◆気が重い(1)2009/12/24

 先月の26日を最後に「たまの」さんの原稿が止まってしまいました。師走が近い頃だったので文字通り本業に追われて時間が無いのだろうと高を括っていました。が、10日経っても20日経っても一向にブログの話には乗ってきません。年末休暇が始まっても再開の気配がありません。
 そこで思い切って、ブログ途絶の理由を尋ねてみました。当人は至って元気で週末以来、植木の手入れが忙しいとのことでした。高い三脚に登って黒松の手入れをしながら、ぽつりぽつりと最近の様子を語ってくれました。この話は、時々降ってくる松の枝先を避(よ)けながら書き留めたものです。
 写真は小休止のため三脚から下りてきたとき「今の気分に近い風景だ」と教えてくれたものを掲載しました。とは言っても毎回、こんなにもどんよりした景色ばかり載せたらお読みになる方はきっとうんざりされることでしょう。次回からは、せめて写真だけでも穏やかな風景に差し替えて欲しいと願っています。御縁がありましたら、どうぞお付き合いください。(文責・木多)

◆気が重い(2)2009/12/25

 安保世代の「たまの」さんにとって、最近のマスメディアに踊る日米同盟という言葉は喩えようもないほど激しい違和感を覚えるものだと言う。もう半世紀近く前のことになるが1960年(昭和35)6月、国民的なうねりとなりつつあった日米安保条約改定に反対する学生や教員や労働組合員の声を全国紙という巨大なメディアが突然寄ってたかって潰してしまった。いま日本のマスメディアは、普天間基地移設に関する日米合意の見直しを進めようとする鳩山内閣に対し、どこの国の新聞かと見紛うような恫喝まがいの居丈だかな論調を展開している。そうした紙面を目にするたびに、あの時の苦い記憶が蘇ってくるのかも知れない。
 だがマスメディアが元々当てにならない存在であることなど百も承知のはずである。こんなことで急に気が重くなるはずがない。そう思って尋ねると、次のように説明してくれた。日本国憲法第9条を大事にする人も、この条文を変えたいと思う人も、日米安保条約など不要という人も、これを必要不可欠の条約と考える人も、在日米軍基地の問題を口にする以上は避けて通れない議論・視点があってしかるべきだが、それが政府からも与党からも野党からもどこからも出てこない。
 こんな馬鹿げた民族があるだろうか。この国はまた明治の初めに戻ってしまったのだろうか。そう言えば「坂の上の雲」とか何とかいう前時代的な、非常に危うい歴史観に基づく明治期礼賛のドラマも始まったと聞く。こうした風潮の中で人々は、ただ日米同盟が大事だとか日米関係が心配だと安直に考えてしまうのだろうか。そして日本は中国やロシアより偉大だったと煽るような戦場シーンを流すことにも疑問を感じなくなってしまうのだろうか。と、ここまで話して溜息をついた。
 写真は歳末のこの時期になってもまだ時々目にする散り残りのヤマモミジ。温暖化の影響か、なかなか葉を落とさない。(文責・木多)

◆気が重い(3)2009/12/26

 沖縄県の面積は日本の国土全体から見れば僅か0.6%である。それでも東京都よりは少しだけ広い。但し広いといっても160もあるという小さな島の面積を寄せ集めた数字であり、最も大きな沖縄本島で比べるとその割合は0.32%弱となる。沖縄本島だけで見れば香川県の3分の2にも満たない面積である。
 この小さな沖縄本島の19%にあたる土地を米軍が基地として今なお24時間365日占有使用している。この現実を日本の人々はどこまで本気で考えているだろうか。そもそも、この事実を知っているだろうか。マスメディアはどこまでそれを伝えているだろうか。伝えようとしているだろうか。

 ⇒ http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=14&id=579&page=1 米軍提供施設・区域の概要 (沖縄県基地対策課)

