◎言葉の詮索 なまめかしい2010/02/07

 今この言葉は異性に対し平常心を保てなくさせるような、女性特有の格別な魅力を表すときに用いられる。漢字で「艶めかしい」と記すのも、もっぱらこの意を伝えようとしてのことであろう。そのため「あでやかで色っぽい」などと説明する辞書も少なくない。しかし元は「なまめく」から出た言葉であり、「なま」とは本来そうした色っぽさや色気とは無縁の言葉である。

 名詞「なま」は生とも記されるように生きていることを示している。しかしそこから転じて例えば火で炙ってないこと、煮てないことを表すようになったとき「なま」の使われ方に変化が生じた。「なま」から受ける印象が多様になり、未熟とか不完全とか、さらには中途半端などの意を感じさせる言葉へと変わっていった。

 一方「めく」は今でこそ名詞や副詞や形容詞などに付いて「…のような状態になること」を表す接尾語として知られるが、元は四段活用の動詞であった。春めく、時めく、古めく、ざわめく、ひしめく、ひらめく、ほのめく、よろめくなど多くの言葉にその形骸を見ることができる。この「めく」を意図的につくりだそうとするのが「めかす」である。うごめかす、きらめかす、時めかす、ほのめかすなど現代でも「それらしく見せる」や「そのように振る舞う」の意を含んだ言葉として使われている。だが、この動詞の特徴を最も端的に表すのは「粧す」である。一般には化粧を念入りにすることであったり着飾ったりすることの意に用いられるが、そうしたことの背景にはそのように見せたい、思われたいという強い意図があって実行される点に注意したい。

 では「なまめかしい」に色っぽさや艶など女性的な格別の魅力を感じるようになったきっかけは何だったのだろうか。ひとつは技巧が尊ばれた平安貴族文化の裏返し・反動によるものではないかと推測される。万葉の時代に見られたようなおおらかな男女関係からの変化とそれにともなう技巧および過ぎたる技巧への反動である。写真の大根はそれを説明するために掲載した。


 上掲は本来の「なまめく」を鄙びたものとして嫌い、これを避けるために化粧を施したり衣装を工夫して「粧す」ことに努めたものを表している。といっても実際には撮影する大根ができるだけ白くきれい見えるように、ヒゲ根や横筋の入っていない場所を選んだだけのことである。が、ヒゲ根や土色の残る横筋などがフレームの外に押し出されることで、写真には今風の言葉を使うなら「美白」とでもいった一種の洗練された美の追求の結果だけが写し出されている。これに対し次に掲げるのは畑から掘り出した大根を根菜としての特徴や根の曲がり具合などがそのまま見えるように撮影したものである。


 どちらの大根に、より多くの「なまめかしさ」を感じるだろうか。現代では人により、それぞれに育った環境や風土や文化の差があるので美の感じ方は一様ではない気がする。だが紫式部など平安貴族が用いた「なまめかし」は派手やかさや煌びやかさなど過度の技巧による装飾を排する一方で、決して万葉の素朴な生(き)のままの美を再評価したわけではなく、技巧を感じさせない程度にさりげなく演出されたり追求されたりした美のことを指していたと考えられる。

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