◎言葉の詮索 縁結び(4)2010/04/09

 ましてこれが親類縁者となれば、夫や妻となれば、子となれば、兄弟姉妹となれば、それらの人が口にするものを自分も口にすることに何の造作や躊躇(ためら)いが要るでしょうか。日本列島には昔から、人間同士の繋がりや知り合うことの大切さを思う温かい気持が人々の心の中に息づいているのです。


 そんな島国に新たな言葉として定着した縁結びには単なる知り合いの関係を超えた、より深くより密接な関係へと進むことの願いが込められています。年齢の異なる他人同士があたかも親子であるが如くに契(ちぎ)る養子縁組み、血縁はなくても兄弟の約束を交わす義兄弟の契り、赤の他人同士だった男女が結びつく夫婦の縁組みなど様々な組合せによる結びつきが考え出されました。中でも若い男女の結びつきは生物としての本能に基づくものでもあるため和合による次の世代の誕生が期待されると同時に、他の結びつきとは異なる人間社会ならではの難しい問題も残されています。

 織田信長などの武将が活躍した時代、盛んに来日してキリスト教の布教に努めた宣教師たちは日本の人々に神の教えを説くため俗語を交えた平易な教義書をつくりました。その一冊「どちりなきりしたん」には「一度縁を結びて後は、男女ともに離別し、又、余の人と交はる事かつて叶はざるものなり」と、記されています。新しく誕生した徳川幕府の禁教政策によって宣教師たちは迫害されたり国外に追い払われたりしたため、この書の影響は極めて限定的なもので終ってしまいました。江戸の町ではかなり自由な男女の関係も行われていたようです。

 明治に入っても男女の悩みには深刻なものがありました。作家として知られる夏目漱石もまた夫婦の関係については最後まで悩み続けたひとりでした。長編小説「明暗」には「こればかりは妙なものでね。全く見ず知らずのものが、いっしょになったところで、きっと不縁になるとも限らないしね、またいくらこの人ならばと思い込んでできた夫婦でも、末始終和合するとは限らないんだから」と記しています。この作品は新聞に連載されていましたが、作者の病死によって結末を見ることなく終ってしまいました。作者がどのような結末を考えていたかは想像するしかありません。

 末始終(すえしじゅう)和合するとは夫婦仲の極めてよいこと、男女の関係が末永く続くことを指しています。ヒトがサルから進化した動物であることは最初に書きました。若い皆さんには「良縁を得たい」「この人となら結ばれたい」「縁を結びたい」と願う気持が大変強いことでしょう。しかしそうした気持が一時のものに止まっては固い縁結びにはなりません。「縁結び」とは二人が夫婦「である」という運命のような関係に落ち着くことではなく、夫婦でありつづけるために懸命に努力を「する」関係になるのだと肝に銘じることなのです。だから二人で一緒に、これを神仏の前で誓うことが終生解(ほど)けることのない固い固い理想の縁結びの第一歩になるのです。(了)

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