○柚子(4)--実りの秋2009/11/01

 前回の蛇笏の句に詠われている柚(ゆ)の実こそ列島の先人達が珍重した香味料としてのユズの初期の呼称と言えるだろう。柚子(ゆず)の実では屋上屋を重ねるに等しい。だが、いつの間にかそうなってしまった。子分の実に母屋を盗られたとしか言いようがない。ユズは実が生ってこその植物とはいえ、やはり可笑しい。それだけ漢音の影響が大きかったのかも知れない。どたどたと土足のまま入ってくる英語には比ぶべくもないが、時代状況としては似ていよう。
 ところでユズの香りはユズの木自体が持っている。だから皮がまだ青々とした柚の実にも既に香りだけは受け継がれ、料理に使うことができる。これを青柚(あおゆ)と呼び、卸し金で摺り卸したり、包丁で薄く剥いで使う。料理人が手際よく包丁を回し、お椀の吸い口用に松葉の形に刻んだものは松葉柚(まつばゆ)と呼ばれる。
 黄色く色づいた大ぶりの柚の実を葉付きで手に入れ、四分六の割合で上下に切り離して使うことも多い。このとき中の実は刳りぬいて除き、和え物などを詰める。そして上の四分を蓋にして客をもてなす。これが柚釜(ゆがま)である。青柚も松葉柚も湯桶読みだが、柚釜は重箱読みになる。ユズの香りを柚香(ゆこう)と称するが、これを生かした和え物は柚香和えと呼ばれる。これも一種の重箱読みである。ユズを柚子とのみ決め込んでいては日本の伝統料理も文化の香りも伝えることは難しい。そう心得てもう一度、漢字が今に伝えるものにも目を向けて欲しい。(了)

  柚の香ひ夕柴もゆる廚かな 松瀬青々

◆旗幟鮮明(1)2009/11/02

 今この熟語を正しく読むことのできる人が減りつつある。経営者と呼ばれる鼻っ柱の強い人物と話をしていて突然耳慣れない言葉が飛び出し困惑した経験がある。多くは外来語と思われる類の新造語だが、もうひとつ漢語の我流訓とでも呼ぶべきものにも悩まされた。その代表格が「シュウケン」である。これが収斂のことだと分かってからは相手により、こちらもそれなりの用心をしながら話を聴くよう心がけた。

 この手の経営者と最近の学生に共通するのは所謂受験勉強と呼ばれるものを経験していないことであろう。一般に受験勉強は功罪の罪ばかりが主張され、功を認める人は少ない。しかし将来の受験を意識するとしないとにかかわらず旧制の中学や新制の高校でそれなりの勉強をした人ならこの程度の熟語や漢語は難なく読めるはずだし、何より用心することを心得ている。目新しいと感じれば、あるいは忘れたと気づけばすぐに字書を引き確かめることを知っている。

 受験勉強をしていないとは字書を引いて確かめることさえ知らない、教わっていない、教わっても覚えていないということである。かつて政治家を志した人も企業家や経営者を目指した人も自分が学校で十分な教育を受ける機会に恵まれなかったと感じれば必死になって勉強したものである。それがいつの頃からか失われ、勉強が有名中学や大学受験を意味するようになって、それ以外の勉強は粗末に扱われるようになった。もしかしたら昔の文部省が生涯学習などと言い始めた時期と重なっているかも知れない。(つづく)

○今日は満月2009/11/03

 月は東に日は西にというが、今日はその逆だった。写真の日の入りは16時39分、帰宅して東の山から月の出を見たのが17時10分(撮影は17時11分)である。因みに東京地方の日の入りは16時44分、月の出は16時42分と発表されている。

 この通りの場所に立てば文字通り束の間、月は東に日は西にを実感できたことだろう。それにしても月齢15.9(正午)の月は美しい。古代から何一つ変らぬ怪しさを秘めている。

  物かげに添うて月見る女哉 柳川春葉

◆旗幟鮮明(2)2009/11/04

 生涯学習というのは誤解を恐れずに云えば「人間は死ぬまで勉強しなさいよ」ということだろう。文部省はそのために教育予算を確保して国民の勉強を手助けしましょう、と言い出したのである。文部省が推し進めてきた文教政策の柱は学校教育と社会教育の2本立てであった。これを改め、後者の社会教育を生涯学習に呼び変えたのである。背景には経済の高成長に助けられた進学率の急激な上昇があった。

