究極の天気予報2009/05/08

 連休明け初日の昨日、首都圏ではJRの電車に朝から車両故障があった。この影響でダイヤの乱れは夕方の帰宅ラッシュまで続き、しかも電車の運休・遅れの影響は私鉄などにも及んだから連休疲れのサラリーマンにとっては散々な一日となった。日中は往きの揉みくちゃ通勤による疲れも加わって、つい居眠りをしてしまったという人も少なくないだろう。ようやく仕事を終え、家路についたかと思えばまた電車内で揉みくちゃにされたのでは、いつもの本調子を取り戻すどころではない。加えて、連休前半の青空が嘘のようなこの悪天候である。
 究極とは物事を最後まできわめることであり、またそうしてきわめた最後の到達点をも意味する。窮極とも記すが、あれこれ長い時間を掛け、また手も尽くしてようやくたどり着くことのできる境地であり、手法であり、地位であり、心境でもある。そこに至るためには一種の悟りのようなものも必要ではないかと想像する。
 英語には究極と似た意味を持つ言葉として ultimate がある。この言葉はラテン語から来ていて「空間的・時間的に最も遠い」が原義であり、そこから最終のとか究極のといった意味が生まれた。決定的というような意味にも使われるし、費用などの総計を指すこともある。核兵器を指して the ultimate weapon と呼んだりもするから恐ろしい。
 さて日本の天気予報技術の進歩には目覚ましいものがあり、ピンポイント予報だの時系列予報だの週間予報だのと益々便利になっている。だがそれでも当たるときは当たるし、外れるときは外れる。人間というのは欲が深いのか、ご都合主義にできているのか当たってもさして驚かないが外れると無性に腹が立つ。「きょうは所により雨でしょう」などというときは、その後に「詳しい予報は時々、空を眺めて微調整なさってください」とでも付け加えたらどうだろうか。気象庁や気象予報士がどう思うかは知らぬが、役所や企業の天気予報に依存するだけでなく時には自分の目と肌とで判断することも必要だろう。

五月の風(6)2009/05/08

初々しくも溌剌と
 発芽2カ月の0歳木(?)をお目に掛けます。盆栽鉢のヤマモミジの根元でヒメシャラの苗が芽を出しました。昨秋、苔の手入れをした際にでも紛れ込んだのでしょうか。この欄の第3回でご紹介したシャラの近縁種です。いつ庭に戻してやるべきか悩ましいことになりそうです。