○紅葉--晩秋2009/11/18

 紅葉と書いて「もみじ」と読ませる。あるいは黄葉と書くこともある。秋が進み朝晩の寒さが身に染みる頃、木々の葉や草の葉が色づくことをいう。などと書けば「そんなこと誰でも知っているよ」と言われそうである。だが、なぜ日本人はそれを「もみじ」というのだろうか。というところまで考えようとすると、やはりここでも仮名遣いの問題から検討しなければならなくなる。

 実は「もみぢ」が日本語としては正統なのである。仮名遣いの問題は子どもの頃、叔母がよく嘆いていた。「戦争が終って女の人を大事にしてくれる政治は有難いのだけど、国語教育だけは何だか妙竹林だね」が叔母の口癖であった。生活の簡素化は主婦の負担を軽くしてくれて助かるが、同じ調子で書き言葉や漢字まで簡素化されると記憶された言葉の体系が乱れると嘆いていた。



 話がそれたかも知れぬが「もみ」は「揉む」に起源を持ち、揉むことで紅色に染め出す先人の知恵を示す言葉であったと考えられる。それが紅色を指す言葉となり、この色に染めた生地なども同様にいうようになった。「ち」は今風にいえば「化」の意を表す働きをしており、おそらく「もみち」として四段活用した動詞と見てよいだろう。それが「ぢ」と濁音化したことで上二段活用に変ったのである。この変化は「万葉集」に記録されたいくつかの和歌と「古今和歌集」に集められた和歌とを比較することではっきりする。

  大木にしてみんなみに片紅葉 松本たかし

 写真の奥に写る緑はまだ紅葉する前のヤマモミジの葉、せめて後20年は生きて欲しかった人の句である。