簑ひとつ山吹(完)2009/05/23

山吹は哀し
 娘が伝えたかったのも、まさにこの点だろうと思います。娘が山吹の花に込めたのは「お貸ししたくても簑ひとつございません」ではなく、「(お立ち寄り下さったのは誠に光栄ですが)我が家には家人が仕事に着るような雨を防ぐだけの粗末な簑はあっても、お武家様がお使いになるような立派な簑はございません」だったのです。そう理解すれば、山吹の実生に関する疑問は消えます。
 貧しい農家といえども簑は鍬や鎌と同様、仕事には欠かせないものです。雨が降ったからといって作業を止めたり、仕事を休むことはできません。稲作のように雨が頼りの作物もあります。それが日本農業の現実です。
 後世の、こうした農業の実態について何も知らない、植物の生態にも関心をもたない、文字通り浅学の研究者が勝手に娘の気持を変えてしまったのです。観察が皮相的で、考察も十分ではありません。こんな知識が日本文化研究の常識として罷り通っているとしたら実に悲しいことです。