■瀬踏み--新釈国語2009/08/05

 新しい事柄に着手する前に、ちょっとだけ試しに行って状況などを確かめ今後の戦略・戦術の参考にすること。瀬は川が浅く見えるところ、踏むは実際にそこへ行って何かをすることが原義である。元は川の浅く見える場所に実際に足を踏み入れて、そのまま川を渡っても問題が起きないか確かめることを指したが、人間が歩いて川を渡る機会が希となった現在では多く瀬を新しい事柄に見立てて、それへの対処法を探るために試行したり模索することを表す言葉となっている。
 瀬踏みの様子をつぶさに観察すれば、その人が新しい事柄をどう感じているか、どの程度に恐れているかなどを知ることも可能である。政権交代がささやかれる日本の政治状況に即していえば、例えば財界が今後の政治とどう向き合うかといった問題はまさに瀬踏みの最中にあると言えるだろう。

○白蓮(3)--盛夏2009/08/05

 ハスがインドや中国から渡来したものか、それとも古くから日本列島にも存在していたものかは諸説あって明確でない。ただ戦後間もなくの頃、千葉県花見川下流の泥炭層から発見されて開花した所謂大賀ハスがそれより上方の地層から出土した丸木舟の年代測定により2000年以上前のものと推定されたため、仮に大陸からの渡来だとしてもその時期は仏教や漢字の伝来より遥か昔へ遡らなければならない。
 白い花に汚れのない純真な心の世界を見たり、極楽浄土を思い描いたりするのは仏教の浄土思想による影響が大きい。平安時代後期に成立した浄土庭園が大きな池を中心にハスなどを植えて西方の極楽浄土を表現しようと試みたのは、現世にあっても浄土を見たいとする権力者の強い欲望と憧憬とがなせる業(わざ)に他ならない。これを朝鮮王朝では君子の花と呼ぶこともあったと聞く。
 浄土宗がもっぱら「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え、日蓮宗がもっぱら「南無妙法蓮華経」と唱えるのは、そうした力を持たない庶民にあっても、せめて死した後には白いハスの花の台(うてな)に抱かれて仏と一緒に欲望も苦しみも忘れて暮らせるようにと願ってのことだろう。
 しかしそうした思想が渡来する前の紀元前をさらに遡る太古にあって、果たして人々の目に白いハスの花がどう映ったかは全くもって明かではない。単に好物としてのハチスの実であったかも知れないし、食料としてのハチスの根であっただけかも知れない。ハチスの根とは蓮根(れんこん)のことである。
 大賀古代ハスの花見川を遡ると印旛沼にたどり着く。二つの沼は利根川に繋がり、その北方には広大な霞ヶ浦が横たわっている。霞ヶ浦は蓮根の産地としても知られる場所だが、元は利根川下流域や花見川と同様ハスの自生地だったと見てよい。そのハスがいつ頃どうやって、この地にたどり着いたのか想像は尽きない。(了)

  独りゐて闇を涼しむ蓮の花 重田暮笛