◎練馬野にも空襲があった 22010/03/06

 その女性とは都内を走るバスの中で偶然、隣り合わせた。腰の曲がり具合から想像して地元の農家の主婦ではないかと想像する。最初に話しかけたのは筆者の方である。道路の脇に電車の高架が立っていて、そこを黄色に塗られた電車が通り過ぎるのを目にした。これがきっかけとなって話が始まった。

「すみません、あの電車は昔なんて呼ばれていましたっけ?」
「うーん、確か武蔵野鉄道だったかな。もう忘れちゃったね…」

この時、近くから親切な若者が補ってくれた。

「今の西武鉄道は、武蔵野鉄道が合併してできた会社ですよ。お婆さんの言うとおりです」


 女性の記憶力が確かなことを知って今度は次の質問をしてみた。

「お婆さんはこの辺りのお生まれですか?」
「ええ、25歳でお嫁に行くまで大泉にいました」

「今おいくつですか?」
「84歳。今年は85歳になります…」
「ということは、終戦の時は20歳ですね。きっと、もてたでしょうね?」

 年を取って皺は増えていたが端正な顔つきの女性だった。ちょっと照れ笑いを見せた。そこで、思い切って聞いてみた。

「青年会では竹槍訓練をなさいましたか?」
「あんなもん、なんにもならないわ」と、女性は静かだが吐き捨てるような強い口調で筆者の顔を見て言った。(つづく)

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