■総理の品格--新釈国語2009/06/30

 内閣総理大臣に求められる品格のこと。品格とは人間一般に共通する感情や意志などの傾向とは別に、ある地位や身分などにある者が醸し出す特有の厳かさ・節操・言行の節度などをいう。またそうした地位や身分にある者に対してのみ期待される品格についても用いる。子細は地位や身分によって異なるため、これを一概に定義することはできない。しかし国の行政権を担当する最高の合議機関である内閣の代表者・首長として行政各部を指揮監督し、条約の締結や予算の編成など多くの重要な職務権限を有する立場にある内閣総理大臣には当然のことながら一般人よりは遙かに高い品格が求められるはずであり、自ら言い出したことについて軽々しく変更や撤回をしないこと、また過去に議決に加わった事柄についてあれこれ言い訳をしないことなど一般人並みの要望が出るのは政界に人材が払底した証拠でもある。かの中川某財務大臣の醜態なども知るだけに余計その感を強くする。

■前倒し--新釈国語2009/06/30

 期日を予定より前に繰り上げること。期日を立っているものに擬(なぞら)え、それより手前が現在に近い側、それより向こうが遠い将来を表すとする政治・行政用語。前倒しは手前に倒すことをいう。これにより期日は現在に近づくため、予算の執行、選挙や施策の実施、会議の招集などが早まる。逆に向こう側に倒すと期日はさらに遠のくことになり、先送りと呼ばれる。背景には人間の寿命に対する無意識の焦りがあり、限られた時間の中で都合の好いことはなるべく多く経験し都合の悪いことはなるべく減らしたいと願う人間心理の産物でもある。都合の好し悪しには個人差が潜むため前倒しや先送りの調整は容易ではない。

■政権--新釈国語2009/06/30

 政治権力の略。社会の政治的機能を遂行するために用いられる権力のこと。その最高に位置するものは国家権力と呼ばれる。権力に対する欲望は軍国主義の下では常に軍人や大将に向かい、民主主義にあっては概(おおむ)ね政治家や宰相に向かうとされる。

◎アジサイ回顧(6)--夏便り2009/06/30

 大槻の約転説を採るためにはその裏付けとなる証拠が必要です。直接の証拠は見つからなくても傍証ぐらいは必要です。しかし如何せんこの約転は万葉以前に起きたものです。つまり証拠となるものを先人の記録から見つけ出すことは不可能な時代の話です。まだ日本では文字というものを知らなかった時代の出来事です。
 もっとも万葉以後であれば約転の例を見つけ出すことは容易です。例えば「今昔物語」に「世の中をあぢきなしと思ひ取りて出家しけり」とある「あぢきなし」は、万葉の時代には「あづきなし」と言われていました。万葉集には3首登場し、それぞれ「小豆鳴」「小豆奈九」「小豆無」と記されています。この続き(最終回)は20時過ぎに掲載します。

◎アジサイ回顧(7)--夏便り2009/06/30

  玉衣のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来にて思ひかねつも

 次は「さゐ」の検討です。上掲の一首は柿本人麻呂による相聞歌です。やはり「狭藍」が詠み込まれ、「狭藍左謂沈」と記されています。大槻は「さゐ」を「さあゐ」からの転としていますが、契沖の言う「さゐ」も恐らくは「さあゐ」から転じたものでしょう。藍(あゐ)は青(あを)と同根の言葉です。つまり同じ青系の色を「さゐ」とか「さあゐ」と呼んでいたのです。人麻呂の「さゐさゐしづみ」も同じ青系の色を詠んだものでしょう。それを今風に言えばブルーな気持の象徴として使ったのです。
 大槻の言う「真藍」と契沖の言う「狭藍」の違いは万葉仮名として用いられた「真」と「狭」の違いだけです。これが青の色味として、目の前のアジサイにどれくらいの色の差を要求するかは残念ながら不明です。「さ」は狭衣、狭霧、狭織、狭筵、狭山、小筒、小鳴き、小百合、小夜、小夜中など多くの言葉の接頭語として用いられています。それらの中には少し、小振りといった解釈が適用できそうな例もありますが意味不明のものもあって、差の有無も色味についても軽々に論じることは困難です。これらの微妙な差は、記事と一緒に掲載した水色系のアジサイたちをご覧になればお分かりいただけると思います。
 これで今年のアジサイ関係の記事は全て終了します。最後にご紹介するのは一輪で一度に七変化を演じる西洋アジサイです。撮影日は今月2日の早朝でした。(完)