目にするときがやって来た。今から二千年ほど前と思われるその日、中国大陸で生まれ広く行われるようになった漢字が貨幣や金印に記されて初めて日本列島にもたらされたのである。しかしすぐに漢字の存在が注目されたり、その必要性が認識されたわけではない。そうなるためには交流の深化による政治や文化の発展とそのための百年単位の長い時間が必要であった。
列島において言葉の視覚化に熱心だったのは、大陸との交流で渡来し定住することになった人々やその子孫たちであろう。その開始は金石文の出土状況から見て4世紀か5世紀頃と推測される。渡来人とその子孫たちが進めた日本語の視覚化とは、祖国の記号である漢字を使って列島の言葉を記録しようと試みることであった。この作業にもさらに百年単位の長い時間を要することになった。
日本語の視覚化(2) ― 2009/02/24
日本語の視覚化には漢字がもつ2つの機能が利用された。ひとつはその漢字に対して中国の人々が発する音声をそのまま借りる方法である。中国音には列島では耳にしない多様な音が混じるため一部は省かれたり、類似する日本語音に置き換えられることもあった。こうして「やま」は例えば「「也末」と、「ひと」は例えば「比登」と視覚化することが可能になった。
もうひとつの方法は、個々の漢字が表す事物や事象などを列島の人々が呼ぶときの音声を借りるものだった。1音節に漢字1字を充てる単純な借用が増える中で、この方法は「夏」から「なつ」を借り、「樫」から「かし」を借りて「なつかし」を「夏樫」と表すような場合に利用された。
言葉を目に見える形に置き換えることが可能になると、行政面での布達や報告への導入が進み、漢字は役人必須の知識になっていった。また皇族や貴族を中心にこの方法を習得する者が拡がり、伝承する歌謡や日々の感慨を漢字によって視覚化することが行われるようになった。さらに朝廷では、それまで誦習によって伝えられていた帝紀や旧辞を漢字を用いて遺そうとする試みが始まった。
もうひとつの方法は、個々の漢字が表す事物や事象などを列島の人々が呼ぶときの音声を借りるものだった。1音節に漢字1字を充てる単純な借用が増える中で、この方法は「夏」から「なつ」を借り、「樫」から「かし」を借りて「なつかし」を「夏樫」と表すような場合に利用された。
言葉を目に見える形に置き換えることが可能になると、行政面での布達や報告への導入が進み、漢字は役人必須の知識になっていった。また皇族や貴族を中心にこの方法を習得する者が拡がり、伝承する歌謡や日々の感慨を漢字によって視覚化することが行われるようになった。さらに朝廷では、それまで誦習によって伝えられていた帝紀や旧辞を漢字を用いて遺そうとする試みが始まった。
語義の視覚化 ― 2009/02/25
漢字による言葉の視覚化が普及すると、先人たちの中に漢字特有の画数の多さを煩わしく思ったり、画数の多さが筆記効率を妨げていると感じる者が現れた。これらの人々は、漢字による筆記効率を追求するうちに漢字をくずして記す草体などを多用したり、一部の点画だけを記す省略法の常用を思いついた。そして、ついには音声代替記号に特化した平仮名や片仮名を創りあげ、定着させることに成功した。また地勢や文化の差を埋めるための新しい漢字づくりに挑戦する者も現れ、国字と呼ばれる和製漢字を案出した。
数世紀に及ぶ長い時間を費やして視覚化を達成した日本語は、1音を1字で代替する単純な音声代替機能から個々の言葉の内容をも示す象徴的な機能まで、元の音声表現とは大きく異なる多様な機能を備えた記号体系として今日に至っている。その結果、目の働きを表す言葉「みる」は「ミル」と書き記すこともできるし、漢字がもつ字義を活かして「見る」や「視る」や「観る」と書き分けることも可能になった。さらに目の働きの延長線上にある行為についても「みる」と呼んで、必要なら「看る」や「診る」と書き分けた。
語義を含めた視覚化は日本語の大きな特徴であり、記号体系の複雑さは豊かな表現性を保証する原動力でもある。が、それ故に一方では幕末以来の執拗な漢字廃止論や後のローマ字化論の攻撃の的にもされてきた。字体の問題や音訓の問題など漢字をめぐる行政の関与には気になるものが少なくない。特に歴史的仮名遣いを廃し現代仮名遣いを標準とした戦後の仮名遣い政策の影響は懸念される。過去から現在に至る文化の象徴としての言語の連続性が所々この政策によって遮断されている。民族の歴史という長い時間の中で眺めれば、日本語の視覚化はまだまだ試行の時代にあるのかも知れない。
