■末期的--新釈国語2009/07/09

 ある事柄がそれの消滅、死滅、崩壊などを予想させるに十分な状態にあること。それまで勢いのよかったものが見る影もなく衰えて、もはや手の施しようがない状態に変わることをいう。企業の場合は単に売り上げが落ちるだけでなく、商品に対するクレームやリコールが頻発する、手抜き工事が発覚する、品質偽装が露見する、脱税や粉飾決算が発覚する、役員などの不祥事が相次ぐ、内部対立が露呈する、新商品もないのに急に広告や宣伝が増えるなど企業活動の崩壊を予想させる多くの不正常な事件が伴う状態を指す。政党の場合も支持率の低下や単なる不人気だけでなく、目立ちたがり屋の議員が増える、新人議員がわあわあ騒ぐ、党内抗争が始まる、役員の不祥事が続く、幹部同士の足の引っ張り合いが始まる、幹部の発言がころころ変わる、予算のばらまきに力を入れる、タレントや有名人候補の担ぎ出しに熱が入るなど普段とは異なる終末期に特有の症状が顕著になった状態をいう。

■説明責任--新釈国語2009/07/09

 政治家や官僚など公的な仕事に携わる人々、大企業の経営者や経営者団体幹部、大組織の労働組合幹部、マスコミ関係者など社会的な影響力を持つ人々が自分の発言や行動の中に、著しく常識や公正を欠くと思われる部分のあることに気づいたり指摘された場合、また反社会的な内容を含むと疑われるような場合に、みずから進んで釈明に努め、または率直に非を詫びて謝罪すること。謝罪には責任の所在を明らかにすることと、影響の大きさに応じた責任の取り方の両方が含まれなければならない。
 釈明とは自分に向かう誤解や非難に対し、みずからの立場や事情などを説明することである。その目的は相手に理解してもらうことにある。決して相手の質問をはぐらかしたり、問題の焦点をぼやけさせたり、一方的な説明のみで終わらせることではない。と同時に釈明の報知をマスメディアの都合に委せることなく、知って欲しい相手に対しては常に積極的に情報を発信し事柄の本質や状況を公開してゆく努力も必要である。これを怠るといつまでも、説明責任を果たしていないとか、あの説明では理解できない、納得できないといった非難を許すことになる。
 なお日頃から自分の立場をよく弁(わきま)え、言動には細心の注意を払うことがこうした問題を防ぐ最善の方策であることはいうまでもない。

◎一歳児(2)2009/07/09

 竹ちゃんの子どもは生後10ヵ月だった。両親の膝の上を時々行ったり来たりしながら物珍しそうに自分を覗いて声を掛ける見知らぬ大人たちを見つめていた。恐れるでも恥ずかしがるでもなく、実に大人しく膝に収まっていた。法要が始まり読経が始まっても子どもの様子は変わらなかった。幼い頃、何かにつけて母親を困らせたという自分の子ども時代を思うと、そこには雲泥の差がある。竹ちゃんの子どもは母親の仕事の都合で、生後6ヵ月を過ぎたときから病院の保育園の世話になっているという。
 いま保育園には同じ年頃の子どもが大勢預けられるようになった。早い子どもは生後2ヵ月から保育園ボーイや保育園ガールを余儀なくされる。入園した当初は大変である。毎日毎日泣いている。朝から夕方まで休むことなく泣き続ける。泣きやむのは疲れて眠るときだけだ。目を覚ませばまた泣き始める。最初は保育士も途方に暮れるが、簡単に泣きやむことはない。
 泣くのは生後2ヵ月で入った子も8ヵ月で入った子も変わらない。ところが入園して何ヶ月か経つうちに、だんだん泣かなくなる。朝のうち親と別れてしばらくの間は泣いても、そのうちに泣きやんでしまう。保育園という環境に慣れるのか保育士に慣れるのか、とにかく泣くことが急激に減ってしまう。そして2ヵ月で入った子が、後から入った自分より大きい8ヵ月の子の泣く様子を不思議そうに見ていたりする。
 今年も4月には1歳未満の乳児が何人も新しく入園してきた。そしてどの子も慣れるまで毎日泣き続けた。そんな新入園児を尻目に、前年度から園に預けられている同じ年頃の子どもたちは皆お気に入りの担当保育士に寄り添ったり甘えたりしながら、いっぱしの先輩面をして保育園での時間を過ごしている。どうせ保育園に預けなければならない事情があるとしたら却って早いほうが子どもにはよいのかも知れないと思うひとときでもある。(つづく)

◎都会の田圃(4)2009/07/09

 今年の田植えは外出している間に終わってしまいました。田植機を使うので、たいていが独り仕事です。そして、あっという間に終わってしまいます。昔のように数を頼んで賑やかに行う田植え風景は見られなくなりました。
 日曜日、子どもの多い家では総勢10名近くが横に並び一斉に植えたものです。腰にびくを付け、苗をいっぱいに入れて田圃に入りました。そしてお兄ちゃんに遅れまい、弟には負けまいと競争しました。その結果ついつい間遠く植えてしまうので、よく叱られたものです。
 まだ結婚前だった叔母は田植えの名人でした。田圃に付けられた筋の上を、どこまでも狂うことなくその通りに、しかも等間隔で植えてゆきました。手際の良さも植える速さも常に一番、子どもたちの手本でした。
 どの家でも両側の畦には、たくさんの苗を揃えた年寄りが出張っていました。そして苗が切れそうな植手の前方に点々と苗を落としておいたり、時には植手に向かって幾束もソフトボールの投手のように下手投げで苗を届けていました。写真は田植えの翌日、朝霧の立ちこめる早朝の風景です。

○無駄花(5)--夏野菜2009/07/09

 胡瓜は無駄花が多い。母はよくそう言っていた。花がたくさん付く割りには実になるものが少ないという意味だろう。根が浅いので敷き藁(わら)をするか、草を刈って根の周りに敷き乾燥を防いでやる。農家では黒いポリエチレンフィルムを畝にすっぽりと被せ、所々に開けた小さな穴に苗を植え付けている。それでも胡瓜の成分は大半が水分だから夕方、日が沈んだら根元の乾き具合を見て忘れずに給水してやる。
 胡瓜に出来不出来もない気がするが、露地栽培では霜害に注意する必要がある。南国インドが原産と言われるだけあってめっぽう寒さには弱い。気温が摂氏20度を下回ると生りが止まる。病気にも弱く、特に連作は禁物だ。土壌改良してから植え付けるか、場所を替えないと失敗する。順調に蔓(つる)が伸び花もたくさん付いて生り始めたと思った途端、枯れ始める。
 地這いもあるが、一般的には棒や細い竹を地面に突き立てて櫓(やぐら)を組み、蔓が巻き付きやすいように竹の枝先などを絡めておく。自分で種を蒔いて適宜間引くもよし、苗を買って櫓の根元に移植するもよし。本葉が2つか3つ出たところで早めに頭を摘んでやる。すると本葉の付け根から脇芽が葉っぱの数だけ伸びて成枝をつくってくれる。初心者には芽を止めるという、この作業がなかなかできないようだ。(つづく)