春の空・養花天2009/04/01

春の空
 夜明けがどんどん早くなる。ついこの間まで、6時過ぎてもまだ暗かったことなど嘘のようだ。だがせっかく早起きしても、遠望の楽しめる日はあまりない。春は黄砂あり、スギ花粉あり、そして大気中の水蒸気も増えて遠くの山々も海も島影も急に見えなくなったり霞の向こうへと沈んでしまった。
 そう言えば、春先は日本列島を通過する温暖前線の数が一番多い季節だ、と和達清夫博士の本で読んだことがある。冷え切った列島の地表面を太陽が本格的に暖め始めると、すっかり暖まりきるまでの間に霞がかかったり、梅雨があったり、台風がきたり、長雨があったり、霧が出たりといろいろなことが起こるのだろう。それが終わると、また太陽は南半球へと去っていく。嬉しくないこともあるが、お陰で植物が育ち季節を感じることも可能になる。
 さて詳しい話は気象の専門書に譲るとして、いま時分は暑さを感じる日があり、また急に冷え込むときがあって慌てる季節でもある。こうした桜の時季に似合うのはやはり薄白い色を含んだような明るい色の曇天ではないだろうか。その年々の写真を並べてみても、淡い山桜に相応しいのは晴れているか曇っているか分からないようなどんよりとした空の色である。抜けるような青空はどこか場違いな感じがする。この点が秋の紅葉との一番の違いであろう。
 漢字の故郷・中国には「花を養う天(そら)」と称する表現がある。花は梅を中心に春に咲く花々のいずれでもよい。日本でも一部の俳人には季語の「養花天」として知られる言葉だが恐らくこれなども、控えめな春の花たちを上手く引き立ててくれる、そんな薄曇りの明るい空を巧みに言い表したものであろう。まさに言い得て妙である。

霞と朧と霧と靄2009/04/02

 俳句でも和歌でも霞と霧は厳然と区別して用いる。春は霞、秋なら霧である。だが気象の世界では霞を雲や霧と区別することは無理なようだ。そうなると、せっかく先人が築いた万葉の景色や優美繊細も古今集の「もののあわれ」も「春は空気中の水滴と微細な浮遊物が結合して漂うからどうしてもこんな感じに見えるわけですね」で片づけられかねない。科学の力も時によりけり、風雅を楽しむときは忘れた方がよさそうだ。
 和歌や俳句の世界が鋭いと思うのは季節の区別ができるからだけではない。昼と夜の区別もちゃんとしていて、お日様のあるうちは霞、日が暮れて月が出れば朧(おぼろ)と呼び分けている。さらに感心するのは、霞とよく似た靄(もや)に手を出さないことだ。気象用語では霧よりも見通しのよい状態を指す言葉だが素人目には区別が難しい。種類も朝靄、夕靄、夜の靄、川靄、山靄、薄靄(うすもや)、雨靄(あまもや)などいろいろある。調べてみると小説では漱石(草枕)、藤村(夜明け前)、秋声(縮図)が春の描写に使っていた。察するに小説の描写には利用できても、単にモヤモヤするだけでは詩情も涌かないし、季節感をくすぐることにもならないのだろう。

◎新社会人に贈る言葉012009/04/02

 《千里の道も一歩から》

 中国の春秋戦国時代に活躍した老子は、今でも中国の人々に強い影響力をもつ道教の開祖と慕われる思想家です。その著作といわれ、また道教の経典とされる「老子」に次のような言葉があります。