数世紀に及ぶ長い時間を費やして視覚化を達成した日本語は、1音を1字で代替する単純な音声代替機能から個々の言葉の内容をも示す象徴的な機能まで、元の音声表現とは大きく異なる多様な機能を備えた記号体系として今日に至っている。その結果、目の働きを表す言葉「みる」は「ミル」と書き記すこともできるし、漢字がもつ字義を活かして「見る」や「視る」や「観る」と書き分けることも可能になった。さらに目の働きの延長線上にある行為についても「みる」と呼んで、必要なら「看る」や「診る」と書き分けた。
語義を含めた視覚化は日本語の大きな特徴であり、記号体系の複雑さは豊かな表現性を保証する原動力でもある。が、それ故に一方では幕末以来の執拗な漢字廃止論や後のローマ字化論の攻撃の的にもされてきた。字体の問題や音訓の問題など漢字をめぐる行政の関与には気になるものが少なくない。特に歴史的仮名遣いを廃し現代仮名遣いを標準とした戦後の仮名遣い政策の影響は懸念される。過去から現在に至る文化の象徴としての言語の連続性が所々この政策によって遮断されている。民族の歴史という長い時間の中で眺めれば、日本語の視覚化はまだまだ試行の時代にあるのかも知れない。
天然物と養殖物(4) ― 2009/02/26
野菜や果物の味の甲乙を野生種や原種のそれと比較して論じる人がいないことはすでに述べた。野菜も果物も人為的な植物の代表格である。人間の知恵と努力が改良した、太古の昔には存在しなかった食用植物である。水生故に天然以外は一律に養殖物と見下し、陸生の野菜や果物なら有機栽培と持ち上げるのは明らかに公平さを欠く議論だ。
養殖物を天然物と比較して味が劣るとか価値が低いと見なす時代はそろそろ終わりにしたい。玄界灘で釣り上げた真鯛の食感が養殖池で育った真鯛の比でないことは否定しない。が、いつまで地球環境の現状がそうしたこだわりを許しておくか予測することは困難だ。こだわっているだけでは野菜や果物の歴史が教える先人の知恵を活かすことはできない。
これからは養殖物同士で味や食感を競い合う時代に変えてゆかねばならない。養殖池の鯛であっても身が引き締まって味も良ければ、それなりの評価が与えられるべきである。食の安全を最優先に、人工栄養や薬品の使用は避けて無農薬・有機栽培的な飼育法を工夫し、さらに味や食感の追求も進むような食の新しい文化と風土とを築く必要がある。それが21世紀初頭に生きる者の使命だろう。
養殖物を天然物と比較して味が劣るとか価値が低いと見なす時代はそろそろ終わりにしたい。玄界灘で釣り上げた真鯛の食感が養殖池で育った真鯛の比でないことは否定しない。が、いつまで地球環境の現状がそうしたこだわりを許しておくか予測することは困難だ。こだわっているだけでは野菜や果物の歴史が教える先人の知恵を活かすことはできない。
これからは養殖物同士で味や食感を競い合う時代に変えてゆかねばならない。養殖池の鯛であっても身が引き締まって味も良ければ、それなりの評価が与えられるべきである。食の安全を最優先に、人工栄養や薬品の使用は避けて無農薬・有機栽培的な飼育法を工夫し、さらに味や食感の追求も進むような食の新しい文化と風土とを築く必要がある。それが21世紀初頭に生きる者の使命だろう。
天然物と養殖物(5) ― 2009/02/27
海藻の養殖方法は有機栽培的である。魚類の養殖では養殖池に飼料をまき、これを大量に摂取させることで成長を促す。だから飼料の中身が問題となる。一方、野菜の成長には葉を通して行う光合成と、根から吸収される養分が欠かせない。養分の供給には肥料を使うが、化学肥料は敬遠され有機栽培が推奨されている。海藻の成長にも光合成と養分が必要である。しかし海藻の養殖には飼料も肥料も使わない。養殖の工夫と知恵は別のところに向けられている。
詳しい説明は避けるが、例えば函館空港の東側にある小安地区の漁協ではコンブ種苗供給センターで真昆布の芽胞体を人工受精させ、沖合の筏に張ったロープに着生させて育てている。海藻は養分補給を葉の部分(葉体)で行うため根が岩礁に着くかロープに着くかは問題ではない。光合成のための水深は養殖の場合、自由に調節ができる。重要なのは十分な有機栄養分が流れ込んでくる場所にあること、海流や潮の流れがその昆布に適していることの2つである。
詳しい説明は避けるが、例えば函館空港の東側にある小安地区の漁協ではコンブ種苗供給センターで真昆布の芽胞体を人工受精させ、沖合の筏に張ったロープに着生させて育てている。海藻は養分補給を葉の部分(葉体)で行うため根が岩礁に着くかロープに着くかは問題ではない。光合成のための水深は養殖の場合、自由に調節ができる。重要なのは十分な有機栄養分が流れ込んでくる場所にあること、海流や潮の流れがその昆布に適していることの2つである。
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