蟻の穴(1)2009/03/11

 中国に「韓非子」と呼ばれる古い書物があり、戦国時代末期の思想家・韓非とその弟子たちの著作を読むことができる。韓非は法と賞罰による支配が政治の根本であると説いた法家として知られ、その思想は秦に始まる中国の官僚国家創建の理論的支柱と目された人である。その中に「千丈の堤も蟻穴より崩る」という条がある。俗に「蟻の穴から堤も崩れる」と人口に膾炙されるほど著名な格言だが、これを現在の日本にあてはめるとどうなるだろうか。
 いやいや千丈の堤を小沢王国、蟻穴を検察の努力などという小さな話ではない。確かに家宅捜索を報じるテレビの映像は蟻の行列を連想させるに十分かも知れない。が、それでは何より法と正義を信じて奮闘する検察関係者に対して失礼であろう。そうではなくて、千丈の堤とは「世界第二の経済大国」と総理大臣が豪語する我が日本国のことである。問題は蟻穴が何であるか、いまひとつ明確でないことだ。それにいつできたかも問題であろう。

カルテルと談合2009/03/11

 カルテル(ドイツ語・Kartell)は経済界や公務員の間では独占禁止法が定める「不当な取引制限」にあたる行為として知られているが、若い人たちの間ではデザイン性と機能性に優れるプラスチック家具メーカー(イタリア・1949年創業)の名前として記憶されているかも知れない。修学旅行に関係する事件として公正取引委員会が問題にしているのは、もちろん前者の行為である。独占禁止法は1947年4月、日本がまだ占領軍の支配下にあった頃に誕生した法律で、当初の狙いは戦前・戦中を通じて軍部や古い体質の日本社会に強い影響力をもつとされた旧財閥の解体・復活阻止にあった。しかし「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」という名称からも想像されるように、特定の企業が他の企業を事実上排除して市場を独占的に支配すること(私的独占)を禁じるだけでなく、利益を確保するために企業同士が結託してわざと競争を避けたり、そのために価格や生産量や販路などの協定を結んだりすること(不当な取引制限)も「してはならない」と定めている。
 この「不当な取引制限」の中身を知って、新聞などで時々目にする「談合」という文字の中身と似ていると感じる人も多いだろう。「談合」は鎌倉時代に成立した「保元物語」にも室町時代に成立した狂言にも登場する古い言葉ではあるが、いま我々が目にするような反社会性を帯びた意味合いは全く含んでいない。単に「話し合うこと、あるいは相談(する)」といった程度の内容である。この言葉に反社会的な意味合いが付与されたのは、明治時代に制定された刑法の影響と推測される。「公務の執行を妨害する罪」として定義された中に「公正な価格を害し又は不正な利益を得る目的で、談合した者も」という条があり、役所が行う競売や入札の前に業者などが「仲良くやろう」「うまくやろう」と話し合いをもてば懲役や罰金の対象にすると定めたからだ。しかし教養はあっても事業だの利潤だのといった生臭い話には縁のない人々もいる。そんな人たちにとって「談合」は今も昔と変わらぬ「ごく普通の」言葉である。「話し合い」と同義の語として、これを語釈などに多用している「広辞苑」がその典型だろう。

蟻の穴(2)2009/03/12

 巷間、衆議院の党派別議席数が民意と大幅にずれていることを蟻穴と見る向きも増えている。だが本来、蟻穴は目に見えないほど微細なものである。国会の問題は大きすぎる。むしろ蟻穴がいくつも崩れたり拡がったり合併して大穴になり、ようやく目に見えるほどになったと考えたい。そこに大量の不況水が押し寄せた。しかも時期が悪い。かの総理大臣が「百年に一度」と認める大暴風雨期と重なってしまった。米国のハリケーンと中国の超強台風がいっぺんに襲いかかってきた。
 異国のことは知らないが、日本国における蟻穴はこの一・二年の間にできあがったものである。団塊の世代と呼ばれる人々が予定どおり一斉に引退し、企業にも役所にも例外なくあちこちに小さな隙間が数え切れないほどできてしまった。ひとつひとつはきっと誰も気づかないほど小さなものだろう。しかしそれが埋まっていないから社会全体では無視できないほどの歪みとなって、例えば国会の問題を引き起こしている。失業率の問題にしても団塊世代に対する合法的首切り分を加えれば、その数字は絶望的なものに変わるだろう。歪みの集積によって日本社会は明らかに均衡を失っている。濁流に呑み込まれる危機を救うのは官僚か、マスコミか、それとも国民に選ばれた政治家か、楽しみでもあり末恐ろしくもなる。

