○春の嵐--大銀杏行年一千歳2010/03/12

 昨日10日は65年前に東京大空襲があった日です。前夜の関東地方は季節外れの低気圧の通過で、所によっては雪も混じる嵐の晩となりました。俳句では音の関係で春の嵐のことを春嵐(はるあらし)、春荒れ、春疾風(はるはやて)などと呼ぶようですが、一般には春先に吹く強い南風の意です。多くは寒冷前線の通過にともなって吹くので雨の混じることがあり、気温が低いと雨が雹(ひょう)に変わることも少なくありません。そのためすっかり春めいた後にこれに見舞われると農作物に思わぬ被害をもたらします。

 ところで神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮ではこの嵐によって正面石段の左手にそびえる大銀杏が根元から倒れたとニュースになっていました。原因を前夜に舞った雪の重みのせいだとか、冠雪害などと報じるものもあったと聞きますが、こんな出鱈目を誰が言い出したものか不思議でなりません。改めて映像を調べてみてもどこにも雪は映っていません。一時的に白いものが雨に混じったことまでは否定しませんし、それが通常の雨よりも大銀杏には重く感じられたであろうことも否定はしませんが、そんなことを原因に挙げるようでは樹木の本当の専門家にはなれません。

 樹齢千年と云われる超人的な老木ですから、ここまで生きてきたことの方がむしろ不思議なくらいです。地面の片側を石段に覆われ、決して住みやすい場所ではなかったでしょう。すでに寿命は尽きかけていて21世紀に入ってからというもの、いつ朽ち果てるかは時間の問題でした。それを早めたのが昨秋10月に日本列島を襲った台風18号の暴風雨です。

 八幡宮の石段を登り社殿が近づいたら振り返ってみてください。段葛の向こうに鳥居が2つ見え、その先に材木座の海岸の広がっている様子がよく分かります。昔は段葛の辺りまで入江になっていたものが徐々に湿地へと変わりつつあったとき、たまたま幕府が開かれることになって埋立てなどの整備が行われたのです。今でも大銀杏から海岸までは2キロメートルかそこらの距離しかありません。しかもその間を遮るものが何もないので強い海風が吹けば、たちまち風に乗って海水が飛んできます。

 台風や大風の後、決まって境内の樹木の海側が茶色に変わってしまうのは、この潮風のためです。夏のうちなら若くて元気な樹木であれば新芽を吹くことも可能ですが、昨年は悪いことに黄葉との中間の時期でした。大銀杏は近年こうした海風によってすっかり根の力を弱らせ、特に昨秋以降は根の末端部分で枯死が進行していたと見るべきです。

 この点を八幡宮の関係者も市の観光協会などの関係者も見落としています。歴史遺産などと吹聴する前に、もっと生き証人としての大銀杏を大事にし、その悲鳴にも耳を傾けるべきでした。それでも倒れた時間帯が昼間でも早朝でもなく、それより早いまだ暗いうちだったことに安堵しています。お陰で人的な被害だけは出さずにすみました。不幸中の幸いと云うべきです。

 実朝が暗殺された際の生き証人とも云われる樹木ですが、実際の暗殺場所については疑問や異論もありますからここでは立ち入りません。それよりも実朝の事件から八百年もの長きにわたり生き続けてきたものを何の手立ても施すことなくむざむざ失ってしまったことに深い悲しみを覚えます。「武家の都」鎌倉は大切なものをまた一つ失ってしまいました。これだけは紛れもない事実です。


 写真は、この同じ晩に同じくさんざんな目に遭った玉縄桜の前日の姿です。花の命が一般の桜より長く1ヵ月も咲き続けると云われる品種ですが、満開に入っていたので春嵐の前にはひとたまりもなかったようです。(3月11日記)