◆気が重い(4)2009/12/27

 ゴミ焼却場や屎尿処理場は都会で暮らす人々にとって無くてはならないものである。この意見に異議を唱える人は一切ゴミを出さない生活を送っている人か、隣人に迷惑を掛けない方法で堂々とゴミの始末ができる人だけだろう。だが、そんな人でも大小便の始末には困るだろう。知恵を出しても、これらの施設を都会の生活から不要にする妙案は浮かんでこない。だからゴミ焼却場や屎尿処理場は誰かが引き受け、何処かに必ず造らなければならない。
 在日米軍基地を専用施設の面積で見ると実に75%が沖縄県に集中している。沖縄県の資料ではその数38、防衛省・自衛隊の資料でも33の専用施設が沖縄県に置かれている。沖縄県の人々は太平洋戦争末期に本土決戦の盾にされて島もろとも戦火で焼かれ、その上さらに戦後は米軍統治下での暮らしを余儀なくされてきた。本土復帰が叶ったとはいえ米軍基地の島という現実は何ら変ることなく続いている。そして日米地位協定に象徴される屈辱的な取り決めの一方的な犠牲だけを強いられている。

http://www.mod.go.jp/j/defense/chouwa/US/sennyousisetuitirann.html 在日米軍施設・区域一覧(防衛省)

 これら米軍基地・専用施設の問題が単純でないのはゴミ焼却場や屎尿処理場とは違ってまずその必要性から議論しなければならないことである。大事だ必要だ不可避だと声高に叫ぶ保守党やマスコミの論調がある一方で、観念的に不要だ無用だと主張する政党もある。不思議なのは前者に与(くみ)する人々が大事だ大事だと主張しながら75%が沖縄県に集中する現実に目を向けないことである。沖縄本島の2割近くを基地が占める異常さについて、地元の人々が納得できるような懸命の努力も説明もしていないことである。
 換言するなら、基地周辺に暮らさなければならない人々を同じ人間・同胞とは見ていないのである。多くの日本人は、こうした犠牲のお陰で高度成長を謳歌できたことも世界第2位の経済大国にまでのし上がったことも知らないし、知ろうともしない。もちろんマスコミもそれを伝えようとはしない。この無念さが「たまの」さんの心を重くしていると感じた。
 写真は師走を迎える沖縄本島摩文仁丘と海。(文責・木多)

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