◆麻生内閣浮き石論(1) ― 2009/07/22
はじめに:
衆議院は昨日7月21日、ようやく解散に漕ぎ着けた。しかし選挙は来月の30日である。延ばしに延ばして事実上任期切れと変わらぬ名目だけの解散となった。総選挙を8月に行うのが戦後初めてなら、解散から投票日まで40日間というのも現行の憲法下では最長という異例の事態である。酷暑の夏に行われる総選挙だが、政界には一寸先は闇ということわざもある。この先、まだ何が起こるか分からない。今のうちに、こうした事態を招いた最大の原因である麻生太郎という政治家について考え、整理しておくのもあながち無駄なことではないだろう。麻生は後世どのように評価されるだろうか。
卒寿を過ぎてなお口先と記憶力だけは衰えることのない母が歴代の総理大臣について語るとき、いつも形容詞を付けないと思い出せない人がいる。初めに「えーと」と切り出すのは余りに影が薄く、さすがの母もすぐには思い出せないという信号のようなものだ。「あのーほら、恥をかくために総理大臣になった人、そうそうあの人、宇野宗佑…。」
母がこの先、何年生きるかは予測できない。そして今の総理大臣についてどう記憶し、どう切り出すかもまだ分からない。しかし麻生という人を見ていると確実に言えることがひとつある。それは彼が「浮き石」の定義にぴったりと当てはまることだ。まさか浮き石が彼のために存在するわけもないから、彼の方で合わせたとしか言いようがない。麻生太郎の存在は自民党における浮き石そのものであり、その内閣もまた浮き石の特徴をよく表している。
以下、一般的な定義から囲碁における浮き石まで、そう感じる理由を4回に分けて順次説明してゆく。なお説明の冒頭に利用する4つの定義はいずれも三省堂版「大辞林」からの借用である。
1:軽石。
多くの辞書が記す「浮き石」の第1の定義は「軽石」である。湯船に入れるとぷかりぷかりと浮く、あの石のことである。学生時代、銭湯に行くときはいつも石鹸やタオルと一緒に持参し、足の裏をこするのに使った。足の裏は皮が厚いので、長く使っていると軽石の方が丸くなった。軽石は火山の副産物である。噴火によって生まれ、飛び散ったガラス質の内部からガスが吹き出して小さな穴がたくさん空き、その後がすかすかになったままの状態で固まって軽石が誕生する。だから水にも浮く。第1定義の要点は内部のすかすかと、水に浮くこの軽さにある。
麻生太郎の軽さとは何だろうか。マスメディアが創り上げた偏見による面も多少はあるのかも知れない。だが、ことさらに漫画を読むことで若者受けを演出して見せたり、解散する勇気もないくせに「冒頭解散」などと口走ったことも事実だ。そしてころころと前言を翻して、国語力に乏しい若い記者達に「ぶれる」などという妙な日本語を多用させることになったのも元はと言えば彼の身から出た錆である。
国語力と言えば、若い記者達に負けないほど漢字が読めないことも事実だ。あの年齢で数々の誤読を国民に披露してみせた。厳しい受験競争に晒された人なら、たとえ独学でもよく辞書を引く習慣のある人なら、決してしないような誤りを繰り返してみせた。お陰で子ども達は「未曾有」や「矜持」が正しく読めるようになり、日頃不勉強のサラリーマンは首相並みと言われることを恐れて書店へ走った。しかし麻生には、そうした庶民の苦労を理解する様子が見られない。理解しようとする意識さえないのかも知れない。
加えて総理大臣らしからぬ言い訳が実に多い人物だ。冒頭解散についての言い訳、郵政民営化反対の言い訳、そして解散を予告した理由の言い訳と、麻生の言い訳は今に至るも止むことがない。それが止むのは、きっと衆議院選挙に敗北したときだろう。こうした事柄の全てが政治家としての軽さや人間としての軽さ・軽率さを感じさせる要因になっている。(つづく)
