◆事務次官不要論のすすめ(1)2009/09/17

 国家行政組織法(昭和23年7月10日法律第120号)は第18条で「各省には、事務次官一人を置く」と定め、その仕事・役割は「その省の長である大臣を助け、省務を整理し、各部局及び機関の事務を監督する」ことであると規定しています。これが各省において事務次官が国家公務員一般職の頂点に立つとされる理由です。しかもこの役職は明治時代の天皇制による内閣制度の下で各省に配置された、次官という官職を受け継いでいます。日本の官僚機構を1世紀以上にわたって束ねてきた象徴的な地位でもあるわけです。

 しかし、その評価は日本の近代化とアジア太平洋戦争からの復興を推進したとされる表の部分だけではありません。戦前においては軍閥の台頭を許して戦争を阻止することができず、戦後にあっては敗戦の復興から高度成長を経てバブル崩壊に至る右肩上がりの経済状況の中で、自民党による一党支配体制を裏で必要以上に支えながら同時にお零れもしっかりいただくという政官癒着の腐敗構造を築き上げてきました。

 その結果、生じたのが上記の第18条を逸脱した様々な行為であり発言です。いつの間にか大臣政務官(第17条)や副大臣(第16条)どころか、大臣さえもないがしろにするほどの権力を法的な裏付けがないまま揮(ふる)うようになってしまいました。事実上閣議の内容を牛耳ってきたとされる事務次官会議はその最たるものです。

 原因が長期政権の微温湯(ぬるゆ)に浸かりきってふやけてしまった自民党の無責任きわまりない政治家にあることは言うまでもありませんが、事務次官が国益を口にする一方で常に省益と己の天下り先の確保に努めてきた点も見逃せません。多くの部下達も上司を見習って補助金を餌に同様の行為を繰り返す日常が生まれていることを、マスコミはもっと積極的に報じる必要があります。(つづく)

○写真は実りの秋を迎えた稲穂です。順調そうに見えますが、よく見ると所々に病気で変色したものも混じっています。実るほど頭を垂れる稲穂かなを標榜する新政権がこうした役所の病変にどう立ち向かうかもしっかり見守る必要があります。