◎季節の言葉 野蒜2010/03/18

 春になって嬉しいのは野の物がいろいろ手に入ることである。蕗薹(ふきのとう)や蓬(よもぎ)なら名前くらいは多くの人の知るところだろうが、これを食するとなると現代人にはもう手が出せまい。特に高度成長期以降に育った人にとって野の物を口にするなどと聞くと、朝鮮半島の北側に暮らす人々でも見るかのような半ば蔑んだ目つきに変わることさえある。経済的には豊かになったつもりでも、その中身たるや米国渡来のハンバーガーとゲップの出そうなコーラ程度ではないかと逆に哀れにさえ思われてくる。これに紛いの牛丼など並べられると、余りの気の毒さに思わず涙が浮かんでしまう。誠に安っぽい脳天気な時代になったものである。


 野蒜はその名の通り野性の蒜(ひる)である。蒜の音は「さん」だが、これを「ひる」とするのは朝鮮語の蒜の音「ふぃる」に由来しているからだとする説がある。もしそうだとすると、この植物は彼の半島からの渡来物と見なすのが自然の道理であろう。だが全国津々浦々の土手や道端に顔を出している野蒜たちの繁茂ぶりを見るにつけ、本当に太古の列島には存在しなかったのだろうかと怪しまれてならない。それとも名無し草だったものに渡来人が故国の懐かしい野草の名を付けたのだろうか。

 蒜は万葉集にも登場し、水草の水葱(なぎ)などとともに古来より食用や調味用に供された植物である。だがその正体となると、鱗茎をもち強い臭いのあるアサツキ、ノビル、ニンニクなどの総称だろうと推測するしかないのが実情だ。なお「ひりひり辛い」などと云う場合の「ひり」を「ひる」に由来する表現と考える人もいるようだが、この説は鶏と卵の関係に似て、どちらが先であっても成立つところに難点がある。

  萌え出でて野蒜は長しやはらかに 池内たけし

 写真のノビルは腐葉土が積もってふかふかになった土手で摘んだ。根元を握って引っ張り鱗茎ごとそっくり抜き取ったものが多い。茎の先は刻んで味噌汁の具に加え、その他は茹でて酢味噌和えにして春の香りを楽しんだ。

◎練馬野にも空襲があった 42010/03/08

 そもそも大泉は近代になって、ある事情から生まれた新地名である。江戸時代は武蔵国豊島郡に属する土支田村上組、新座郡に属する橋戸村、小榑村、上新倉村長久保の各地域に当たるが、これらのどこを探しても大泉なる地名は見出すことはできない。明治に入っても東京と埼玉の府県境に近いこの辺りは22年の町村制施行まで埼玉県新座郡榑橋村、上新倉村、さらに東京府北豊島郡石神井村の一部であった。この時代にもまだ大泉なる地名は使われていない。大泉村の誕生は明治24年(1891)、これらの地域の全部または一部を併せて生まれた新しい村のために新しく考案されたものだった。

 当時、合併で生まれた新しい村の呼称をめぐって紛糾したことがあった。旧村が互いに譲らず困り果てていたとき、豊西尋常小学校長が白子川の源流である弁天池の湧き水に由来する泉村はどうかと提案した。これが元になって小泉(おいずみ)などの案が生まれ、誤読がされにくい大泉に落ち着いたと伝えられている。(「練馬区独立60周年記念ねりま60」より)


 そんな村のたった一つの駅が突然、大泉学園駅と改称されることになった。駅の北側に広がる原野や耕地を大々的に区画整理して学園を誘致しようという構想が持ち上がっていた。結局、学園の誘致は幻に終ったが、この辺りには珍しい整然とした区画の町並みと新しい駅名だけは残った。昭和8年春のことだった。(つづく)

◆豊後梅 22010/03/03

 ところで既に記したように豊後が大分県中部および南部を指す旧称であることは疑いない。だが、それだけで豊後梅の「豊後」を豊後の国の「豊後」と見なすのは危険である。その程度の論拠で納得していると、いずれ浄瑠璃の豊後節までが大分県の民謡と思われてしまうだろう。県のホームページで「豊後梅は、その名の示すように豊後(大分県)に発祥し、古くから豊後の名産として知られていました」と記すからには、名称以外の何か有力な根拠が必要である。

