苦労を活かす2009/04/26

 苦労は人生に付き物だ。善くも悪くも戦後の日本をここまで復興させたのは戦死や空襲の恐怖を生き延びた人たちであり、その子どもたちだ。廃墟の中から立ち上がり、これ以上は悪くならない・悪くしないぞという一念で、食べるものも衛生面でも劣悪な環境に耐えながら夢中で働いてきた。そしていま多くの人が現役を退き、叶うことなら平穏な人生を終えたいと願っている。
 一方、現役で頑張っているのはその後輩たちだ。団塊の世代がおおむね退き、目の上の瘤(こぶ)が取れたと喜ぶ間もなく未曾有の不況に襲われてしまった。そして海の向こうの不始末を何の責任もない我々に押しつけた、退職金を持ち逃げされたと恨んでいる。しかもその子どもには、これから就職先を探す大学生や高校生が多い。この先の日本経済はどうなるのか、親子揃ってなぜこうも運が悪いのかと嘆いている。
 確かにアメリカが悪い、ブッシュが悪い、先輩が悪い、年寄りが悪いと他人の所為(せい)にするのは容易い。運が悪いと嘆くのも簡単だ。だが、それだけのことなら誰にでもできる。海の向こうの景気がよくなれば日本の景気もまた上向くさと構えるだけでは民族としての成長も期待できない。太平洋戦争の開戦も仕組まれた戦争だと他国の所為にする論調が時に見られるが、そんなことで済ませていては国家としての成長も望めなくなる。仕組まれても挑発されても垂れ流されても動じない、列島の民に相応しい新しい態勢を編み出す力強さ・逞しさが欲しい。
 いかに経済がグローバル化しようとも他国の不始末を自国の経済になるべく及ぼさない環境、被害を最小限に止める環境こそ、いま我々が一番に考えなければならないことだろう。どうしたらそれが創り出せるのか、そうした事態に備えるにはどんな力を養う必要があるのか、いま考えなかったら天与の機会はまたまた失われてしまう。単に財政出動だ赤字国債の発行だ、やれ先制攻撃だと札ビラや武力だけに頼る発想では20世紀の苦労も水の泡と消えてしまうだろう。