◎言葉の詮索 季節外れ2010/01/26

 四季の変化に富む日本列島では、それぞれの季節ごとにその季節を代表する草花があり食べ物があり、それを支える気象の変化がある。ところが地球もまた生き物だから時にはこの変化が微妙にずれることもある。そんな時には突然、他の季節の草花が咲き出したり、普段とは違う虫の音が聞こえたり、鳥が鳴いたりする。

 いずれの現象も決して偶然や気まぐれによるものではなく、常にそれらを引き起こす気象の変化や気象の変化に影響を及ばす何かがあって起きている。それらの多くは地球の表面における海水温の変化であったり、海流の変化であったり、気圧の変化であることが知られている。だが小さな生物にすぎない個々の人間にとって、それらの変化は自分の目で直接に確かめられる相手ではない。ただ過去の経験に照らして、いつもとは違うようだと感じるのみである。


 季節外れとは四季の移り変わりに敏感な一部の民族だけに与えられた特別な言葉である。そうした民族が日々の暮らしの中で経験してきた時間の経過による春夏秋冬の推移・物差しと、その時々に目や皮膚や耳などが感じる季節の推移・感覚との間の微妙なずれを表したものである。時季外れとか時候外れとも呼ばれるように、人々がその時点で実際に感じる季節の印象が先人の知恵や経験に照らして作られた人為的な物差しである暦の内容とは異なることを表現している。だから進みすぎると感じることもあれば遅れていると感じることもある。両者の間のこの微妙なずれ、このずれから生じる違和感などが季節外れという言葉を使わせるのである。


 つまり「季節外れの大雪」も「季節外れの台風」も「季節外れの蝉の声」も「季節外れのトンボの群れ」も皆、それぞれの季節と大雪や台風や蝉の声やトンボの群れが似つかわしくないこと、季節が一致しないことを表そうとしている。そこには驚きや意外性の表明はあっても、「的外れ」「期待外れ」などに見られるようなネガティブな印象は含まれず、何かを求めようとする気持もない。外れという言葉はまず前提となる基準があって、それとの間に一定の距離のあることを示すときに用いる。この距離をなるべく客観的に捉えようとしているところに季節外れという言葉の特徴があると言えるだろう。(つづく)