◎夢を見る力2010/01/03

 かつて作家の井上ひさし氏は「夢を見る力、その夢を信じて挫けぬ力、この二つの力があれば奇跡は起こせます。」と書いた。(遅筆堂文庫物語)


 地方の荒廃が叫ばれるようになって久しい。だがつぶさに調べれば、荒廃ばかりが進んでいるわけでもない。ダムと道路建設に頼るしか術を知らない地域ばかりでもない。

 そうした地域と他の多くの地域で異なるのは、自分が生まれた土地を本気で愛する若者の数の差ではないだろうか。また、それらの若者達を信じて見守る大人の影響力も無視できない。

 こうした大人達は本気で子どもや若者に地域の良さを伝えようと努力している。県庁や霞ヶ関や永田町に詣でることだけが自分の仕事ではないと知っている。

○白梅日記012010/01/03

 新年おめでとうございます。このたび目出度く写真日記の対象に選ばれました。満開になるまで日々、開花状況を写真に記録し伝えてくださるとのことです。


 写されることなど意識したこともなく、ひたすらお日様の恩恵だけを頼りに暮らしております。愛想があるわけでなし、紫陽花さんのような世辞も言えませんが古代の日本では花と聞けば、誰もがまず私たち梅の花を思い浮かべた時代もあったそうです。

  今のごと 心を常に思へらば まづ咲く花の 地に落ちめやも 縣犬養娘子

 この和歌に詠われた「花」がどうして梅の花と分かるのか、子どもの頃は随分と不思議に感じたものでした。できる子は、きっと根拠は「まづ咲く」という表現にあるのよ、そこから推し量っての主張だと思うわなどと話しておりました。

 先生の説明では、確かにそういう点もあるけれども、この和歌の題詞に「依梅發思歌一首」とあることが一番の根拠だそうです。大先輩の貴重な歴史まであるのに、いつの間にか桜さんに取って代わられたのは残念です。

◎季節の言葉 注連飾り2010/01/03

 中国人の伝統的生活態度の規範や知恵を記した「顔氏家訓」によれば、注連(ちゅうれん)とは葬式において死者を納めた棺を見送った後その魂が再び家の中に舞い戻らないよう門口に張り巡らした縄の意である。こうした風習が古代の日本にも伝わり、その土地土地で土俗的な信仰と混じり合って日本の「しめなわ」の形や習慣は生まれたものだろう。

 漢字は後から宛てたものだから「しめ」には「注連」以外にも「標」「占」「七五三」などが用いられる。その意は中国同様に外部からの侵入を禁じようとするもの、標識として神域と不浄界とを区別するための目印、神の御座所であることを強調するもの、藁(わら)の茎を左縒(ひだりよ)りに綯(な)いながら三筋、五筋、七筋と垂らす縄の綯い方を表すものなど微妙な差がある。


 近年は稲藁ではなく、畳表に使われる藺草(いぐさ)を用いた高級感のあるものが製造販売されている。そのため見た目が綺麗で、松が取れた後に焼き捨てるには惜しい気もする。が左義長とか、どんど焼き、さんくろう焼きなどと呼ばれる小正月行事の火祭りに、門松や書き初めなどと一緒に焼いて一年の無病息災を祈るのが多くの土地の古い仕来りと言えよう。蛇足ながら「注連飾る」は年の瀬、冬の季語である。

  注連はるや神も仏も一つ棚 阿部みどり女