予報と予想(3)2009/03/03

 一方、気象庁には気象庁なりの矜持が見て取れる。何でも予報と称するわけではなく、桜の場合は「開花予想」にしている。同庁は「生物季節観測種目のひとつとして、おもにソメイヨシノを対象に各地の気象台や測候所でさくらの開花・満開を観測して」いて、「予想開花日を発表」するための「花芽の生長量」は観測された気温などから計算によって推定が可能だという。
 ところで東京大阪2つの「朝日新聞」に夏目漱石の小説「それから」の連載が始まったのは1909年(明治42)6月27日のことである。東京気象台による天気予報の発表開始から満25年が過ぎていた。執筆がちょうど梅雨の時期と重なったせいか、漱石は作品の中で「梅雨」を5回、「雨季」を2回、「予報」を1回使っている。注目したいのは「予報」が「雨季」と対で使われている点である。「早く雨季に入れば好いと云ふ心持があつた。其雨季はもう二三日の眼前に逼つてゐた。彼の頭はそれを予報するかの様に、どんよりと重かつた。」
 文中「それを予報」の「それ」とは雨季の到来に他ならない。漱石は「予報」を明らかに天気予報と同じ意に使用している。当時すでに多くの人々が「予報」と聞けば天気予報を浮かべるまでにこの語が広く知れわたっていたことの証だろう。