■風待草--新釈国語2009/06/02

 セイジ科ギイン属の四~六年生動物。日本原産。普段は東京永田町界隈に生息し、血税からつくられた歳費と呼ばれる主食を得て議員活動を行うほか、週末には議員パスを使って列車や飛行機に乗り、一時的に選挙区と呼ばれる場所に移動して風向きなどを観察して暮らす。自分からは決して汗を流さず、世の中の有為転変に期待する性向が見られる。そのため流行や変化には人一倍敏感で、その先回りをすることで常に追い風を受ける位置に立とうとする姿勢が強く、これが宵待草を彷彿とさせるとも、宵を待っても滅多に声が掛からないので風を待つしかないのだとも評され、命名の由来にもなっている。その政治家が小物であることの代名詞とされ、与野党を問わず政治家の度量を示す言葉として用いることができる。

■空き家--新釈国語2009/05/28

 離婚した著名人が未だ再婚していないことを遠回しに表現する言葉。単に「空きがある」とも言う。本来は住人が引っ越しなどで去った後に誰も越してこないため空いたままになっている家を指す言葉だが、同様の状況を直接または間接に示す言葉として広く用いられている。

新釈国語辞典(予告)2009/05/24

 明日から不定期で、新しい語釈辞典をお届けいたします。その時々に目にした言葉、耳にした言葉の中から選んで新釈の語義を紹介し、さらに原義や転義なども解説するものです。下記はその一例です。ご期待下さい。なお無断転載は固くお断りいたします。

■政権担当能力
 小父さんなどから引き継いだ莫大な遺産を寿命ギリギリまで使ってみせる能力。元は政権を引き継いだ内閣あるいは首班指名を受けた政治家の政治的手腕や政策立案・遂行能力を示す言葉だったが、政治家以前の精神的ひ弱さや常識不足を有する総理大臣が増えてその意味が転化した。能力発揮の前提となる総選挙での勝利に自信の持てない政治家がよく口にする言葉でもある。

彌栄・弥栄・いやさか2009/04/11

高遠小彼岸桜の彌栄を祈念して
 片田舎の結婚披露宴でも、大都会の一流ホテルの結婚披露宴でも祝辞や来賓の挨拶があると必ず一度は耳にする言葉である。「それでは、ご両家の彌栄を祈念して万歳三唱を行います」などという場面に数え切れないほど遭遇した。が、未だかつて「いや栄え」などという話は聞いたことがない。目で追う日本語(文字)と耳で聞く言葉が頭の中でつながっていない証拠でもある。あるいは若いときから他人の挨拶など上の空でしか聞いていなかったのかも知れない。いずれにしても耳学問の程度は今どきの大学生かそれ以下だろう。
 本来の表記法は「彌栄」だが近年は新聞を始めとして人名用漢字の「弥」で代用される例をよく目にする。「いや」は「いよいよ」とか「ますます」とほぼ同じ意味である。特に「いよ」とは発音の上でも「や」と「よ」の差しかなく言葉の歴史を考える上では非常に近い関係にある。「いよ」は漢字「愈」(正字は逾の之繞部分を心に替えた形)の訓として用いることが多いが、この字にはどこまで進んでも(上っても)さらにその先があるというような意味合いがある。一方、「彌」の場合は徐々に増えてゆき次第に満ち溢れた状態に近づくといった感じが強いため、意味合いとしては「ますます」により近いと言える。そのためか「彌栄」という古風な感じのする言葉ではなく、「益々」(ますます)を用いる人も増えている。
 「さか」は恐らく「さかり」とか「さく」と同じような意味合いを表現する発音(声)から生まれ、後にそれぞれ別の言葉として独立したものだろう。生命がみなぎる、溢れ出るような生の充実、生きていることの実感と幸福感に充たされているといった意味合いが強い。咲き誇る満開の桜、すくすくと育つ幼子を囲んだ3世代家族などを象徴する表現であり、言外に種の保存の永続性が暗示されている。「いや」には、この暗示された永続性を公にする働きがあると言えよう。

門外不出の桜(?)2009/03/31

東京練馬のコヒガンザクラ
 書画骨董など特に貴重な品物を秘蔵し決して屋敷外には持ち出さないことを門外不出という。ところが、旅行関連のサイトを眺めていたら「新宿副都心の西側にある新宿中央公園には約200本のサクラがあります。そのうち数本が高遠コヒガンザクラで、ソメイヨシノよりも先に満開を迎えます。ここの高遠コヒガンザクラは新宿区の友好都市である高遠町から贈られたもので、サクラとしては門外不出の品種です。」と記され、日付入りの写真も掲載されていた。
 気になるのは「門外不出」の使い方・用法である。書画骨董や仏像なら確かに倉庫や屋敷の奥深く仕舞い込めば門外不出にすることも可能だろう。だが、この場合は桜の苗木である。苗木を殖やすことは難しくないし、手に入れた苗木を移植することもできる。江戸時代でもあるまいし、いまどき禁制品扱いはないだろう。そう思って調べると世田谷区内にある都立公園・蘆花恒春園の花の丘区域にも「長野県高遠町よりいただいたタカトウコヒガン桜(15本)」があると分かった。しかも世田谷の方が本数もずっと多い。
 さらに調べていると、東京23区の西の端にある練馬区内の農家にも樹齢30年を超えるコヒガンザクラの大きな木があって毎年見事な花を咲かせると知人が伝えてきた。武蔵野を象徴するケヤキの大木には到底及ばないが、それでも空いっぱいに広がった枝々がどこぞの「門外不出」を嘲笑うかのように塀の外まで張り出して華やかに咲いていると教えてくれた。これでは用法どころか、記述の内容までが怪しまれてくる。