 現代社会に国際空港は欠かせない。それでも成田空港反対闘争が起き、今なお完全には解決していない。成田が駄目なら他の場所に造らなければならない。空港なしでは国際交流は不可能になる。電力にも似たことが言える。日々電力の世話になりながら多くの人が原子力発電所の建設に反対している。エコだ何だと言いながら、環境負荷の大きい火力発電所の世話になっている。水力発電の発電量は安定しているが、発電量全体に占める割合は低下傾向にある。太陽光発電や風力発電の見通しも決して明るいものではない。それでも現代人は電力の使用を止めないし、止めることができない。(文責・木多)

◆気が重い(4)2009/12/27

 ゴミ焼却場や屎尿処理場は都会で暮らす人々にとって無くてはならないものである。この意見に異議を唱える人は一切ゴミを出さない生活を送っている人か、隣人に迷惑を掛けない方法で堂々とゴミの始末ができる人だけだろう。だが、そんな人でも大小便の始末には困るだろう。知恵を出しても、これらの施設を都会の生活から不要にする妙案は浮かんでこない。だからゴミ焼却場や屎尿処理場は誰かが引き受け、何処かに必ず造らなければならない。
 在日米軍基地を専用施設の面積で見ると実に75%が沖縄県に集中している。沖縄県の資料ではその数38、防衛省・自衛隊の資料でも33の専用施設が沖縄県に置かれている。沖縄県の人々は太平洋戦争末期に本土決戦の盾にされて島もろとも戦火で焼かれ、その上さらに戦後は米軍統治下での暮らしを余儀なくされてきた。本土復帰が叶ったとはいえ米軍基地の島という現実は何ら変ることなく続いている。そして日米地位協定に象徴される屈辱的な取り決めの一方的な犠牲だけを強いられている。

http://www.mod.go.jp/j/defense/chouwa/US/sennyousisetuitirann.html 在日米軍施設・区域一覧(防衛省)

 これら米軍基地・専用施設の問題が単純でないのはゴミ焼却場や屎尿処理場とは違ってまずその必要性から議論しなければならないことである。大事だ必要だ不可避だと声高に叫ぶ保守党やマスコミの論調がある一方で、観念的に不要だ無用だと主張する政党もある。不思議なのは前者に与(くみ)する人々が大事だ大事だと主張しながら75%が沖縄県に集中する現実に目を向けないことである。沖縄本島の2割近くを基地が占める異常さについて、地元の人々が納得できるような懸命の努力も説明もしていないことである。
 換言するなら、基地周辺に暮らさなければならない人々を同じ人間・同胞とは見ていないのである。多くの日本人は、こうした犠牲のお陰で高度成長を謳歌できたことも世界第2位の経済大国にまでのし上がったことも知らないし、知ろうともしない。もちろんマスコミもそれを伝えようとはしない。この無念さが「たまの」さんの心を重くしていると感じた。
 写真は師走を迎える沖縄本島摩文仁丘と海。(文責・木多)

◆気が重い(5)2009/12/28

 では沖縄県民の味方ですよと言わんばかりに普天間飛行場の国外移設を叫ぶ政党や政治家の主張には真実みがあるだろうか。残念ながら答えはノーだ。これが「たまの」さんの心を重くするもうひとつの原因である。
 口先だけの主張や御為倒(おためごか)しは容易だが、それは一時のリップサービスにしかならない。もし国外移設が本気なら、在日米軍の存在を法的に裏づける日米安保条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)の終了を堂々と主張し、条約の第6条に記される「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。」の効力を終らせなければならない。
 いやしくも税金を費消して活動する公党には、それに足るだけの対応を要求したい。この条約がすでに不要なものであることを国民に分かりやすく説明し、その上で米国に対し第10条に基づいて「この条約を終了させる意思を通告」するのである。そうすれば日米安保条約は「そのような通告が行なわれた後一年で終了」して、沖縄県に偏在する米軍基地の現状を一挙に改善へと導くことができる。
 それが嫌なら、あるいは安保条約がまだ必要だというなら、あとは他の都道府県が沖縄基地の肩代わりをするしかない。これまでの非を詫び、「遅まきながら肩代わりさせてください」と申し出るしかない。条約の終了も言い出さなければ他県の説得にも乗り出すことなく、安易にグアム移転などと主張する政治家の論法には詐欺商法にも等しい匂いを感じると腹を立てていた。(了)
 写真は師走を迎えた沖縄の海辺。(文責・木多)