 しかし同県の県花・県木の紹介ページには、この点に関する明確な説明がない。「豊後梅の歴史」と題して江戸時代も17世紀後半の延宝9年(1681)に刊行された水野元勝の「花壇綱目」を紹介しているが、この刊本は今で云うところの園芸手引きであって豊後梅の由来を記すものではない。土質や施肥などの養生法は記しても、豊後国との関係には触れていない。この書の記載から推定できるのは、この品種が当時すでに園芸種として好事家などの間に一定の知名度をもっていたと想像されることくらいである。

 ホームページにはもうひとつ、杵築(きつき)藩主の松平公から「毎年将軍家に大梅の砂糖漬が献上され」たとの記述も見える。だが、この大梅を豊後梅と断定するためにはやはりそれなりの証拠や傍証が必要である。そうしたものが全て揃って献上の起源が明らかになり、それが江戸の初期17世紀初めにまで遡ることができて、しかも将軍家がこれを杵築の梅ではなく豊後の梅と呼んでいたことが文献や史料から説明できれば、当時まだ無名に近かったこの品種が江戸を中心に豊後梅(ぶんごのうめ)と呼ばれるようになったというようなことに、あるいはなるのかも知れない。

 そうなって初めて、上記の「花壇綱目」も大分県の県花・県木を支える史料のひとつに仲間入りすることができる。税金を使った仕事に史実に基づかない希望的記述や曖昧さは許されない。ただでさえ不確かなインターネット情報に新たなノイズを撒き散らすのは止めるべきだ。不明確な部分は「不確かではあるが」と率直に記す勇気が必要である。県の公式ページが今のような虚仮威(こけおど)しに近い文献史料の利用を行っていては県民の文化水準までが疑われかねない。(了)


◆りんごの誤解 残留農薬(3)2010/03/02

 ボルドー液はその名の通りフランスのボルドー地方におけるブドウ栽培から始まった果樹のための殺菌剤である。ブドウもりんごも収穫前のまだ木になっている状態で観察すると、いずれも表面が白く粉を吹いたように見える。ブドウの場合は果皮には直接手を触れないのが理想だから店頭で買い求める際にも、この白い粉を吹いたようなものは例外なくほぼそのまま残っている。

 だから気にする人は多分これを農薬のせいと思うだろう。そして白いものを洗い落とそうと懸命に水をかけたり、一粒一粒丁寧に粉を擦り取ってから食卓へ出している。また口へ運ぶ際にも皮が口へ入らないよう丹念に表皮を剥き去っている。だが注意深い人なら、この白い粉のようなものの付着がどうも農薬の散布とは関係ないとすぐに気づくはずだ。なぜなら農薬など全く散布していないその辺の庭の甘柿などにもうっすらと付いているからである。


 この正体は果粉と呼ばれ、りんごや柿やブドウなどが果皮の内側から出している保湿成分の一種である。生物として果実内の水分蒸散を調節するために自分自身で一種のワックスをつくりだし、自分の力で表皮に塗って保護に努めているのである。だから蝋のように固まってうっすらと白く見えるものもあれば、品種によってはまるで油でも塗りつけているかのようにベトベトするほどたくさん付いていて、洗剤を付けたスポンジなどで擦っても容易に落ちないものもある。りんごで云えばジョナゴ-ルド、つがる、千秋などが後者の例になろう。

 いずれにしてもこうした誤解が生まれる背景として、りんご農家を始めとする生産者側に情報提供の面で不足するものがあることを指摘しておきたい。またこうした問題の解決を行政に頼りすぎた嫌いもある。不審が不信を生み、言い訳がまた不審につながるという負の連鎖を断ち切るために、どうしてもこの辺で生産者自身による情報の積極的な開示と情報を継続して提供するための自助努力を始める必要がある。まずは農薬散布の実情を公表する農家・農園が増えてゆくことを期待したい。(了)

◆りんごの誤解 残留農薬(2)2010/03/01

 とは言え、人はそれぞれである。気にする人は気にするし、気になる人は気にして眠れなくなるかも知れない。そういう品は正直口にしないのが一番だが、それでは生産者が困ってしまう。こういう人は従来どおりに皮を剥いて食べるしかない。ミカンの皮と同様、この部分は食べないものと考えるよりほかあるまい。

 鯛の頬肉やヒラメの縁側を知らない人に、それらの美味さをいくら語ってみても始まらないのと似ている。ウマヅラハギは皮が厚くて食べられないだの、食べたこともないのに不味いと決めつけて平気で海や浜に捨ててしまう食の通人や美食家に説法するようなものだろう。所詮人は顔つきが違うように育ちも価値観も違うのだから無理に押しつけても仕方がない。