月を指せば指を認む2009/03/13

 禅法に「月を指せば指を認む」という喩えがある。文字面をそのまま解釈すれば「月を指さして教えているのに、(あなたは)月を見ないで(私の)指を見ようとする」という意味だろう。辞書には「道理を説いて聞かせてもその本旨を理解できず、その文字や言語に拘泥して詮索することをいう」と記されている。(広辞苑)
 日本語という言葉の理解にも似たような風潮がある。例えば額田部氏(豪族)の理解に「大言海」を引いて「額」という文字の字義を探ったり、柞磨(地名)が意味するものを求めて「柞」や「磨」の字義を調べたりすることが罷り通っている。こうした手法で編み出された語源辞典の類も少なくない。
 明治の初めに急造された苗字や明治以来の町村合併で生まれた新地名ならともかく、古来の地名や名称の調査を行おうとしてそれらの漢字義を考慮するのはまさに月を見ずして指を見るに等しい短慮である。縄文弥生の時代から日本列島に居住し、列島の自然や風土と闘って独自の文化を生み出した名もない無数の先人たちの思いを忘れてはならない。

とてつもない(1)2009/03/14

 特定の名詞に「もない」を付けた慣用的な表現を目にすることがある。「あられもない」「かくれもない」「ぞうさもない」「とてつもない」「にべもない」「まぎれもない」「らちもない」などその例は少なくない。明治中期の言文一致運動による口語体小説の確立によって顕著になった表現とも言えるが、その萌芽は江戸時代につくられた読み物類にも見ることができる。戦乱が途絶え世の中が落ち着きを見せたことで人々の会話にも従来より多彩な表現が必要になり、まずは特定の名詞が示すような事柄だけを強く否定する表現が使われ出したのであろう。
 だが、いまとなっては元の名詞が何であったかすぐには想像のできないものも多い。上記の例で言うなら「かくれ」や「まぎれ」の想像はついても、「とてつ」の原義はまず浮ばないだろう。「にべ」が海の魚と聞かされても、それが「愛想がない」や「そっけない」の意に転じるまでの過程はなかなか想像できないだろう。「にべ」は日本の文化や技術と深く関わった魚であり、「にべもない」は接着技術の発展を背景に生まれた独特の言い回しでもあるのだ。

とてつもない(2)2009/03/15

 文献に記録された「とてつ」の歴史は室町時代初めまで遡ることができる。この時代に出版された漢字片仮名混じりの法語「夢中問答集」や、同じ頃に成立したやはり和漢混交文の軍記物語「太平記」の中に「途轍」と書き記されて登場したのが最初だろう。漢字「途」は道や方法の意、「轍」は車が通った後にできる輪の跡つまり「わだち」のことである。
 上掲の法語は甲斐の恵林寺や京の天竜寺・臨川寺などの創建に関わったことで知られる禅僧・夢窓疎石が足利尊氏の弟・直義の質問に答えた際の記録である。一方、「太平記」は後醍醐天皇から南北朝動乱に至る変革期の歴史過程を南朝側の立場から描いた作品として知られるものだが、両者とも「途轍」を「筋道」あるいは「道理」を表す言葉として使っている。時代は同じ室町期であっても「さもし」に見るような庶民的意味合いは感じられず、むしろ武家社会の性格の一端でもある「几帳面さ」に通じる意味合いの言葉であったことに注目したい。