○昨日の月2009/12/31

 昨日は所用があって遠出した。帰りの車中、かなり整った形の月が東の空に昇り始めたのに気づいた。早速カメラを取り出し、撮影の準備に入った。だが、いざシャッターを切ろうとすると舗装の継ぎ目が次々に現れるのか、そのたびに揺れて焦点が定まらない。同行者に道路の様子を教えてもらいながらようやく写したうちの一枚を掲載した。

 調べてみると昨日正午の月齢は13.6だった。 だから今日の月は14、明日の月は満月の15となるはずである。見えるかどうかは天候次第、運次第だが。(「今日の月」へ続く)

○今日の月2009/12/31

 多くの人が年一回の初日の出に注目する。寒い思いをしても一目拝みたいと、東側が開けた眺めのよい高台へと向かう。あるいは焚火を囲みながら浜辺で夜明けを迎える人もいる。しかし夜明けは寒い。心底冷える。この時ばかりはマンション住まいも悪くないと思ってしまう。マンションなら東側の窓のカーテンさえ開けておけば炬燵に潜っていても拝むことができる。山へ登る必要も外気に触れる必要もない。

 高層ビルの東側に位置するレストランに早朝営業してもらうのもよいかも知れない。二年参りのつもりで高層ホテルの東側の部屋を予約する手もある。手打ち蕎麦で年を越し、初日の出を拝んだ後はロビーで搗いた餅で雑煮を振る舞ってもらう。どれも我が身には無縁の夢のような話である。

 因みに東京の日の出は6時51分、札幌は7時06分、那覇は7時16分である。千葉と水戸は6時49分、横浜は6時50分、ともに東京より少し早い。不思議な気もするが計算ではそうなるとのことだ。謎解きのヒントは日の出の方角にありそうだ。(「明日の月・元旦の月」へ続く」

 ⇒ http://www.nao.ac.jp/koyomi/ 国立天文台天文情報センター

○明日の月、元旦の月2009/12/31

 話が横道に逸れた。今日の話題は「お月様」である。昨日の月の出は東京の場合14時50分だった。今日は15時57分、そして明日は17時11分と発表されている。つまり毎日1時間以上遅くなる計算だ。

 冬の月というと、とかく寒々しい印象が強い。だが満ちてゆくときの月は日中の空にあって気づかない人も多い。寒々しく感じるのは満月を過ぎて欠け始めた月のことではないだろうか。

 と、ここまで考えて、もうすぐ訪れる2010年の初日の出の前に実は本当の満月(月齢15.0)が拝めることに気づいた。西の空に沈み、明日の夕方見(まみ)えるときはすでに欠け始めている。新しい年の幸ひ(さきわい)を真正の満月に祈るなら今晩しかないのである。

 これを拝みそこなうと、かつて平家の人々が西海に落ち延びたとき福原の旧里で眺めたような「しもの弓張り」月を暫くは拝んで暮らすことになる。下弦の月の方がやはり寂しさは勝るだろう。縁起を担ぐ人は急ぎ眠って除夜の鐘に起こしてもらうか、または夜更かしをするしかない。起きていれば、僅かだが部分月食の余禄にも与(あずか)れる。

 写真は枯野に立つ南天を選んだ。今年一年の難を転じてくれるよう願ったつもりである。ところで、この記事を年が明けて見つけた人のために一言付け加えておきたい。万一、今夜の満月を見そこなっても、2010年1月には満月がもう1回ある。だから慌てる必要はない。その代り2月は満月が無いので油断は禁物だ。

  冬満月凡妻の名をほしいまゝ 吉田なかこ