■御都合主義(2)--新釈国語2009/09/13

 この10年、製鉄会社も自動車製造会社も日本の大企業の多くが急激に売上げを伸ばし、利益を増やしてきた。しかし国際競争力を維持するという名分を掲げて、その利益を多くの人々に還元する努力は見事に怠ってきた。そして一部の大企業経営者と与党の政治家と官僚や公務員だけが平穏に暮らすという妙に不安定な社会に変えてしまった。しかも政権交代があったというのに、霞ヶ関を先導した高級官僚達はなぜか辞表を出さない。一方で天下りだけは急ぐ。政権が代われば、これまで否定してきた政策にも手を染めなければならない。罵倒したり嘲っていた施策にも本気で取り組まなければならない。まっとうな人間なら、そんな器用な真似はできないはずだ。さっさと辞表を叩きつけて役所を去るのが筋だろう。それをしないのは彼等が腰抜けというよりも、実は御都合主義の信奉者だからではないだろうか。彼等に共通するのは一見みんなの利益、社員の利益、大勢の利益、国民の利益というような顔をして相手にもそう思わせ、その裏でしっかりと自分の利益だけは最後まで忘れないことである。

 もうそういう輩(やから)が跋扈(ばっこ)する、大手を振って歩く時代は終わらせよう。曲がりなりにも裁判員制度も始まったことだ。罪は憎むが、罪人は警察や検察のために悪事を働くのではない。取り調べは警察の手柄のためにあるのではない。厳罰主義の傾向は強まるだろうが、無実の人を罰することだけは何としても避けなければならない。省庁は官僚のためにあるのではない。官僚は省庁のためにあるのでもない。霞ヶ関の官僚を見る目は厳しさを増すだろう。などなど、政権交代に寄せる期待は高まるばかりだ。経営者たる者、官僚たる者、政治家たる者、私心は綺麗さっぱり捨て去って、難しいとは分かっていても常にみんなの幸せを願い、その目標に向かって努力する、楽天的かも知れないがそういう姿勢こそ大事だろう。これを間もなく退陣する誤読総理に代わって御都合主義(ごとごうしゅぎ)と名付けることにした。従来の市場原理主義と置き換わってくれれば、こんな嬉しいことはない。(了)

○写真は夏咲きの大きなグラジオラス。明治の初めに渡来し季語にも採用されていると聞くが、あまり句の例を知らない。

○吾亦紅(2)--野の草花2009/09/13

 ワレモコウは光源氏亡き後の子孫たちによる色恋を描いた第42帖「匂宮」に登場する。元服して兵部卿(ひょうぶきょう)となった匂宮と右近中将(うこんちゅうじょう)となった薫の、色男二人が競う物語でもある。生まれつき芳香の漂う薫に対抗し、何とかよき匂いのする香を得んと心を砕く兵部卿の様子が綴られる中に、春の梅に始まって晩秋の霜が降りる季節までの草花が織り交ぜられている。

 かく、いとあやしきまで人のとがむる香にしみたまへるを、兵部卿宮なむ異事よりも挑ましく思して、それはわざとよろづのすぐれたる移しをしめたまひ、朝夕のことわざに合はせいとなみ、御前の前栽にも、春は梅の花園を眺めたまひ、秋は世の人のめづる女郎花、小牡鹿の妻にすめる萩の露にも、をさをさ御心移したまはず、老を忘るる菊に、衰へゆく藤袴、物気無きわれもかうなどは、いとすさまじき霜枯れのころほひまで思し捨てずなどわざとめきて、香にめづる思ひをなむ立てて好ましうおはしける。

 ワレモコウを形容する「物気無き」とは、とても一人前とは思えないの意である。これは秋の季節、野の草に混じって林立するワレモコウに対し紫式部が抱いていた印象でもあろう。今から一千年も前のこととは言え、この植物のどこに・何を見るかはまさに人それぞれであることを知って興味深い。