こぶし・拳・辛夷(1)2009/03/24

 春先あちこちを旅すると、野山に自生するこぶしが年に一度この季節だけに見せる鮮やかな白衣(びゃくえ)の立ち姿を車窓から楽しむことができる。山道の途中で下車してそば近くまで訪ねれば、春の空を背景に大樹一面に付けた小さな靴べら形の白い花びらが風に揺れ、いまを盛りと咲き競っている。俳句歳時記には田打ち桜の呼び名もあると記されているが、振り返っても里の田んぼに人影はなく、枯れ草に混じる雑草の緑を目にするのみである。こぶしの開花もやっぱり早まっているのだろうか。
 ところで、この「こぶし」を辞書で引くと、どうにも腑に落ちない説明が平然と記されていることに驚く。学名の Magnolia kobus からも察しられるように、この樹木は古くから日本列島に自生する植物である。当然、名称は大和言葉のはずである。もし「こぶし」という呼称が左右どちらかの手の指を握り締めた形に由来するとすれば漢字が伝来した後、これに「拳」の字を充てる人が出ても不思議ではない。だが、もうひとつの「辛夷」については理解に苦しむ。日本の在来種にわざわざ漢名を付す理由が分からない。