●朝のスイフヨウ2009/09/06

 このスイフヨウは午前07時52分に撮影したものです。昼近くの花びらの様子とは異なることがお分かりいただけると思います。漢名を酔芙蓉と記すそうですが、この写真は定めし一杯いただく前の素面(しらふ)での記念撮影といったところでしょうか。
 花の名前が出たついでに漢字「酔」の話もしておきましょう。粋(いき)も酔も今は専ら略字が使われていますが、元は粹あるいは醉と書きました。これが正字です。つくりの「卒」には尽くすという意味があり、醉は定められた酒の量を余さず飲み尽くすことをいいました。それがいつしか酒を飲んで酔いつぶれることを指すようになり、酩酊の一歩手前かそれに近い状態を表す字に変ってしまいました。
 しかし酔うのは酒を飲んだときだけではありません。麻酔は薬物によって一時的に神経の機能を止めることですし、心酔は興味あるものなどに心を奪われることをいいます。また日本では物好きな人のことを酔狂とか酔興といいますが、中国では酔狂は文字通り酒によって心が乱れる意であり、酔興は楽しく酒に酔うことをいいます。酒好きで知られる唐の詩人白楽天がみずからを酔吟先生と称したことも有名な話です。

■ネガティブキャンペーン--新釈カタカナ語2009/09/07

 キャンペーンとは一般大衆に対しキャンペーンを仕掛ける側の都合・期待に添った行動を取るよう意図的かつ組織的に働きかけること。働きかける際の目的により、一般大衆は消費者、購読者、視聴者、有権者などと呼ばれることも多い。ネガティブは働きかけの姿勢や手法の傾向や性格などを表す言葉であり、後ろ向きで否定的な意味合いの強いことを示している。つまり相手が消費者であれば自社の商品の利点や長所を宣伝することより、競合する他社商品の欠点や短所を意図的計画的に吹聴して、結果として自社商品の販売を有利に導こうとするような性格をもった販売宣伝活動を指す。
 かつて自家用車の普及が本格化した時期に「となりのクルマが小さく見えまーす」というテレビコマーシャルや新聞広告を制作して販売合戦を展開した自動車会社があった。周囲より少しでも上級クラスに見えるクルマを所有したいと願う消費者の心理を衝くものとして話題を呼んだが、公正取引委員会から不正競争防止法に触れると注意され放送・掲載の中止に追い込まれた。選挙では対立候補にまつわる様々なスキャンダルを噂として巧妙に流したり、街頭演説で計画的に誹謗中傷や激しい批判を繰り返すことによって相手候補を貶(おとし)めようとする手法などが知られている。
 しかしこうした手法の裏側には消費者心理も有権者心理も常に自分たちの都合や目的に合わせて自由に操ることができると考える思い上がった気持があったり、真正面から勝負したのではとても勝ち目はないと考える敗者の意識が見え隠れするため、消費者や有権者にこうした気持を見透かされるとキャンペーンは失敗する。2009年夏の総選挙で与党側が展開した民主党に対する政策批判一辺倒の戦術や同党幹部に対する個人攻撃キャンペーンがその典型である。