○千里の行(こう)も足下(そっか)に始まる

 新しい社会人として職を得た皆さんのこれからの人生も今は、まだ先も見えないほど遠く長いもののように感じられることでしょう。でも30年や40年はあっという間に過ぎてしまいます。例えば東海道新幹線の開業や東京オリンピックの開催は45年も昔の出来事です。ところが60歳以上の人々にとっては、つい何年か前のことと感じられる事件でもあるのです。確かに45年という時間は過ぎているはずですが、その間の記憶がはっきりしないのです。確かな証拠がないのです。
 そこで、これから退職するまでの年月と日数をせめて数字として確実に記録する方法をお教えしましょう。給料をもらったら毎月、その月の日数に百円とか千円とか一定の額を決めて掛け算し積立てるのです。無理をする必要はありません。万一、職を失ったら減額してもよいでしょう。少ないと感じたらボーナスの時に別途、積み増しを行います。そして通帳を大切に保管します。面倒な人は定額方式の天引き積立でも構いませんが、とにかく定年まで毎月続けることが大事です。どんな千里にたどり着くか楽しみにしてください。

新社会人に贈る言葉022009/04/03

 《仕事に苦しみ、人生を楽しむ》

 新社会人となって2日が過ぎました。少しは気持が落ち着きましたか。将来に対する大きな期待とともに小さな不安も芽ばえ始める頃です。会社の先行きに対する不安、社長訓辞を聞いての不安、上司に対する不安、先輩に対する不安など、漠然としたモヤモヤが頭の隅を過(よ)ぎり始めた人もいることでしょう。
 イギリスの大英図書館が所蔵する「天草本金句集」という400年ほど前に九州天草でつくられた本の中に次のような言葉が記されています。

○良匠は材を棄つることなく、明君は良士を棄つることなし

 今の皆さんが「材」として職場に迎えられたのか、それとも「良士」として迎えられたのかは分かりませんが、会社(経営者・管理者)はこれから皆さんに接しながら皆さんがもっている良い点(特質)を見つけて、それぞれに最も相応しい仕事を与えてくれるはずです。それが重役とか部長とかマネージャーと呼ばれる人たちの役目です。
 その中で決して焦ることなく、しかし苦しみながら自分の特技を身につけましょう。そして自分は何に生きるのが一番適しているか考えましょう。そうすれば一歩一歩その道が近づいてきます。明日明後日はゆっくり休んで来週に備えましょう。

保育の禁じ手2009/04/03

 同じことを何度も行って、その行為・動作に慣れていることを日本語では「しつく」といいます。ですから「しつけ」は意識しなくても自然にその行為や動作ができるようにすることです。こうした言葉が生まれたのは「しつけ」をしないと、その行為も動作もできるようにならない、つまり「ぶしつけ」(お行儀の悪いこと)になると先人たちが考えたからでしょう。
 ところで行為とか動作と言いましたが、その中身を具体的にどんなものにするかはそれぞれの社会が決めることです。そのため地域や時代によって変化する部分も含まれています。武家と町家では共通する部分がたくさんある一方で、武家ではそれは言わないとか町家では許されるとかいう行為・動作がありました。しかし現代のような誰もが平等であるべき民主的な社会では「しつけ」は最大公約数的なものに変わり、その役目は他人に迷惑をかけないこと、他人に不快な思いをさせないことに力点が移っています。
 ところが保育園や幼稚園のような場所で、思わぬ「しつけ」の例を目にしたことがあります。夢中で遊んでいると中にはオシッコを漏らしてしまう園児がいます。すると、それを見つけた先生(保育士・教諭)がその子に向かって、ある決まった言葉を言わせようとするのです。先生はその言葉を子どもに言わせることで次のお漏らしを防ごうとしているのか、それともお漏らしの始末を引き受けさせることへの詫びを言わせようとしているのか、甲高い声で「さあどうするの、なんて言えばいいの」と叫ぶのです。
 相手に何かをしてもらうときのお願い、してもらった後のお礼は確かに人間として生きていく上で欠かせない行為・動作です。その意味で、その方法を教え礼儀作法として習慣づけることは「しつけ」のひとつと言えるのかも知れません。しかしお願いの仕方やお礼の仕方を一様一律にすることが良いかどうかは疑問です。大事なのは、相手に申し訳ないという気持や感謝の念が伝わることです。決して口先だけの問題ではないはずです。
 予防の点から見ても、ことさら先生が責め立てなくても子どもは「しまった」と気づいており、すでに衣服が濡れて不快な思いもし、周りの園児に対して恥ずかしいという顔もしています。せっかくの「しつけ」が、詫びの言葉を引き出そうとする先生の自己満足になっていないか是非みんなで点検して欲しいものです。