 もうひとつの方法は、公開されている農薬散布の計画表を入手し、不審な点は実際に現地へ出向いて自分の目で確かめるとよいだろう。例えば収穫のだいたい50日ほど前に散布するボルドー液が、りんごの皮の表面に点々と白く斑模様を残していることだってあるかも知れない。それらが果たして本当に水に落ちるものか、そもそもボルドー液とは何なのか、白い液体はどんな薬剤から作られているのか、皮の内側には吸収されないのかなど率直に疑問をぶつけ、納得の行くまでつぶさに調べることをお勧めする。都会の消費者がエアコンや空気清浄機の完備したビルやマンションの中で、自然環境の保護が必要だの食の安全が危ういだのと議論をしているよりは遙かに健康的だろう。

 一方、全国の果樹農家・農園には積極的にこうした計画表を公開し、消費者が直接自分の目で確かめる機会を設けて欲しいと願っている。そうすることで果樹など農作物栽培に対する真の消費者理解が進み、農薬散布に対する過剰な疑念や誤解が晴れることを期待したい。参考までに、ある農園の2010年の農薬散布計画及び実施結果をお目にかけよう。(つづく)

 ⇒ http://park7.wakwak.com/~hironiwa/Apple/chemical.pdf ヒロニワ農園(長野県飯田市)

◆りんごの誤解 残留農薬2010/02/28

 敗戦後を生き延びた世代にとってDDTは、ある種の懐かしさも湧いてくる白い粉末の殺虫剤である。進駐軍がシラミ退治のために持ち込み、小学校を回って子どもたちに頭の上からこの粉末を振りかけた。そんな光景を覚えている世代もまだ多いことだろう。このDDTが自然環境を破壊していると米国の女性生物学者レイチェル・カールソンが警告したのは1962年である。日本では高度成長が始まって間もない頃であり、彼女の著作 Silent spring に注目した人は希だった。「沈黙の春--生と死の妙薬」と題した邦訳が出版されるのはそれから12年後の1974年、日本におけるDDTの使用禁止はそれより3年早い1971年のことである。この年には環境庁が発足した。

 こんなことを書いたのは白い粉や白く乾いた器具の表面などを目にすると、つい昔のDDTのことを思い出すからである。かつて秋のりんごといえば国光が普通だった時代にはそれほど、この白く乾いたりんごの皮の表面は気にならなかった。井戸の水か川の水でちょっと洗って囓れば上等、普段はそんなこともせずにそのままドイツ娘と同様ズボンの膝で擦るくらいでかぶりついていた。それがある時から急に衛生観念が発達したのか皮は食べなくなった。ふじと呼ばれる甘い品種の登場した頃と時期が重なっているような気もするが明確ではない。とにかく必ず皮を剥き、それを四つ割りしてから食べるようになった。


 しかし今はまた変わった。りんご農家に知り合いができ、農薬散布の実際を一年を通して観察し、使用する農薬の中身についても自分の目で確認し、これなら特段りんごの皮を避ける理由には当たらないだろうと決めたからである。りんごの皮の美味さと、残留農薬摂取の怖さとを秤にかけた上での結論でもある。完全無農薬りんごは、りんごに限らず食全般について理想と思う。だが農薬散布を止めるとどうなるか病害虫の猛威を何年も続けて目の当たりにしていると、とても現実的な策とは思えない。

 それでも他の農家の内情まで全て観察しているわけではないし、特に最後の消毒・農薬散布の実施日を常に確認して購入しているわけでもないから食べる前にはそれなりに流水で洗ってはいる。実施日を確認しても収穫までの降雨量や雨の回数・降り方、雨の時の風の強さ・向きまで調べないと残留農薬の予測はつかない。そこまで気にするより、その分だけ丁寧に洗った方が賢明だと気づいたからである。(つづく)

◆りんごの蜜は甘くない2010/02/21

 いつの頃からか「蜜入り」を謳ったりんごが登場するようになった。子どもの頃に食べた国光やインドりんごには、そうしたものはなかったように記憶する。秋に訪れたドイツの町中でときおり若い娘さんがりんごを丸かじりする姿を目にした。試しに買い求めてみたが、日本風に言えば青りんごに近く、微かな甘みと渋みの交錯した比較的あっさりとした味わいだった。ホテルの朝食にもらったりんごも同じようなもので、どこか遠くで渋みを感じるようなところがあった。


