春を惜しむ--奥の細道2009/05/20

ホトトギスの鳴き声を聞きながら…。
 芭蕉が江戸・深川にある杉山杉風の別宅を出て「奥の細道」の旅に向かったのは元禄2年3月27日と記されています。千住で舟を下り、見送りの人々と別れました。次の句はこのときのものとされていますが、果たして本当に出発に際して詠んだものかどうかは不明です。というのも俳諧七部集のひとつ「続猿蓑」にもうひとつ別の句が記録されているからです。

 行春や鳥啼魚の目は泪 (奥の細道)
 鮎の子の白魚送る別れ哉 (続猿蓑)

 おそらく後者の句は「奥の細道」を纏めるに際し推敲の結果、前者の句と入れ替わることになったのでしょう。千住はむろんのこと、当時の大都会江戸であっても深川あたりはまだ緑濃い、住みよい土地であったと想像されます。ホトトギスの鳴き声が聞こえる中で芭蕉と曾良は、見送りのため千住まで付いてきた門人たちと別れを惜しんだのです。今日では想像もつかないことですが、当時は送る者と送られる者との間にもしかしたらこれが今生の別れになるかも知れないという思いが常にあったのです。前者の行く春の句からは、そうした感慨が強く伝わってきます。
 なお芭蕉が生きたのは江戸時代も前期のことであり、この日は今の暦になおすとちょうど320年前の5月16日にあたります。そこで芭蕉の句に因んで、2009年の行く春を写真と発句で惜しむことにしました。全9回の予定です。