とてつもない(4)2009/03/17

 いま「とてつもない」は、「普通ではない」とか「特別だ」とかいう以上に程度が甚だしいときに使われる。比較的近いのは「並はずれた」や「想像を絶するほど」あるいは「至極」などであろう。表現自体に否定的な意味合いはあまり感じられず、多くの人が肯定的な表現として使用している。言葉の使われ方としても「とてつもなく大きいミカン」や「とてつもなく速く走る」など、後に続く言葉の程度を示す副詞的な用法が一般的である。形容詞や副詞が表現している状態をさらに誇張するために「とてつもなく」を挿入するのである。
 この言葉は時に名詞の修飾にも使われる。但し名詞といっても人参・茶碗・机・海などその呼び名を示すだけが働きの名詞ではなく、快適・速度・能力・底力など状態や程度の表現が可能な名詞に対する修飾である。その意味で「とてつもない日本」という表現(書名)はこの言葉の用法を逸脱しているし、同書の「はじめに」に記された祖父の言葉「日本人のエネルギーはとてつもないものだ」は許容できても「日本はとてつもない国なのだ」には首をかしげざるを得ない。
 これでは某国元大統領が多用した「ならず者国家」呼ばわりと同様、国家にもさまざまな程度があり状態があるという不穏当な発言・主張に変じてしまう。祖父は確かに程度や状態も表す名詞「ばかやろう」を突然発して衆議院を解散させた人物である。だが国語力に疑問があったという話は耳にしたことがない。ここはやはり「とてつもない」と「国」との間に程度や状態を示すための言葉をきちんと補って、祖父の発言が正確に伝わるよう配慮すべきであった。著者の意向もあるだろうが、編集者にはせめて故人の名誉を傷つけないだけの仕事をして欲しいものである。