○写真は昨日掲載のスイフヨウを裏側から撮影したもの(午前11時13分撮影)。

◆駄々を捏ねる政治家達2009/09/07

 幼い子供が自分の思い通りにならないとき、親や周囲の近しい大人に我が儘放題を言ってぐずぐずしてみせることを「駄々を捏ねる」という。「捏ねる」のそもそもの意は粉や土に水などを加えて練ることだが、転じて無理・難題などをあれこれ言い続ける意となった。「駄々」の後に子供が好きな遊びである捏ねるを使うことで、これが知恵がつき始めた幼少期の子供に特有の現象であることを表している。拗(す)ねる、ともいう。この場合、駄駄あるいは駄々の文字に特別な意味はなく、単に「だだ」という表現・言い回しを視覚化するための当て字に過ぎないと考えるのが一般的である。
 言葉の起源は江戸時代初めまで遡ることができる。用例を見ると当時は、どうやら激しく地面を踏みつけて怒りなどを表す意に用いられた語と推測される。しかし江戸時代も中頃になると現在と同じく、子供が甘えて我が儘を言う意に変化したことが分かる。以来300年間ずっと子供の我が儘を表す代表的な言葉として使われてきた。
 ところが2009年に入り、再び大人にも同様の現象が見られるようになった。今のところ確認された事例は次の3件である。まず7月の東京都議会議員選挙で大敗した自民・公明両党による特別委員会設置反対を口実にしての臨時都議会の招集反対と流会騒ぎ、次いで8月30日の横浜市長選挙で敗れた自民党横浜市議団が見せた林文子新市長に対する挨拶受け入れ拒否、さらに国政レベルにおいても特別国会を前に議員控室の割り振り・総入れ替えをめぐって抵抗を続ける自民党国会対策委員会といった具合で、いずれも男性中心の保守党政治家による駄々っ子ぶりが目に付く。そのため拗ねるといった、大人の女性に見られるような色っぽさは感じられない。地方ではなく東京横浜で起きていることも特徴だろう。
 間もなく、先月30日の総選挙で選ばれた議員による特別国会が始まる。衆議院では正副議長の選出や委員長人事などが予定されている。歳費という高額の国税を消費し税金の配分に絶大な権力を振るってきた旧政権与党の政治家達がこれらをめぐっても同様の騒ぎを引き起こすか、未練がましい駄々っ子ぶり・幼児化現象をいつまで続けるか、その諦めぶりが注目される。

■下駄の雪--新釈国語2009/09/08

 下駄の歯に付着した雪のこと。雪の1~2センチも降り積もった道を下駄で歩くと、白いはずの雪道に下駄の歯で踏まれた跡から地面の土色が顔を出し、まるで漢字の「二」の字を書いたように見える。これが下駄の跡だが、地面が顔を出すのは踏まれた雪が下駄の歯に付着するからである。しかも雪は踏まれるたびに固まり次の雪が付着して、なかなか下駄の歯から落ちることがない。
 自民党と連立を組んで与党の一員となり都合4回の総選挙を闘った公明党は時に自民党の政策に異を唱えることはあっても10年間一度も政権を離脱することはなく、問題があっても最後は必ず自民党に同調して閣内協力を貫き通した。こんな公明党の対応ぶり・姿勢に対し、自民党の幹部が鼻歌交じりに漏らした言葉が「踏まれてもついてゆきます下駄の雪」だった。
 常に庶民の味方と称し、また政権与党としての実行力を誇示し続けた公明党ではあったが、他の政権より政策的に近かいと言われた福田政権の幕引きにも手を貸すなど内実は権力志向が強く、政権の座の維持に異常なほどの執念を見せたことも事実である。下駄の雪は、こうした公明党の政治姿勢を肝心の連立相手である自民党が最初から見透かし巧みに利用していた証拠と言えるだろう。政治は所詮「キツネとタヌキの化かし合いよ」と主張する人々に、格好の材料を提供していたことになる。

○夏の終りに2009/09/09

 めっきり秋めいてきました。秋めく、今めく、時めく、色めく、よろめく……。日本語にはいろんな「めく」があります。「めく」は名詞だけでなく副詞にも付きます。形容詞や形容動詞の語幹にも付きます。そして○○らしくなる、○○のような状態になるという意を表す動詞をつくります。それだけではありません。「おめかし」も「めかす」も皆この「めく」から派生してできた言葉です。
 この「めく」を漢字で表そうとした人がいました。考えた末に選んだのが「粧」の字でした。米偏は白粉(おしろい)を表し、つくりの庄には容貌をつくるとか整えるなどの意があります。しかし日本語の「めく」にはそうした人為的な意味合いはありません。敢えて言うなら天のなせる業、神の御手による変化が「めく」であり、それを真似て何とか天のなせる業に見せかけようと努力するのが「めかす」ということでしょうか。

