◎季節の言葉 桃の花2010/03/17

 江戸の端唄に「梅は咲いたか桜はまだかいな…」と歌われるように、日本人のこの季節における花の関心は早春の梅に始まり梅が一段落すると次は一気に桜へと移ってしまう。ふたつの花の中間期に咲く桃の花にとっては定めし不本意なことであろう。但し桃には極上の甘さを誇る大粒の実という強い武器があって梅の庶民性やサクランボの希少性を寄せ付けない果物としての堂々たる顔をもっている。

 そのせいか、花桃と呼ばれるもっぱら観賞用で紅色が濃い八重咲きの桃の花や紅白咲き分けの源平桃なども知られている。この辺が果物となる一重咲きの桃とそうでない観賞樹との差だろうか。いずれの場合も花びらの色は桃色と呼ばれる薄紅色が主流であり、桜とは逆に白い花びらのものは少ない。それに単に白いだけの桃の花では有難味も薄いだろう。


 桃の産地としても知られる山梨県甲府盆地の東南側斜面が桃色の絨毯にびっしりと敷き詰められた光景を目にしたことがある。高校生の頃、小太りの漢文教師が涎を垂らしそうな顔で話してくれた桃源郷とはこのような景色を云うものかとそのとき思った。桃は仙果であり、仙界に暮らす仙人の不老不死の秘密のひとつがこの桃にあるのかも知れないとそう考えた。

 夏、収穫期を迎えた桃の実が枝からたわわに下がる様子を見ると古代中国の詩人たちがこの果物に清らかだけではない底知れぬ不思議な魅力を感じたであろうことがよく分かる。桃夭(とうよう)なる漢語にはそうした桃の実にも喩えられる年頃の娘の若く瑞々しいさまと、桃を見た人を強く惹きつけて放さない力のようなものまでが含まれている。だが現代は、そもそもこの語の存在さえ知らぬ人が普通だろう。

  桃つぼむ幼稚園までつき添ひし 室生犀星

 蛇足だが、犀星の句に使われた「つぼむ」は「つぼまる」とか「すぼむ」など壺に由来する動詞の「窄む」ではない。蕾に由来する方の動詞「蕾む」である。耳で聞けば音は同じ「つぼむ」であっても意味するところはむしろ逆に近い。前者では咲いている花が閉じるの意に変わってしまう。ここはもちろん後者の、蕾ができるとか蕾が膨らんでくるの意である。