花疲れ2009/04/04

雨が降りませんように…
 古来、桜はぱっと咲きぱっと散るところが美徳とされてきた。とは言え人間の欲は限りない。一方ではなるべく長くもたせたいとも願っている。当然、満開日が気になり、天候が気になり、場所取りが気になる。幹事には予算や酒肴・趣向も気になる。そこで葛藤が生じ、苦しむことになる。これが第一の疲れである。
 第二の疲れは言うまでもなくその雑踏にある。着くまでは静かに花を愛でようと思っていても、花の咲く場所は確実に臨時雑踏所と化している。通行は蟻の行列が如く、頭上には賑やかな音楽が響き、足下では足音が響き、辺りには酔客の奇声がこだまする。
 しかもどんなに楽しくても、見終わった後は必ず家に戻らなければならない。酔っていようが眠っていようが確実に送り届けなければならない。もしクルマで出かければ、またクルマで帰らなければならない。交通渋滞に巻き込まれても辛抱強く運転を続けなければならない。欲を出して遠出でもしようものなら、疲れは間違いなく翌日に持ち越しとなる。これが第三の疲れである。
 そして第四の疲れは浮かれて飲み過ぎたときに生ずる。はしゃぎすぎた人には第五の疲れも待っている。財布を落とした眼鏡を無くしたは序の口、まだ運が良かった方だと心得たい。二日酔いのひどい頭痛が待っている。声がしわがれ、風邪を引き、医者通い・薬局通いが待っている。その醜態は職場での噂になり、暑気払いまでは聞かされ続けるのである。

 復唱に 欠伸が混じる 花疲れ(まさと)

櫻・桜・さくら2009/04/05

ソメイヨシノ 2009.4.5
 日本列島に暮らす人々が、どんな理由・思いでこの植物を「さくら」と呼ぶようになったかという話ではない。そうした語源説や起源説は花の下での宴会なら座興にもなろうが、その類の話に与(くみ)するつもりはない。
 日本で今「さくら」と称して用いる漢字の桜は、櫻の字の旁(つくり)である「嬰」の部分を略体にしたものである。この櫻の字にあたる中国の植物はその花が確かに日本の「さくら」と似ていることは似ているが、その幹は決して「さくら」ではない。日本で「ゆすらうめ」と呼ぶ植物である。
 万葉集には「佐久良」と宛てたものも見え当時(天平初期・8世紀前半)まだ櫻の文字の使用が完全には定着していなかったことを窺わせる。作者が藥師張氏福子であることも注目されてよい。少なくとも他の作者・歌人よりは植物に詳しかったはずである。

新社会人に贈る言葉032009/04/06

 《一に段取り、二に決断、三に実行》

 ライフネット生命保険(株)が今年2月行った「新社会人に関する調査」で明らかになった〈仕事ができる人〉のイメージを表す言葉です。皆さんはどう思われますか。目の前でバリバリ仕事をこなす先輩社員・職員のイメージと比べてみてください。組織の中で働くか個人で事業をするかにかかわらず、また旅行などをする場合にも常に要求される事柄と言えるでしょう。
 そこで、この3つを当面の目標にして、まずはこれからの仕事にどんな段取りが必要かを学びましょう。段取りは計画性と言い換えることもできます。要は仕事の目標とそれに至る過程を明確にし、その過程でどんな戦略を駆使するかといったことをあらかじめ考えておくことです。大まかなことは研修や先輩の指導があるはずですが、仮になくても自分で考えたり教えてくださいとお願いして必ず早めに身につけなければならないものです。
 決断の仕方・時機は先輩や上司を見て学びます。職人の世界では昔から、これを「盗む」と呼んでいました。先ほどの計画性にも言えることですが、仕事とは教わって覚えるものではありません。日々の仕事の中で必死に盗んで覚えるのが本来の仕事なのです。
 調査では3番目は「行動力がある」となっています。戦略を実行に移す機敏さが判断力にあるとしたら、次はそれを確実に実行することが求められるからです。大事なのは必ず上司の指示を得て行動することです。指示を待つことなく実行に移したいと考えたら必ず許可を取ります。身勝手な行動は職場に迷惑を掛けるだけです。その責任はあなた自身が負わなければなりません。社会人とは職場という看板を背負って生きている人間の別名でもあるからです。

