五月の風(7)2009/05/09

素朴さと密やかさと
 子どもの頃、エビネは都市近郊の小高い丘や山道脇の斜面に普通に見ることのできる花だった。ランの仲間と聞いてもすぐには信じられないほど、その印象は素朴である。群がって咲いてはいても、どこか密やかなところがある。それが高度成長による住宅開発のあおりを受けていつの間にか生育地を狭められ、奪われ、果ては園芸業者に乱獲されたり愛好家に持ち去られてすっかり姿を消し、とうとうレッドデータに掲載されるところまで来てしまった。
 狭い日本の中ではあるが、それでも人目につかない場所、人を寄せ付けない場所というのはまだまだ残っている。消えたと言われる市町村の中でも思わぬ場所に咲いている。密やかではあるが決して、か弱いだけの花でもない。

便利すぎるは不便の始まり(1)2009/05/10

柔らかな日差しを浴びて
 便利になりすぎて困るものの代表格は多分、携帯電話だろう。単機能を売りにした、いわば不便な機種がわざわざ発売されるくらいである。理由は最近の携帯電話が、持ち運びのできる小さな電話器というより通信機能の付いたポケットパソコンとでも呼ぶべき商品になっていることだろう。非常に便利な道具かもしれないが使いこなすにはそれなりの習熟が求められ、年配者には却って不便な機器に感じられるのだ。
 しかし携帯電話に代表される便利で身近な道具の問題点は、こうした機能面だけの特徴に止まらない。便利さが向上し、その便利さが認識され、人々の生活に欠かせない道具として使われれば使われるほど、その道具に対する依存度もまた増すことである。加えて、この道具には鋏や包丁や鏡など従来の伝統的な道具には見られない問題点が内包され、それが避けがたい特徴になっていることである。電源や電池がなければ全く動作しないし、あっても電圧が下がれば動作が止まってしまう。そして通信機能はあくまでも電波が届く範囲に限定されている。こうした特徴や短所を十分わきまえた上で利用しないと、裏切られたり生命を危険にさらすことにもなりかねない。

五月の風(8)2009/05/10

夏はもうそこまで来ています…。
 今年も卯木(うつぎ)の咲く季節がやってきました。細い幹は中空になっていて、これが恐らく名前の由来でしょう。空木(うつぎ)と記されることもあります。卯木の花は卯の花と呼ばれ、筒状の白い花をたくさん咲かせます。あちこちの土手や山の斜面に卯の花を見かける時季は、歌にもあるとおりホトトギスの鳴き声を耳にする季節でもあります。
 今日の一枚は、やはり卯木と呼ばれる植物です。幹が中空になっているためそう呼ばれるのでしょうが、花の色も形も卯木とはだいぶ異なっていてスイカズラの仲間です。白い花に上品な紅色の花が混じって咲き、ハコネウツギと呼ばれています。卯木ほどの繁殖力はなさそうですが、挿し木によって簡単に増やすことができます。

便利すぎるは不便の始まり(2)2009/05/11

日当たりのよい土手で…。
 悲劇や喜劇は、この当然すぎるほどの問題点を意識しないまま依存症に陥った人々に発生している。いつでもどこでも携帯電話を介して家族や友達とつながっていると信じて登山やハイキングや魚釣りに出かけた人が、道に迷ったり遭難したとき連絡が取れずに慌てることがある。山や沢や海の上では当然のことながら充電ができない。谷の奥には電波が届かない。連絡したい相手が同様の窮地に立たされた場合も携帯電話はあまり役に立たない。災害などに遭遇して充電ができなくなれば、こちらの電話器に支障がなくても相手との通信は成立しない。
 携帯電話を使い始めると相手の電話番号は機械が記憶し、人間が覚える必要はなくなる。番号の押し間違いも記憶違いもなくなり至極便利ではある。しかし記憶の負担が軽減されたことを単純に便利だ助かると喜んでばかりいてよいかどうかは疑問である。数字の記憶を出したり入れたりすることの効用も無視できない。例えば携帯電話を忘れたり、それが利用できない地域では従来通り番号をひとつひとつ指示しなければならないが、その番号を思い出せなくなっている。便利さはありがたい。だが、決して慣れっこになったり溺れたりしないよう日頃から戒めておく必要がある。

五月の風(9)2009/05/11

ああ忙しい、忙しい…。
 このところの暑さで垣根のバラが一気に咲いてしまいました。番外編のつもりでご覧ください。
 バラは棘(とげ)があるし、消毒はしなければならないし、咲き終わった後の手入れも大変です。見ているだけでしんどくなります。しかも四季咲きとなると、年に4回も同じことを繰り返すわけです。やっぱり日本の植物、和風が一番と感じます。