衆議院は昨日7月21日、ようやく解散に漕ぎ着けた。しかし選挙は来月の30日である。延ばしに延ばして事実上任期切れと変わらぬ名目だけの解散となった。総選挙を8月に行うのが戦後初めてなら、解散から投票日まで40日間というのも現行の憲法下では最長という異例の事態である。酷暑の夏に行われる総選挙だが、政界には一寸先は闇ということわざもある。この先、まだ何が起こるか分からない。今のうちに、こうした事態を招いた最大の原因である麻生太郎という政治家について考え、整理しておくのもあながち無駄なことではないだろう。麻生は後世どのように評価されるだろうか。
卒寿を過ぎてなお口先と記憶力だけは衰えることのない母が歴代の総理大臣について語るとき、いつも形容詞を付けないと思い出せない人がいる。初めに「えーと」と切り出すのは余りに影が薄く、さすがの母もすぐには思い出せないという信号のようなものだ。「あのーほら、恥をかくために総理大臣になった人、そうそうあの人、宇野宗佑…。」
母がこの先、何年生きるかは予測できない。そして今の総理大臣についてどう記憶し、どう切り出すかもまだ分からない。しかし麻生という人を見ていると確実に言えることがひとつある。それは彼が「浮き石」の定義にぴったりと当てはまることだ。まさか浮き石が彼のために存在するわけもないから、彼の方で合わせたとしか言いようがない。麻生太郎の存在は自民党における浮き石そのものであり、その内閣もまた浮き石の特徴をよく表している。
以下、一般的な定義から囲碁における浮き石まで、そう感じる理由を4回に分けて順次説明してゆく。なお説明の冒頭に利用する4つの定義はいずれも三省堂版「大辞林」からの借用である。
1:軽石。
多くの辞書が記す「浮き石」の第1の定義は「軽石」である。湯船に入れるとぷかりぷかりと浮く、あの石のことである。学生時代、銭湯に行くときはいつも石鹸やタオルと一緒に持参し、足の裏をこするのに使った。足の裏は皮が厚いので、長く使っていると軽石の方が丸くなった。軽石は火山の副産物である。噴火によって生まれ、飛び散ったガラス質の内部からガスが吹き出して小さな穴がたくさん空き、その後がすかすかになったままの状態で固まって軽石が誕生する。だから水にも浮く。第1定義の要点は内部のすかすかと、水に浮くこの軽さにある。
麻生太郎の軽さとは何だろうか。マスメディアが創り上げた偏見による面も多少はあるのかも知れない。だが、ことさらに漫画を読むことで若者受けを演出して見せたり、解散する勇気もないくせに「冒頭解散」などと口走ったことも事実だ。そしてころころと前言を翻して、国語力に乏しい若い記者達に「ぶれる」などという妙な日本語を多用させることになったのも元はと言えば彼の身から出た錆である。
国語力と言えば、若い記者達に負けないほど漢字が読めないことも事実だ。あの年齢で数々の誤読を国民に披露してみせた。厳しい受験競争に晒された人なら、たとえ独学でもよく辞書を引く習慣のある人なら、決してしないような誤りを繰り返してみせた。お陰で子ども達は「未曾有」や「矜持」が正しく読めるようになり、日頃不勉強のサラリーマンは首相並みと言われることを恐れて書店へ走った。しかし麻生には、そうした庶民の苦労を理解する様子が見られない。理解しようとする意識さえないのかも知れない。
加えて総理大臣らしからぬ言い訳が実に多い人物だ。冒頭解散についての言い訳、郵政民営化反対の言い訳、そして解散を予告した理由の言い訳と、麻生の言い訳は今に至るも止むことがない。それが止むのは、きっと衆議院選挙に敗北したときだろう。こうした事柄の全てが政治家としての軽さや人間としての軽さ・軽率さを感じさせる要因になっている。(つづく)
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