春さらば(1)2009/04/06

峰の桜
 この題名に「そうかもう桜も終わりか、もうすぐ新緑の季節だな」と思った人は是非この先もお読み下さい。テレビ東京開局45周年記念ドラマ「春さらば」をご覧になった方はおさらいのつもりで、もう一段知識を深めましょう。「春さらば」という日本語には、かつて2つの意味があったのです。ひとつは「春が行ってしまうなら」、もうひとつは「春になったら」です。
 ドラマの中ではこの点が重要なポイントになっていて、女優の市原悦子さんが「ほら万葉集にあったでしょう」と言って解説していました。ちょうど民放の開局記念の時期と重なり多くのテレビ局がたくさんの記念ドラマを放送していましたが、果たして質が高く後味も悪くない、観て損したと感じない番組がいくつあったでしょうか。いま世代交代による番組の劣化はNHKも民放も関係なく、報道も制作も区別なく進行しています。
 そんな中で、この井上由美子さんの脚本は懐かしくも豊かな日本語表現に注目し、それを家族と介護という現代的な最も難しい問題に絡めて巧みに仕上げていました。もちろん3人のベテラン俳優(山本學、原田芳雄、市原)と一人の若い女優(夏川結衣)の普段着に近い演技にも支えられていますが、何よりも脚本の水準が高いこと・前向きな制作態度が久しぶりに見応えのあるドラマに仕上がった真の要因と言えるでしょう。

新社会人に贈る言葉042009/04/07

 《仕事は盗んで覚えろ》

 若い皆さんは「盗む」という言葉に対して抵抗感や嫌悪感を覚えるようです。そうした潔癖さは一面では好ましいことでもあるのですが、言葉のせいで一番肝腎なことが伝わらないとしたら困ります。今日は前回までのおさらいも兼ねて、なぜ「盗む」のか、「教わる」ではダメなのか説明しましょう。
 昨日までの3回の中で伝えたかったのは、皆さんはすでに社会人としての一歩を踏み出しているということです。踏み出した分はもう過去であり、それを取り戻すことはできません。それよりも前を見て、過去の失敗を繰り返さないよう決意すべきです。それが賢い生き方です。しかしそうしていても、気がつけば、あっという間に40年が経ってしまうのです。そして40年間どう生きたのか、何をしていたのかと白髪頭を掻きながら嘆くことになるのです。
 毎月給料がもらえる間に、何とか自分の特技を身につけるよう心掛けましょう。そうすれば必ず、その先に続く長い人生を様々な面で支えてくれます。経済的にも精神的にも社会的にも家庭的にも大きな力となって人生を豊かにしてくれます。
 先輩の優れた仕事を盗んで覚えることは特技を身につけるためのコツであり、その第一歩です。教わろうとする受け身の姿勢でつかめるのは精々、教えてもらった範囲の事柄です。何を教えてもらえなかったのかまで考える余裕はありません。だからそれを知ることも、つかみ取ることもできません。常に盗んでやるぞという強い気構えで仕事に臨んでこそ見えないものも見えてくるし、教わらないことにも気がつくのです。単に仕事を教わっているだけでは、将来の特技など夢のまた夢だと思ってください。