○今日の朝顔(2)--盛夏2009/08/07

 かつて日本には昼を中心にした時間の区分と、夜を中心にした時間の区分があった。前者の始まりは「あさ」と呼ばれ、後者の終りは「あした」と呼ばれた。どちらもアの音で始まり、この特徴は隣国韓国の朝を指す言葉とも一致する。朝顔といい昼顔といい、いずれもそうした時間の区分が成立した後の命名であろう。それまで何と呼ばれていたのか、名無し草だったのか、それとも列島には存在しなかったのか。

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/08/01 昼顔

 一般に昼顔は在来種、朝顔は薬草として奈良時代に伝わったとされている。どちらも植物分類では同じ科に属し、漢方としての効能も変らない。しかし昼顔は多年草、朝顔は一年草である。戦乱の世が終り世の中が落ち着いて人々の目が草花に向かったとき、観賞用として朝顔が急速に普及を見せるのは品種改良が容易な一年草だったからに違いない。

  朝顔の裂けてゆゝしや濃紫 原石鼎

◆麻生内閣浮き石論(4)2009/08/07

4:囲碁で、目形をもたず他の石からも孤立している一群の石。
 目形は「めがたち」と訓読みする。音読みでは眼形(がんけい)が使われる。古代中国で始まったといわれる囲碁の言葉である。囲碁は碁盤の上で黒と白の碁石が一種の陣取り合戦をする遊びだが、互いに陣地の広さを競い合うと同時に相手の石を取るという勝負も加味されている。そのため対局中は自分の陣地を拡げながら同時に相手に石を取られないような陣形を組まなければならない。
 相手に絶対に石を取られないようにすることを生きるというが、生きるためには目または眼と呼ばれる形を自分の石で2つつくる必要がある。目が2つできれば、たとえ相手に周りを囲まれても石を取られることはない。浮き石はこうした目をつくることのできない宙ぶらりんな状態にある石、言い換えればいずれ相手に取られる運命にある石、死んだも同然の石を指す言葉である。
 これが囲碁における目形と浮き石の関係だが、問題は最初から浮き石と分かっている弱小派閥の麻生太郎をなぜ総裁に選んでしまったかという点である。誕生させたのは自民党だから、自民党には囲碁を知らない政治家ばかりが集まったか、または自分たちの関わっている政党政治が議会における一種の陣取り合戦の側面をもつことに気づかなかったか、そのいずれかであろう。後者が政治のイロハであることを考えると、現在の自民党は政党政治に関しては全くの素人集団に成り下がったというべきかも知れない。
 あるいは2005年の総選挙で獲得した圧倒的多数の議席と与党だけで3分の2を超える数の力に頼るうちに、いつしか政党政治の本領を忘れてしまったのかも知れない。そうでなけれ浮き石を総裁に戴いて総選挙を戦おうなどという馬鹿げた行動に出るはずがない。あまりにも国民と野党の力を見くびった軽率な行動である。派閥政治の何を批判されたのかも顧みることなく、マスコミの人気調査だけを拠り所に浮き石麻生を総裁に選び内閣をつくらせてしまった。まさに後の祭りである。
 奢れるものは久しからずとは平安時代以来の知恵のはずだが、今やそれも溺れるものは藁をもつかむと揶揄されるほどに落魄してしまった。解散から投票日まで40日間も開けるというような前代未聞の奇策まで弄して失地回復を図ろうと足掻いている。だが浮き石は所詮へぼ碁が招いた結果であって、気が付いても生かすのは容易でない。下手にこだわれば傷口を拡げるばかりだ。相手の失策に一縷の望みをかけるような不様な真似は止め、政党としての哲学を鍛え直すところから再出発して欲しい。そうでなければ、こんな輩に国政を委ねてきたのかと悔やむ有権者がさらに増えてしまう。(了)