◆旗幟鮮明(1)2009/11/02

 今この熟語を正しく読むことのできる人が減りつつある。経営者と呼ばれる鼻っ柱の強い人物と話をしていて突然耳慣れない言葉が飛び出し困惑した経験がある。多くは外来語と思われる類の新造語だが、もうひとつ漢語の我流訓とでも呼ぶべきものにも悩まされた。その代表格が「シュウケン」である。これが収斂のことだと分かってからは相手により、こちらもそれなりの用心をしながら話を聴くよう心がけた。

 この手の経営者と最近の学生に共通するのは所謂受験勉強と呼ばれるものを経験していないことであろう。一般に受験勉強は功罪の罪ばかりが主張され、功を認める人は少ない。しかし将来の受験を意識するとしないとにかかわらず旧制の中学や新制の高校でそれなりの勉強をした人ならこの程度の熟語や漢語は難なく読めるはずだし、何より用心することを心得ている。目新しいと感じれば、あるいは忘れたと気づけばすぐに字書を引き確かめることを知っている。

 受験勉強をしていないとは字書を引いて確かめることさえ知らない、教わっていない、教わっても覚えていないということである。かつて政治家を志した人も企業家や経営者を目指した人も自分が学校で十分な教育を受ける機会に恵まれなかったと感じれば必死になって勉強したものである。それがいつの頃からか失われ、勉強が有名中学や大学受験を意味するようになって、それ以外の勉強は粗末に扱われるようになった。もしかしたら昔の文部省が生涯学習などと言い始めた時期と重なっているかも知れない。(つづく)