■窮余の策--新釈国語2009/07/24

 追いつめられ、どうすることもできなくなってから苦し紛れに思いつきで行う対策や行動のこと。言葉の意味合いは多分に否定的であり、策を評価しようとする意図は感じられない。時に嘲笑の意が含まれることもある。なお窮には能動的な「きわめる」の意と受け身的な「きわまる、追いつめられる」の意があり、窮尽は前者の例、窮余は後者の例になる。余は「すえ、のち、そのあと」の意であり、窮余は追いつめられ身動きができなくなったそのあとを表している。窮余の一策、窮策ともいう。

○プロのトマト2--夏野菜2009/07/24

 まだ誰も来ていない。早速トマトを川に放り込み、冷やしておく。泳ぎ場は自分たちで流れを堰き止めて造った場所だから、トマトの冷やし場も忘れずに設けてある。堰の近くに小さな穴を開け、水の流れが上手くトマトを抑えつけて冷やし続けるよう工夫してある。万が一流されても川下まで追いかけなくてすむように、堰の下には囲いを二重に設(しつら)えることも忘れなかった。
 準備体操が終わる頃、友達が一人また一人とやって来る。全部で4人を超えたところで泳ぎ始める。それまでは水に入っても膝小僧くらいまでで、それ以上深いところへは行かない。4人になれば万一溺れても2人が救助に当たり、一人が助けを求めに走ってゆける。これが子ども達の知恵だった。もちろん縄も用意してある。
 トマトは一泳ぎした頃、みんなが泳ぐのを眺めながら川原の焼け石に腰を掛けて囓った。こうして台風が来て大雨が降るまで夏休みの昼は来る日も来る日も欠かすことなく大川へ通い、トマトを囓り、水浴びをして遊んだ。大雨が降ると大川はたちまち増水し、急ごしらえの堰は跡形もなく流され、ただの川原に戻ってしまう。台風が早く来た年は本当につまらない夏休みだった。
 写真は昨日のトマト畑の出荷後の様子。最初に熟した2つはすでに摘み取られ販売された。残ったひとつも今日の天候次第だが多分、明日の朝には摘み取られ出荷されるだろう。これくらいまで養分を吸収し日光を浴び続けたトマトはやはり甘さもみずみずしさも歯触りも違う。一度その味を覚えると、長旅をして店頭に並ぶトマトなどは食べられなくなる。値段もこちらの方がずっと手頃である。

○戻り梅雨(1)2009/07/24

 日本列島の本州沿いに停滞して長雨を降らせる梅雨前線が北に押し上げられ、梅雨が明けたと思った後に再び南下して前線の影響が強まり、あたかも梅雨が戻ったかのような悪天候が続くこと。これが戻り梅雨の意味です。返り梅雨と呼ばれることもあります。気象庁から今年の梅雨明けが発表された翌日の早朝に案じたことが現実となってしまいました。

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/07/15/ 朝焼け

 上掲の記事は、ラジオで気象予報士が「俗に梅雨明け十日と言いまして」と早速、付け焼き刃の披露をしていたので書いたものです。もう少し知恵を働かせた表現をするなり、せっかく梅雨の紹介をするなら梅雨にもさまざまな形のあることを伝えるべきでした。そうしておけば彼女たちの名も上がるし、気象庁もあまり責められなくて済むだろうにと、つい考えてしまいます。
 資格試験が花盛りで、○○検定というのも大流行(おおはやり)です。その利用価値や意義について質問を受けることも少なくありません。が、所詮はいずれ変わらぬ付け焼き刃の細切れ知識を詰め込むものがほとんどでしょう。漢字検定が漢字の読み方は問うても考え方は問わないのと同じです。そんな御墨付きを求めるより、自分が興味を持ったことがあればそれについてとことん調べるなり関連の文献を漁るなりして、末永く勉強を続けることが大事です。そうすることでその分野に限られない、学ぶ力や考える力が育ってゆくのです。
 写真は相模の国の西北にそびえ、雨降らし山の異名を取る大山阿夫利(アフリ)神社の御神体に雨雲が掛かった様子を撮したものです。今でも関東や東海地方には大山講があり、大山参りが盛んに行われています。落語「大山詣り」の舞台として知られる場所でもあります。(つづく)

