○沙羅の花咲いて--夏便り2009/06/23

 今日は沖縄慰霊の日です。アジア太平洋戦争末期の1945年(昭和20)6月23日、沖縄を本土防衛の盾にせよと命じられていた日本軍沖縄守備隊(第32軍)の牛島司令官は住民をも巻き込んだ無謀凄惨な地上戦を展開した末に長参謀長と共に自決しました。これにより沖縄における3ヵ月に及んだ日本軍の組織的戦闘が終結したとされる日です。しかしアメリカ軍による沖縄掃討作戦はなおも続けられ、犠牲者の数を増やしてゆきます。
 沖縄を訪れ摩文仁(まぶに)の丘に立って、東側に広がる大きな海を眺めていると、真っ青に澄んだ穏やかな大海の向こうから不意に、戦場に散った数え切れないほど多くの人々の呻(うめ)き声が聞こえてくるような錯覚に襲われます。艦砲射撃の音も砲弾の破裂する音も聞こえないのに、幼い子供の泣き叫ぶ声や女生徒や主婦たちの呻くような声が響いてくるのです。つくづく今の平和の有難さとその裏で犠牲になった沖縄の人々の無念さ、そして今もなお続く米軍基地の島沖縄の現実を思わずにはいられません。
 明け方に開き夕方には散ってしまうシャラの花を見ていると、毎年決まってそんな思いが浮かんできます。(つづく)

 沙羅の花咲いていちにち晴れ渡り  まさと

■袋小路--新釈国語2009/06/23

 袋は片側だけ口が開いていて他は閉じられた状態を指す言葉。小路(こうじ)は大路(おおじ)に対する語で、表通りや大通りから脇に入った幅の狭い道をいう。旧仮名遣いで「こうぢ」と記すことからも想像されるように「ぢ」は道の意であり、立派な和語である。袋小路は狭い日本列島の一部が都市化された際に、初めはやむを得ず出来上がったものであろう。町並みが無計画に広がって行き、行く手を川や土手や丘などに阻まれたり遮られて塞がったままになったのではないか。しかし江戸時代にはこれを逆用して故意に分かりにくい町づくりを行い、敵の侵入を防いだとも聞く。
 いま袋小路はもっぱら政治や経済の閉塞した状況を示す言葉として用いられる。袋の鼠(ねずみ)、袋叩きなど「袋」の印象も芳しくない。だが袋縫いや袋綴じなど先人が編み出したり愛用した知恵には優れたものが少なくない。一度聞いたら決して忘れない、学習塾や予備校ならずとも凡人には喉から手が出るほど欲しい便利で重宝な耳は袋耳と呼ばれる。いま一度歴史を振り返って先人の知恵に学ぶ謙虚さが必要なようだ。

◆解散名候補2009/06/23

 一昨日の「どんづまり解散」は現況を第三者の目から見た印象であり、その感想を述べたものである。ところが、お膝元の政権与党内では「やけくそ解散」説が増えつつあるという。「どんづまり」も俗語だが「やけくそ」よりは上品だろうと候補に挙げた。「やぶれかぶれ」や「破滅」も同様である。それが身内から「やけくそ」などと言われるようでは手の施しようがない。
 昔は漢字で自棄糞と記した。「焼け」を当てる人もある。ことが思うように運ばず、いっそのことみんな燃えてしまえと自分から火を付けるような、そんな捨て鉢な行動を指す。「自棄」を当てるのは、こうした意味合いを目で見えるようにするための工夫だ。末尾の「糞」は意味合いを強調するために添えるのだが、しかしこれでは御当人の顔に泥を塗るより酷いことになる。事態の推移を見ていると案外「手遅れ解散」か「手詰まり解散」辺りが、響きも座りもよいのかも知れない。

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/06/21/ どんづまり解散