 アジア太平洋戦争に敗れるまで日本人の識字率は確かに高かったものの教育水準としては義務教育止まりが殆どだった。敗戦後、義務教育を終えて上級学校に進学できる幸運な若者は10人に2人しかいなかった。残りの8人は働きながら学ぶしか、義務教育終了後の学習機会がなかったのである。それを支援しようと社会教育法制が整備され、各地に公民館や図書館や博物館・美術館などがつくられていった。

 しかし高校進学率が昭和49年(1974)に90%を超え、大学進学率も翌50年(1975)には38%に急上昇して日本人の高学歴化傾向が顕著になると社会教育に対する需要は相対的に低下せざるを得ない。10代後半の若者には高校があり、高校の図書室があり、大学や大学図書館で学ぶことも夢ではなくなった。従来の社会教育政策は根本的な見直しを迫られることになったのである。折しも海外ではlifelong learning(生涯学習)の必要性が叫ばれ始めていた。(つづく)

◆旗幟鮮明(3)2009/11/05

 社会教育政策の変更を模索していた文部官僚にとって、この概念はもってこいの乗り換え先だった。何より「教育」ではなく「学習」であることが魅力的だった。この語には関係部局の延命と業務の継続だけでなく、将来的な業務権益の拡大までも予測させる響きがあった。巧みに乗り換えれば、文部行政には幼児期における読書の問題から熟年や老年の各種教養講座の受講さらには社会人の大学入学まで全ての年齢層にわたる学習機会の確保に口出しができるようになる。

 その結果は高額予算の獲得や天下り先の確保となって次々に業務を意義のあるものに変えてゆくだろう。「学習」には、そんな可能性が秘められていた。まさに文部官僚にとってバラ色に満ちた改革の始まりであった。因みに戦後発足した社会教育局が生涯学習局に名称変更したのは昭和63年(1988)、現在の生涯学習政策局となったのは平成12年(2000)である。

 一方、同じ分野に関わっていても学界の研究者は冷めていた。日本生涯教育学会は昭和54年(1979)の設立呼びかけ以来、ずっと「生涯教育」で通している(学会設立は翌55年)。当然、英語ではlifelong educationと呼ばれ、その立場は教える側に替わる。だが中身としての差はないはずだ。

 いずれにしても、こうした行政や学界の努力にもかかわらず、収斂や旗幟鮮明という熟語を読めない日本人が増えている。読めなければパソコンでも書けない。しかも字書で確かめようともしないから改善される見込みもない。そんな日本人が増えつづけている。一向に減らないし、減る見通しも立たないのである。(つづく)

○日暮れ--晩秋2009/11/16

 立冬を過ぎ、ますます日の暮れるのが早くなった。日曜日は小雪である。先日、越後旅行から帰った知人は湯沢で雪を見たと教えてくれた。眺める雪は風流だが、片づける雪までは喜べない。それでも雪の季節はまたやって来る。燗酒の温もりなども思い出しながら、秋から冬への移ろいを気ままに綴ってみたい。


 日暮れは太陽が西に沈むことをいう。だが地平線にその下端が接してから上端が隠れるまで多少の時間を要する。きれいな夕日を見ようと息せき切って山道を駆け上ると山頂に着く頃にはかなりの汗をかいている。全身の毛穴が開き余分な体熱の放出が始まっている。立ち止まっても急に放熱が止むわけではない。日が沈むのを夢中になって眺めていると今度は風に吹かれて、逆に体温が余分に奪われる。油断すると風邪を引くことにもなりかねない。

 若い頃、酷い風邪を引いて、それでようやくこんな分別も付くようになった。そんな昔を思い出しながらシャッターを切った中の一枚である。

  秋の日の骨にしみ入る尊さよ 柳川春葉

○干し柿--晩秋2009/11/17

 富有や次郎のような甘柿は木からもいだものをそのまま食べるが、平種無しのような渋柿は焼酎を振りかけて数日間密封し、渋抜きをして食べる。昔は皮なども剥くことがなかった。蔕(へた)だけ取ってかぶりついた。今でも歯だけは丈夫なつもりだが、それでも大抵は皮を剥いて食べる。その方が果汁を多く感じる。

 干し柿は渋抜きというよりも保存のためにつくったと記憶する。柿の木は裂けやすいので取るのも時に命がけとなる。太い細いの問題ではなく樹幹の繊維の方向に因るのだろう。だから木に登って取る場合にはあらかじめそのように枝振りを考えて仕立てる必要がある。つまり工夫次第で簡単には裂けない枝に仕立てることが出来る。