○赤詰草--盛夏2009/07/24

 シロツメクサとの違いは呼称の上では赤と白の色だけのように感じるが、植物としての見た目は随分と差がある。この植物にはムラサキツメクサという呼び名もあり、花の色には白っぽいものから赤紫系まで幅があるようだ。写真の花は子ども時代の記憶より遥かに赤味が強く、紅色が鮮やかに感じられたので撮影した。
 アカツメクサの花は軸の周りに群がってつく花穂(かすい)と呼ばれる球形をしていて俗に穂状花序(すいじょうかじょ)とか総状花序と呼ばれることもある。この点ではシロツメクサも似たようなものだが、花穂の大きさも色も印象もまるで違う。それに何より茎が違うし、葉が大きく異なる。明日はシロツメクサの紹介と「詰草」の由来について記す予定。

◆麻生内閣浮き石論(3)2009/07/24

3:一部が河床を離れ、下を水が流れている石。
 麻生が自民党という大きく広い河床に密着するのではなく、総裁総理である自分に対し自民党こそが密着して来るべきだ。麻生は首相就任以来ずっと、本気でそう考えていた節がある。頭の隅にはおそらく小泉元首相の論法や手法があり、党内に国民的人気という点で自分に並ぶ人物がいない以上それは当然のことだと信じて疑わなかった。そこに大きな誤算があった。麻生の人気はさほど高くなかった。
 そこへ追い打ちをかけるように次々と身内の不祥事が起こった。まず中山国土交通相が言わなくてもいい日教組批判を打ち上げて港も出ないうちに沈没し、閣僚や内閣の傲慢さと危うさを強く印象づけた。そして党内で独自に行った世論調査の結果を示され、こんなはずではないと麻生は考え込んでしまった。すぐに挽回できると踏んだ麻生はとりあえず未曾有の大不況を理由にして解散を見送り、経済対策で予算をばらまく手法に出た。そして平成21年度の本予算を含む計4回もの予算案を通して人気の回復を図った。がその効果は薄く、内閣支持率は下がるばかりだった。こうして自民党内でも麻生内閣との間に隙間が生じ、塩川や中川と呼ばれる小さな水の流れとなって少しずつ小石などを押し流し始めた。
 解散を先延ばしにする際、麻生は自分の内閣が短距離用の小型船舶を使って船出したことをどうも忘れてしまったようである。その性能では果たしていずれかの港に着けるものかどうかさえ危ぶまれる状況に陥っていた。事あるごとに参議院の嵐に遭遇し、そのたびに小泉郵政選挙の遺産である2/3の数に頼っては衆議院で再可決させるしかなかった。その結果、麻生内閣は自民党内だけでなく有権者・国民との間にも大きな隙間が生じ、こうした事態を繰り返すたびにその間隙は拡がっていった。
 これに止めを刺したのが中川財務・金融担当相の問題だった。麻生みずから百年に一度と呼んだ大経済不況が黒船のように海の向こうから押し寄せているとき、事もあろうにその担当大臣がローマで世界のマスコミを前に醜態を晒してしまった。酒飲みには理解があるのか麻生は盟友をかばってみせたが中川はついに辞任に追い込まれ、国内はもとより海外からも、お友達や盟友で組織する内閣の無責任ぶりと政治家としての資質を疑われることになった。低劣な事件はさらに鴻池内閣官房副長官によっても引き起こされた。
 これでは自民党内に「麻生おろし」の声の上がらない方が不思議であろう。しかし事はそれほど単純ではない。すでに安倍以来3人もの総理大臣を有権者に無断で取り替えた上での騒ぎである。自分たちが麻生を総裁として持ち上げたことへの説明が十分になされない中でまたしても総裁を取り替えれば済むという発想では、有権者・国民と自民党との隙間は補修の効かないところまで拡がってしまう。そのことに気づく議員が極めて少ないところに政党としての自民党の真の危機が潜んでいる。
 たまりかねた各派閥の事務総長や党執行部の努力によって麻生は、何とか総理総裁としての体面を維持し解散に漕ぎ着けることができた。しかし、この解散はもはや自民党を再生させるための戦略でも戦術でもなかった。独りよがりの宰相「ぐらぐら太郎」が、とにかく自分の手で解散するという勝手な目標のためだけに存在していた。まさに我(が)を張り通した末の解散劇だった。
 解散から投票日まで40日間もある。異例尽くめの長丁場を生かして人気総理が全国遊説し、小泉郵政選挙並みの大勝利を勝ち取るという戦術は未だ描けずにいる。党の支持母体である団体に挨拶回りなどをして時間を費やしているに過ぎない。窮余の策というよりは、お茶を濁しているようにさえ見えてくる。多くの候補者の本音は不人気の伝染を恐れ、遊説依頼を控えることにあった。