◆気が重い(2)2009/12/25

 安保世代の「たまの」さんにとって、最近のマスメディアに踊る日米同盟という言葉は喩えようもないほど激しい違和感を覚えるものだと言う。もう半世紀近く前のことになるが1960年(昭和35)6月、国民的なうねりとなりつつあった日米安保条約改定に反対する学生や教員や労働組合員の声を全国紙という巨大なメディアが突然寄ってたかって潰してしまった。いま日本のマスメディアは、普天間基地移設に関する日米合意の見直しを進めようとする鳩山内閣に対し、どこの国の新聞かと見紛うような恫喝まがいの居丈だかな論調を展開している。そうした紙面を目にするたびに、あの時の苦い記憶が蘇ってくるのかも知れない。
 だがマスメディアが元々当てにならない存在であることなど百も承知のはずである。こんなことで急に気が重くなるはずがない。そう思って尋ねると、次のように説明してくれた。日本国憲法第9条を大事にする人も、この条文を変えたいと思う人も、日米安保条約など不要という人も、これを必要不可欠の条約と考える人も、在日米軍基地の問題を口にする以上は避けて通れない議論・視点があってしかるべきだが、それが政府からも与党からも野党からもどこからも出てこない。
 こんな馬鹿げた民族があるだろうか。この国はまた明治の初めに戻ってしまったのだろうか。そう言えば「坂の上の雲」とか何とかいう前時代的な、非常に危うい歴史観に基づく明治期礼賛のドラマも始まったと聞く。こうした風潮の中で人々は、ただ日米同盟が大事だとか日米関係が心配だと安直に考えてしまうのだろうか。そして日本は中国やロシアより偉大だったと煽るような戦場シーンを流すことにも疑問を感じなくなってしまうのだろうか。と、ここまで話して溜息をついた。
 写真は歳末のこの時期になってもまだ時々目にする散り残りのヤマモミジ。温暖化の影響か、なかなか葉を落とさない。(文責・木多)

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