 しかし取る以上に面倒なのが皮剥きである。一つひとつ綺麗に剥きあげなければならない。根気の要る仕事である。早めに野良から帰り、日が暮れるとすぐに夕飯を済ませて家族総出で取りかかった。明かりといえば炉端で燃える火と、天上に吊された裸電球だけである。それでも手元はよく見えた。大人のする世間話を聞きながら、見よう見まねで器用に両手を動かして皮剥きを手伝った。豊作の年は一苦労だが、それでも眠たくなる頃には山と積まれた柿がみんな皮を剥かれ荒縄に吊されるのを見ることができた。俳句では、干し柿(干柿)以外にも柿干す、柿吊す、つるし柿など色々な表現が用いられている。

  その端に今日吊したる柿の色 渡辺満峰

○紅葉--晩秋2009/11/18

 紅葉と書いて「もみじ」と読ませる。あるいは黄葉と書くこともある。秋が進み朝晩の寒さが身に染みる頃、木々の葉や草の葉が色づくことをいう。などと書けば「そんなこと誰でも知っているよ」と言われそうである。だが、なぜ日本人はそれを「もみじ」というのだろうか。というところまで考えようとすると、やはりここでも仮名遣いの問題から検討しなければならなくなる。

 実は「もみぢ」が日本語としては正統なのである。仮名遣いの問題は子どもの頃、叔母がよく嘆いていた。「戦争が終って女の人を大事にしてくれる政治は有難いのだけど、国語教育だけは何だか妙竹林だね」が叔母の口癖であった。生活の簡素化は主婦の負担を軽くしてくれて助かるが、同じ調子で書き言葉や漢字まで簡素化されると記憶された言葉の体系が乱れると嘆いていた。



 話がそれたかも知れぬが「もみ」は「揉む」に起源を持ち、揉むことで紅色に染め出す先人の知恵を示す言葉であったと考えられる。それが紅色を指す言葉となり、この色に染めた生地なども同様にいうようになった。「ち」は今風にいえば「化」の意を表す働きをしており、おそらく「もみち」として四段活用した動詞と見てよいだろう。それが「ぢ」と濁音化したことで上二段活用に変ったのである。この変化は「万葉集」に記録されたいくつかの和歌と「古今和歌集」に集められた和歌とを比較することではっきりする。

  大木にしてみんなみに片紅葉 松本たかし

 写真の奥に写る緑はまだ紅葉する前のヤマモミジの葉、せめて後20年は生きて欲しかった人の句である。

○満天星の紅葉--晩秋2009/11/19

 昨日のヤマモミジの紅葉がどこかに血の色を秘めているのに対して、こちらドウダンツツジの紅葉はあくまでも中間色のパステルカラー(pastel color)である。適当な日本語が浮かばないので発音通りの片仮名を宛てたが、辞書には「柔らかい感じの中間色」(大辞林)などと説明されている。要は生々しさがなく穏やかな色合いということだろう。


 植物名の「ドウダン」については、これを燈臺(灯明台)に由来するものという辞書などの説明を本当に鵜呑みにしてよいものやら今ひとつ自信がない。なぜツツジだけが「ドウダン」に転化し、他の燈臺は転化しなかったのか説明が欲しい。トウダイグサ(灯台草)などはその形を知ればすぐに油皿に載る灯心が思い出され灯明台だと納得できるが、ドウダンツツジにはそこまでの類似性は感じられない。漢名の満天星の方がまだ、春先の姿を知るものには得心がゆく。

  幼き日穏やかな時庭紅葉 まさと

○満天星の紅葉(2)--晩秋2009/11/21

 今は新字体(略字)の満を書くが正字は滿であり、旁の部分は「山」ではなく「入|入」となって、いっぱいに入りきった状態をいう。満口は口いっぱい、満面は顔いっぱい、満腹はおなかいっぱい、満身はからだじゅう、満場はその場所にいっぱい、満山は山いっぱい、満天は空一面…といった具合に、ある広さ・容量を持った語を伴ってそこがいっぱいになることを表している。

 つまり満天星とは見上げる空一面に星がまたたいている状態をいったものである。白髪三千丈と同様に中国の大人(たいじん)がよくする誇張表現の一つという意見もあろうが、春先のドウダンツツジに見られる白い釣鐘の数こそまさに「満」の字に相応しい情景を呈する。決して大げさでも何でもない。言い得て妙というものであろう。


 だがそんな春先の姿に感じる初々しさや華やかさとは別に、晩秋の季節この植物が見せるパステルカラーの色調にも捨てがたい味わいがある。それは詫び寂の心を束の間ほんのりと穏やかにさせてくれる季節の仕掛けでもある。これこそドウダンツツジの真骨頂ではないだろうか。(了)

  どうだんがひとむら燃える庭の秋 まさと