とてつもない(3)2009/03/16

 この言葉が現代語に近い「途轍もなし」に変わるのは江戸時代に入ってからである。この時代の使用例は庶民文化の興隆を背景に広範な読者層をもつに至った浮世草子や浄瑠璃の中であり、庶民の言葉として描かれている。その意味合いも使用される場面も、従来とは全く異なる言葉に変じたのである。
 単に「道理がない」を意味するだけの「途轍なし」は武家社会には必要な表現であっても、庶民の生活や暮らしには縁の薄い言葉である。これに強意の助詞「も」を加えて「道理さえない」とする表現をつくり、それが「道理に合わない」とする解釈に転じるだけなら武家の社会であってもあるいは起こりえたかも知れない。しかし、それが「とんでもない」や「とほうもない」へと大きく転じるためには、言葉の担い手としての社会が武家中心から庶民をも巻き込んだ広範なものへと転換していなければならない。

とてつもない(4)2009/03/17

 いま「とてつもない」は、「普通ではない」とか「特別だ」とかいう以上に程度が甚だしいときに使われる。比較的近いのは「並はずれた」や「想像を絶するほど」あるいは「至極」などであろう。表現自体に否定的な意味合いはあまり感じられず、多くの人が肯定的な表現として使用している。言葉の使われ方としても「とてつもなく大きいミカン」や「とてつもなく速く走る」など、後に続く言葉の程度を示す副詞的な用法が一般的である。形容詞や副詞が表現している状態をさらに誇張するために「とてつもなく」を挿入するのである。
 この言葉は時に名詞の修飾にも使われる。但し名詞といっても人参・茶碗・机・海などその呼び名を示すだけが働きの名詞ではなく、快適・速度・能力・底力など状態や程度の表現が可能な名詞に対する修飾である。その意味で「とてつもない日本」という表現(書名)はこの言葉の用法を逸脱しているし、同書の「はじめに」に記された祖父の言葉「日本人のエネルギーはとてつもないものだ」は許容できても「日本はとてつもない国なのだ」には首をかしげざるを得ない。
 これでは某国元大統領が多用した「ならず者国家」呼ばわりと同様、国家にもさまざまな程度があり状態があるという不穏当な発言・主張に変じてしまう。祖父は確かに程度や状態も表す名詞「ばかやろう」を突然発して衆議院を解散させた人物である。だが国語力に疑問があったという話は耳にしたことがない。ここはやはり「とてつもない」と「国」との間に程度や状態を示すための言葉をきちんと補って、祖父の発言が正確に伝わるよう配慮すべきであった。著者の意向もあるだろうが、編集者にはせめて故人の名誉を傷つけないだけの仕事をして欲しいものである。

黄砂と黄沙(1)2009/03/18

 また黄砂の季節がやって来た。気象庁の観測によると日本列島への飛来降下は毎年3月~5月の3ヵ月間に集中している。全くもって有難くない現象だが、この語は春の季語にもなっていて「黄砂降る錨ころがり大いに銹び」(横山白虹)などの句が詠まれている。但し季語としては霾(つちふる)や霾風(ばいふう)の方が格上ではないだろうか。
 さて注意深い読者はお気づきだろうが最近の辞書にはたいてい、見出しの下にもうひとつ「黄沙」という漢字表記が並んでいる。最近と断ったのは、例えば初期の「広辞苑」には黄砂だけが掲載されていたからである。因みに「広辞苑」より2年ほど早い昭和20年代に出版された三省堂「新百科辞典」にはまだこの見出しはない。しかし昭和34年(1959)の平凡社版「俳句歳時記」には「黄沙」が掲載されている。

黄砂と黄沙(2)2009/03/19

 昔から黄砂に悩まされてきた漢字の本家・中国では専ら「黄沙」を使っている。飛来する砂塵の送出地帯に対しても「砂漠」とは言わず「沙漠」と称している。関連する法律の名称も「防沙治沙法」(2002年1月施行)である。日本にも「沙漠」を公式とする団体・日本沙漠学会があり、学術誌「沙漠研究」を発行している。だが論文などを見ると、研究者の多くは用語として「黄砂」を使っている。
 春先の空を黄褐色に変えるこの現象に対し日本の辞書が「黄砂・黄沙」と2つの表記を並べる理由は、一方の砂粒が大きいとか小さいとかいう大きさに起因したものではない。上空の風に乗って日本まで運ばれてくるのは、粒径が千分の4ミリメートルかそこらの微細な物質である。水気を含むから「沙」だろうとか、水気を感じないから「砂」だろうと言っても確認のしようがない。