 ひまわりは夏を象徴する草花です。昔はどこに行っても同じ形のひまわりが咲いていました。が、今ではいろいろな品種を目にするようになりました。今日はその1回目です。ひまわりと言えばゴッホ、ゴッホと言えばひまわり、というくらい日本人にとっては馴染みの深い画家と画題です。

  向日葵が好きで狂ひて死にし画家 虚子

○草木瓜--実りの秋2009/09/09

 ボケの実は漢方で用いられる。そのためか中国では花ではなく実に注目しての命名となった。草ではなく木に瓜形の実が生る。これが呼称の由来であろう。しかし中国原産と言われる木瓜(ぼくか・もくか)と、日本の山野に自生する草木瓜(くさぼけ)とがどれほどの差のあるものか実はよく分からない。
 物の本には木瓜は人の背ほどの高さになるとか庭木に用いられるなどとあるが、盆栽に仕立てた物などを見ると草木瓜との区別は容易でない。強いてあげれば草木瓜の花が薄い朱色混じりの如何にも田舎育ちといった白色系であるのに対し、到来物の園芸種には紅色あり、白あり、咲き分けありと都びている点だろう。
 写真はまだ夏の盛りの草木瓜の実を撮したものである。具合よく日に当たり、綺麗に色づいている。蔕(へた)の部分が見えなければ青リンゴと紛うばかりの色や形である。こうしたものはそう多くない。もし薄紅色がなくて表面が薄黄色の土色に近ければ今の季節、長十郎や幸水といった梨の実と間違えるかも知れない。
 なお秋になれば黄色く熟してよい香りがするとか酸味が強いなどと記すものを見かけるが、目にする草木瓜の実はどこまでも石のように堅く、さほど香りがよいとも思えない。もっぱら25度の焼酎に入れ、氷砂糖を加えて木瓜酒にして楽しむ。年数が経つと紅色の濃さがどんどん増して独特の赤黒い色に変る。そして口当たりもどろっとした感じになり、ややクセのある薬のような味がする。この辺に漢方に選ばれる秘密があるのかも知れない。

○向日葵の種子2009/09/10

 ひまわりには日輪草という、向日葵に劣らぬなかなかの佳名がある。また誰が付けたものかは知らぬが火の車ならぬ日車の称で呼ばれることもある。原因はゴッホならずとも、この形に太陽の炎を連想する人が多いせいだろう。時に20~30センチもあろうかという大輪の花を付け、輪の周りにはあたかも炎のごとき花びらが踊る。この花びらが昨日の写真のようにかなり長く賑やかに見える品種もあれば、今日の写真のように「花びらもありますよ」とまるで幼児の絵のように申し訳程度に添えられる品種もある。
 ところで中国の人々は、ひまわりの種子が好物である。よく口に入れて食べている。ということまでは知っていたが、いつもポケットに入れて持ち歩き、人の目の前でも何でも構わず口に入れて噛み砕き、所構わず「ぺっぺっ」と外皮を辺りに吐き散らす様には恐れ入った。特に列車の中でこの光景に出くわしたときは、いくら笑顔で勧められてもその種子を押し戴く気にはなれなかった。
 中国原産ではない植物が中国大陸に伝わったとき、人々がその種子に注目した理由は何だったのだろうか。そして、どこからこうした食べ方を学んだものであろうか。ひまわりの種子からは油も採れるのに。気になる。

