春惜しむ--青葉若葉2009/05/22

青葉若葉の日の光
 芭蕉と曾良は元禄2年4月1日、いまの暦でいうと5月19日に日光の二荒山神社に参詣したと「奥の細道」には記されている。そこで弘法大師空海の業績に言及し、二荒山が日光と改められた故事に触れて詠んだのが次の句である。

 あらたふと青葉若葉の日の光

 この句についても参詣の折りには「あら」ではなく「あな」であり、また「青葉若葉の」ではなく「木の下闇も」であったと伝えられている。これを写真で説明するなら最初の案における「木の下闇も日の光」であれば、その景色は本欄5月2日あるいは翌3日掲載の写真に見るような穏やかな日の光の差す光景に近いものだろう。だが「青葉若葉の日の光」と改めることで、その光景は本日掲載の写真に見るような日の光の強さを強烈に印象づけるものに一変する。しかも雨上がりなら、光の強さは残った水滴に反射して倍加され印象はさらに強烈となる。芭蕉の見た景色がどちらであったか今となっては知るよしもないが「奥の細道」の記述を素直に読み解くなら、ここはやはり後者の方がより相応しいと言えるだろう。

駐日大使の選び方2009/05/22

 米国オバマ政権の新駐日大使にシリコンバレーの弁護士ジョン・ルース氏が就任しそうだというニュースが流れ、外務省や一部のマスコミに驚きととまどいが広がっている。その背景には元国務次官補で知日派としても知られるジョセフ・ナイ氏(ハーバード大教授)の就任を確実視していたという事情がある。気になるのは外務省にもこれらのマスコミにも、このニュースの前提となる今後の日米関係についてオバマ政権ほどの熟慮も考察も感じられないことである。
 なるほどナイ氏は自他共に認める外交の専門家である。経験もある。クリントン国務長官との関係も悪くない。一方、大統領にとって外交はお世辞にも得意とは言えない分野である。だからここはナイ氏がと考えるだけで済むなら外交官試験の合格者もマスコミの入社試験の合格者も、合格以来ほとんどプロとしての成長がなかったことになる。単に木を見ているのみで森全体に対する配慮もなければ、そうした視点に気づくこともない。
 日米修好通商条約の締結から150年余、いま日本と米国はこれまで経験したことのない全く新しい時代を迎えるかも知れない状況にある。それはアジア太平洋戦争開戦前の時代とももちろん異なるし、占領以来続く安保条約を背景にした時代とも大きく異なる可能性を有している。プロとか専門家と称しても所詮は現代の超高速パソコンに似ている。経験したことや経験から類推できる範囲のことならば導き出す結論は常に安定し、内容も的確である。
 だが万一そうでない事態に直面すると動作は不安定となり、信じられないような結論に至ることさえないとは言えない。人間の場合は、プロであるが故の自負心や誇りが災いすることも考えておかなければならない。この論は極端に過ぎるとしても、専門家であればあるほど「木を見て森を見ず」の確率が増すことだけは知る必要がある。それを避けるための手段が人事である。今回のニュースを耳にして感じるのは、日本という森がいまその根元の部分で動き出したことをオバマ政権が明確に感じ取っているなというシグナルである。どう変わるか先がまだ読み切れないからこその人事とも言えるだろう。