昭和も遠くなりにけり2009/04/30

残照、残光、余光を前に
○昭和の日 昭和は遠く なりにけり
○昭和の日 昭和も遠く なりにけり

 助詞にもいろいろある中で「は」と「も」は係助詞と呼ばれる種類に属し、その代表的な存在である。前者は特にひとつの物事を提示したり、それを提示することで叙述の範囲を限定するときに使われる。上記の例で言えば他でもない「昭和」という時代がこの句のテーマなのだと宣言する役割を果たしている。これに対して後者の「も」は、他にも似たような事物があることを言外にほのめかしながら提示するときに多く使われるが、詠嘆や感動の意で用いられることもある。
 元号が昭和だった頃「天皇誕生日」の名で親しまれた4月29日が一昨年から「昭和の日」と呼ばれるようになった。元号が平成に改められて18年後のことである。今年は昭和で数えるともう84年にもなる。なぜこんなにも時間が経ってから「昭和の日」が登場したのかという思いと、そこまで昭和にこだわり続ける意味は何なのだろうかという思いとが交叉してくる。これがまさに前者の句の意図だろう。
 昭和の前は大正だった。大正で言うなら今年は大正98年である。大正という時代は正味ではわずかに15年しかなく、その長さにおいてすでに平成に抜かれている。時代思潮が自由主義的であったことと結果としての短命は偶然の関係だろうが、何か関係があるのではと思いたくなるほどの長閑さと自由な空気が少なくとも時代の前半には漂っていた。後半は関東大震災に見舞われるなど様相は一変し、世情は徐々に暗さを増してゆく。大正生まれはまだ健在な人も少なくないから話を聴くなら今のうちだろう。さらにその前の明治はと数えてみると、何と今年は明治142年となる。もはや健在を期待できる年数ではない。
 ところでどちらの句も広く人口に膾炙された「降る雪や明治は遠くなりにけり」が念頭にあり、それを下敷きにしていることは疑いない。明治34年生まれの中村草田男が俳句を始めてまだ間もない頃に詠んだ「降る雪や」は句集「長子」に掲載されている。句集が東京の沙羅書店から発行されたのは昭和11年だが詠んだのはそれよりだいぶ前の、明治が終わって20年ほど経った頃のようだ。そんなことも考えながら先ほどの句を眺めると、ここはやはり「も」の方がぴったりする気がしてきた。

ツツジとサツキ2009/04/30

 子どもの頃、ツツジには早咲きと遅咲きがあると考えていた。それが盆栽の話を耳にし始めた頃から、もうひとつサツキと呼ばれるツツジに似た品種もあるらしいと考えるようになった。その頃、家族で訪れた観光地にたまたまアゼリア苑と呼ばれる場所があって、そこに咲いていた花もやはりツツジの仲間らしいことは花の形からすぐに理解した。しかし似て非なるものとはこのことかと思うくらいアゼリアには何か生理的な違和感のようなものを覚えた。
 いま日本古来のツツジにも西洋化してアゼリアに近いイメージを持つものが増えつつあるように感じられてならない。何でも交わったり同化すればよいというものでもないし、優性種に交わって大柄になったり大味になってはせっかくの大和撫子が泣こうというものである。固有種は固有種として維持し、外来種から守って欲しいと願わずにはいられない。
 さてサツキだが、これは言わば遅咲きのツツジのことであり、サツキツツジと呼ばれるツツジの一品種に過ぎないとのことである。サツキより一足早く主に4月に咲くミツバツツジとかミヤマキリシマとかゴヨウツツジなど数え切れないほどある品種の総称がツツジなのである。その点ではすでに述べた桜と似ている気がする。季語は春になる。
 サツキツツジは開花時期に因む呼称と考えてまず間違いない。盆栽として人気が出たり、俳人たちに初夏の季語として採り上げられたりしているうちに、いつしか仲間のツツジと分かれ一人歩きを始めたようだ。五月も連休が過ぎ中旬に入ると、本格的なサツキの季節を迎える。ちょうどホトトギスが鳴き始める頃でもあり、これを杜鵑花と書いて言外にそうした音感的な風景をも盛り込んだ欲ばりな句も見られる。

 まだサツキの時期ではないため手元によい写真がなく、上掲したのは小さな公園の花壇で目にした昨年の花である。今年のツツジは下記のページにまとめて掲載中。
http://blogs.yahoo.co.jp/mst_tamano/717614.html