  日車や金の油をしぼるべく 野村喜舟

○小型のひまわり2009/09/11

 ひまわりはメキシコから北の北米大陸が原産とされるキク科の植物である。今日の写真を見ると「なるほど、これはキク科の花に違いない」と感心する。近頃よく見かけるようになった、花の直径が7~8センチの品種である。茎が白っぽいことも特徴であろう。但し丈は決して短くはない。写真のようにかなり高くそびえるものもある。
 メキシコという地名を聞いて思い出すのは、ロサンジェルスで日系のタクシー運転手が嘆いて口にした次の言葉である。「メキシコの人は困るんだよね。ゴミでも何でもそこら中に捨ててしまうんだ。一生懸命説明するんだけど、まるで分かってくれないんだよ。ゴミという観念がまるっきり無いんだろうね。」
 まさか、ひまわりの種子に罪はないと思うが、ひょっとしてこの植物にはそれを一度口にした者にゴミもご馳走も忘れさせるほどの不思議な遺伝子が含まれているのでは、と先年の中国旅行の一こまが思い出されておかしくなった。その運転手は続けた。「日本の人はその点、安心だね。だから僕も親が日本人であることを誇りに思うよ。」

  いづこにも向日葵咲かせ戦後妻 吉野義子

■御都合主義(1)--新釈国語2009/09/12

 一定の見識をもつことなく、その場凌ぎで物事を処理したり行動することを軽蔑していう言葉。都合の前に付けた御(ご)の文字と末尾の主義がこうした行動に対して軽蔑の眼で見ていることを表す。都は旧字体では者の部分にもう一画、点が付いている。今も奢や緖には使われている字体だが、人が集まるの意があり、人が集まってできる邑(むら)の意となった。都(みやこ)はこれに部首の大里を付けることで、邑がさらに発展して人口が増えたことを表している。なお都会も都市も都の音は漢音の「ト」であるが、都合や都度の場合は呉音の「ツ」になる。これは後者が日本で生まれた漢語風表現だからである。そのため都合も漢音を用いて「トゴウ」と読むと意味が変り、全部を足す・合わせるなど総計の意となる。

 御都合主義(ごつごうしゅぎ)はもちろん誉められたことではない。だが、何でも不変の見識さえあればよい・示せばよいというものでもない。例えば大企業の経営者が自社の利益のみを守るという大方針・定見の下に法人税は上げるな・引き下げよ、温室効果ガス削減目標は緩和せよ、などと叫ぶのはいかがなものであろうか。官僚や政治家が国益を守るという不変の大方針を理由に軍備増強に走り、原発推進のみを唯一のエネルギー政策と主張し、そのために惜しみなく税金をつぎ込もうとするのは本当に国民の安全に役立っているのだろうか。食料の大半を海外に依存するという政策は誰のためにあるのだろうか。(つづく)

○写真は松葉ボタン。夏を謳歌したこの花にも秋の気配が漂い始めている。

○吾亦紅(1)--野の草花2009/09/12

 子どもの頃、植物の名をワレモコウと聞いても取り立てて感慨を覚えることはなかった。草だろうか、花だろうかと不思議に思っただけである。それが、長じて書物の中に吾亦紅の3文字を見つけたときは、これぞまさしく先人の知恵、何と優雅なと感じ入った。
 多年草でもあるこの植物の漢名は地楡(じゆ)という。褐色を呈し太くて逞しい根っこの薬効に注目したが故の呼称であろう。それに引き替え、わが和名の何と優雅なことか。しかも漢文調に「ワレモマタカウナリ」とは実に愉快な命名ではないか。と独り悦に入って喜んだ。発見でもあった。そして紫式部が「源氏物語」の中で、この植物にも言及していることを知った。
 源氏の話は明日に回し、今日は藤原忠俊の娘が白河皇女郁芳門院に仕えて安芸と呼ばれたときに詠んだ和歌を紹介する。鳥羽天皇后にして後白河天皇生母と言われる待賢門院にも出仕したと伝わる女性だから、時代としては紫式部より100年近く後のことであろう。

  鳴けや鳴け 尾花枯れ葉の きりぎりす われもかうこそ 秋は惜しけれ 郁芳門院安芸