 日本では「蜜入り」りんごの登場以来、りんごの値打ちはこの蜜の有無や多寡で決まるような印象がある。嗜好は民族や風土によっても異なるだろうから一概には云えないが、戦後間もなくの砂糖が貴重品だった時代が偲ばれる。砂糖も蜂蜜も手に入らず、甘味料はもっぱらサッカリンで間に合わせた時代が長く続いた。そんな時代に育つと、どうやら「蜜入り」と聞いただけで甘いと感じてしまうものらしい。その上、輪切りにされた芯の周りには蜜色の模様まで見えるのだから、もうどこにも疑う余地などなかった。

 ある時、四つ割りにしたりんごの芯を取り除き、さらにその周辺部にある蜜色の部分だけをえぐり取って食べたことがある。さぞかし蜜の味がすると思いきや、これがさっぱり味がしないのである。甘くも何ともなかった。騙された気がした。以来、例えばわざと収穫を遅らせて大々的に「蜜入り」を謳った無袋りんごを10キロ箱などで大量に送ってもらうことの愚にも気づくようになった。まさに過ぎたるはなお及ばざるが如しの格言どおりだった。

 その理由を解説したページを見つけたので紹介しよう。説明には「蜜自体はさほど甘くはない」とあるが、要は収穫が遅れている間に急に寒くなり、光合成によって生じた甘みの源であるソルビトール(一種の糖アルコール)の果糖などへの変換が止まってしまうために起こる現象と解される。蜜のように見えるものの正体は何あろう、糖類への変換が止まり細胞と細胞の隙間に溜まったソルビトールがせっせと集めた多量の水分だったのである。収穫期と糖度の関係だけで言うなら、気温の下がる直前を見計らって収穫したものが最上と思われる。だが現実は俗に云う「欲をかけば何とやら」も混じっているのだろう。(つづく)

◆リンゴの話2010/02/20

 先月、「季節外れ」の話をしたばかりである。今頃リンゴの話を持ちだすのは典型的な季節外れと言われそうな気もする。だが青森県りんご果樹課の資料を見ると、今や青森りんごの出荷は一年を通して行われている。しかも1~3月は出荷量の最も多くなる時期である。1月2月3月と尻上がりに増えている。(2006年産実績)

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2010/01/26/4839152 季節外れ
 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2010/01/27/4839991 季節外れ 2
 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2010/01/28/4841310 季節外れ 3
 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2010/01/30/4843865 季節外れ 4

 たかがリンゴと思ってはいけない。先月も書いたが、ことリンゴに関する限り食卓における季節感はもはや過去のものとなりつつある。花はともかく季題としてのリンゴの果実は、よほどの工夫や精進がないと佳句には結びつかない。難しい時代を迎えている。


 されどリンゴはりんごであり、林檎である。第一に、その名称からして謎だらけではないか。現代中国では apple は林檎とは呼ばない。どうも苹果 (ping guo) と呼ばれるようだ。耳で聞けば似ている気もするが、漢字・林檎の出自はどうなっているのか気になる。第二に、リンゴが一年中口に入るようになったきっかけは保存技術の進化だろう。さすれば、そこから何か学ぶことがあるはずではないか。

 第三に、昨今の学校教育は経済や金融など money に関わることも積極的に子ども達に教えているとか。それならばリンゴの流通は格好の教育材料となるはずだ。収穫されたリンゴがどのような経路をたどって食卓まで届くのか、知ることも悪くない。何よりリンゴは日本人にとって大変馴染みの深い果物である。商売や経営の基本を学んだり、食の安全について考えたりする上で身近な素材となるだろう。ということで、明日からリンゴについて考えてみることにした。(つづく)

◎言葉の詮索 なまめかしい2010/02/07

 今この言葉は異性に対し平常心を保てなくさせるような、女性特有の格別な魅力を表すときに用いられる。漢字で「艶めかしい」と記すのも、もっぱらこの意を伝えようとしてのことであろう。そのため「あでやかで色っぽい」などと説明する辞書も少なくない。しかし元は「なまめく」から出た言葉であり、「なま」とは本来そうした色っぽさや色気とは無縁の言葉である。

 名詞「なま」は生とも記されるように生きていることを示している。しかしそこから転じて例えば火で炙ってないこと、煮てないことを表すようになったとき「なま」の使われ方に変化が生じた。「なま」から受ける印象が多様になり、未熟とか不完全とか、さらには中途半端などの意を感じさせる言葉へと変わっていった。