五月の風(10)2009/05/12

山間の五月に
 ヤマブキは暖地の日当たりのよいところなら3月の末にはもう黄色の花を付けるようになりました。桜の季節は山吹の季節でもあるわけです。写真の花は連休の終わりに中部山岳地帯の山間(やまあい)の、それもかなり高い場所に咲いているものを見つけて撮影しました。
 昨日のバラもそうですが、日本の人は一般に八重咲きよりは一重咲きを好むように感じます。それを承知で敢えて八重咲きを出したのは、太田道灌にまつわる例の「七重八重花は咲けども」の話をするためです。明日は今を盛りと微笑む一重咲きのヤマブキの花をご覧に入れます。道灌の続きもお楽しみに。

簑ひとつ山吹(1)2009/05/13

花は咲けども…
 太田道灌は室町中期の武将です。江戸の地に後の江戸城の原型を築いた人として知られていますが、歌人でもありました。扇谷上杉家に重臣として仕え、のち山内上杉家の策謀に遭って主君の手で暗殺されてしまいます。
 この道灌が、あるとき狩りの帰りがけ突然の雨に見舞われました。近くに粗末な人家が見えたので立ち寄って簑を貸して欲しいと頼んだところ、現れたその家の娘が花を付けた山吹の枝を差し出し、次の和歌を詠んだと言われています。

 七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき

 道灌は山吹の「実のひとつだになきぞ悲しき」が、山吹の枝を差し出した娘の気持「(貧しい)我が家には、お貸ししたくても簑ひとつございません」を暗示していることに気づきませんでした。心機一転和歌の道に励んだのは、この時の不明を恥じたからだと伝えられています。
 山吹は非常に繁殖力の強い植物です。山の斜面の日当たりのよいところはもちろん多少陽当たりが悪くても、落ち葉など腐葉した土の養分を吸って地下茎をどんどん延ばし勢力を拡げてゆきます。ですから子どもの頃に道灌の話を聞いて、山吹が花は咲いても実を付けることは決してなく、もっぱら地下茎に頼って繁茂しているのだと信じていました。

五月の風(11)2009/05/13

睡りいまだ足らず
 山吹の話を別の欄「簑ひとつ山吹」に譲ったので、今日もちょっと脱線して春の花の咲き残りをご覧に入れます。唐の玄宗皇帝が楊貴妃の艶(なま)めかしさを評して「海棠睡未足」(かいどうねむりいまだたらず)と言ったと「唐書・楊貴妃伝」は伝えています。単に寝不足というだけでなく、楊貴妃には前夜遅くまで酒宴につきあわされた酔いも残っているのであろう、その多少の乱れも感じられていっそう艶めかしさが募るのだと解説した本もあります。
 雨上がりの海棠には「海棠の雨に濡れたる風情」という表現もあります。飛びきりの美人がいつになくうちしおれた様子でいることをたとえたものだそうです。「そういう光景に出くわすと、何と言うか男は身震いがしてくるものだ。君たちにはまだ分からんだろうけど」と昔、漢文の教師がにやにやしながら教えてくれました。この写真を見ていると脂ぎった教師の顔が玄宗皇帝に重なり、会ったこともない楊貴妃を哀れに感じるから不思議です。

五月の風(12)2009/05/14

見納めになりませんよう…
 今日はサラサドウダンをご紹介します。もう20年近くも前に叔母から贈られたものです。幸い枯れることも弱ることもなく順調に育って、細くても双幹のほどよい高さに仕上がり叔母を安堵させました。
 ところが数年前、義兄姉たちと庭でバーベキューをした際、突然強風が吹いて火が熾(おこ)り2メートル近く離れていたこの樹木の根元を水平の炎と熱風とが襲いました。たちまち下枝は黄色く枯れて、午後には片方の幹から伸びた枝先の葉も萎れだしました。辛うじて残ったもう片方の幹も下枝は途中まで枯れてしまい、翌年果たして芽を出すだろうかと案じられました。
 最悪の事態だけは避けられ、わずかですが今年も新芽を出し、こうしてまたきれいな花を見せてくれました。しかし年々弱っているようにも感じられます。以来、庭でのバーベキューは止めました。今年が見納めかも知れないと撮した中の1枚です。

簑ひとつ山吹(2)2009/05/14

ぼくたち実生です!
 この話に疑問を持ったのは10年以上も前のことです。その頃、庭の隅には一重の山吹が一叢(ひとむら)植えられていました。祖父や先祖が眠る墓地の近くから根付きで一株切り離して移したものです。それ以外は近所にも一重の山吹を見ることはありませんでした。
 その年もすでに夏近くのことです。ある日、山吹からはだいぶ離れた場所に小さな、しかしすぐに山吹と分かる細い苗を見つけました。春には山桜や椎や藤などいろんな木々の苗が芽を出します。放っておくと伸びて大きくなるので退治していました。しかし山吹の苗は初めてでした。すぐに道灌の話が頭に浮かんできました。不審に思い、根が切れないように土ごとそっと掘り採って調べてみました。
 山吹を剪定した枝先が落ちて挿し木となって芽を出したものなら、それなりの太さがあります。また根元は瘤(こぶ)になって、切り口を塞ぐように根を出すはずです。しかしその苗はか細く、細い根も土色をした根元から自然に伸びたものでした。明らかに実生と分かる山吹でした。(つづく)