◆旗幟鮮明(3)2009/11/05

 社会教育政策の変更を模索していた文部官僚にとって、この概念はもってこいの乗り換え先だった。何より「教育」ではなく「学習」であることが魅力的だった。この語には関係部局の延命と業務の継続だけでなく、将来的な業務権益の拡大までも予測させる響きがあった。巧みに乗り換えれば、文部行政には幼児期における読書の問題から熟年や老年の各種教養講座の受講さらには社会人の大学入学まで全ての年齢層にわたる学習機会の確保に口出しができるようになる。

 その結果は高額予算の獲得や天下り先の確保となって次々に業務を意義のあるものに変えてゆくだろう。「学習」には、そんな可能性が秘められていた。まさに文部官僚にとってバラ色に満ちた改革の始まりであった。因みに戦後発足した社会教育局が生涯学習局に名称変更したのは昭和63年(1988)、現在の生涯学習政策局となったのは平成12年(2000)である。

 一方、同じ分野に関わっていても学界の研究者は冷めていた。日本生涯教育学会は昭和54年(1979)の設立呼びかけ以来、ずっと「生涯教育」で通している(学会設立は翌55年)。当然、英語ではlifelong educationと呼ばれ、その立場は教える側に替わる。だが中身としての差はないはずだ。

 いずれにしても、こうした行政や学界の努力にもかかわらず、収斂や旗幟鮮明という熟語を読めない日本人が増えている。読めなければパソコンでも書けない。しかも字書で確かめようともしないから改善される見込みもない。そんな日本人が増えつづけている。一向に減らないし、減る見通しも立たないのである。(つづく)