 一方「めく」は今でこそ名詞や副詞や形容詞などに付いて「…のような状態になること」を表す接尾語として知られるが、元は四段活用の動詞であった。春めく、時めく、古めく、ざわめく、ひしめく、ひらめく、ほのめく、よろめくなど多くの言葉にその形骸を見ることができる。この「めく」を意図的につくりだそうとするのが「めかす」である。うごめかす、きらめかす、時めかす、ほのめかすなど現代でも「それらしく見せる」や「そのように振る舞う」の意を含んだ言葉として使われている。だが、この動詞の特徴を最も端的に表すのは「粧す」である。一般には化粧を念入りにすることであったり着飾ったりすることの意に用いられるが、そうしたことの背景にはそのように見せたい、思われたいという強い意図があって実行される点に注意したい。

 では「なまめかしい」に色っぽさや艶など女性的な格別の魅力を感じるようになったきっかけは何だったのだろうか。ひとつは技巧が尊ばれた平安貴族文化の裏返し・反動によるものではないかと推測される。万葉の時代に見られたようなおおらかな男女関係からの変化とそれにともなう技巧および過ぎたる技巧への反動である。写真の大根はそれを説明するために掲載した。


 上掲は本来の「なまめく」を鄙びたものとして嫌い、これを避けるために化粧を施したり衣装を工夫して「粧す」ことに努めたものを表している。といっても実際には撮影する大根ができるだけ白くきれい見えるように、ヒゲ根や横筋の入っていない場所を選んだだけのことである。が、ヒゲ根や土色の残る横筋などがフレームの外に押し出されることで、写真には今風の言葉を使うなら「美白」とでもいった一種の洗練された美の追求の結果だけが写し出されている。これに対し次に掲げるのは畑から掘り出した大根を根菜としての特徴や根の曲がり具合などがそのまま見えるように撮影したものである。


 どちらの大根に、より多くの「なまめかしさ」を感じるだろうか。現代では人により、それぞれに育った環境や風土や文化の差があるので美の感じ方は一様ではない気がする。だが紫式部など平安貴族が用いた「なまめかし」は派手やかさや煌びやかさなど過度の技巧による装飾を排する一方で、決して万葉の素朴な生(き)のままの美を再評価したわけではなく、技巧を感じさせない程度にさりげなく演出されたり追求されたりした美のことを指していたと考えられる。

◎言葉の詮索 季節外れ 42010/01/30

 一方、果実の場合は栽培技術が向上しても精々出荷の時期を早めるだけの促成栽培程度に止まっている。大規模な温室を建設して保温栽培に取り組み、商品の季節を若干でも早めることによって、そこに付加価値を見いだそうとする戦略である。大量に出回る前のまだ珍しい時季に、いわゆる早生(わせ)として出荷することで価格の上昇や安定を図ろうとしている。


 果実にはもうひとつ、出荷の時期をわざと遅らせることで味のバランスを整えたり、季節外れを演出する方法がある。前者の例でよく知られるのは伊予柑や和歌山県下津の「蔵出しみかん」だろう。冷暗所などに保管することで過剰な酸味が抜け、ほどよい甘さの商品に仕上げることができるし、時間の経過は出盛り期の回避にも貢献する。

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/02/12/4114353 伊予柑の謎
 ⇒http://www.ja-nagamine.or.jp/mikan.html 蔵出しみかん(JAながみね)


 しかし柿の場合はたとえ冷暗所に貯蔵したとしても熟成が進んで身が柔らかくなり、元のままの固い柿を維持することは難しい。そこで窒素ガスなどを封入した小袋に柿の実を詰め専用冷蔵庫に入れて越年させる新しい技術が開発された。この方法を利用すれば果実の熟成が抑えられるため、翌春2月頃まで柿の実の固さはほぼ収穫時のままに維持される。通常は一つの袋に2個の柿を入れるため、いったん封を開けたら二つとも食べてしまうことが理想だ。そうしないと一気に熟成が進み、残った柿はたちまち柔らかくなってしまう。


 柿の実は日本の農村の秋の風物詩にもなっている。昔から日本人には馴染みの深い誰もが口にできる食べ物である。そのためかリンゴやミカンほどには商品化が進まず、高付加価値化を図る工夫も一部の富有柿の産地に止まっている。今のところは季節外れの珍しさだけが際だつが、もし多くの産地で参入が始まればたちまち珍しさは失せ、晩秋の柿そのものの季節感も怪しくなろう。こうした点を肝に銘じ節度ある生産が続けられることを祈りたい。(了)