○白梅日記072010/01/11

 間が悪いとはきっと、こういうことをいうのでしょう。誰も撮影に見えなかった昨日、兄姉の中に「もう待てない」と叫んで開花したものがいます。その様子をこっそりお目にかけましょう。家の老主人が「やっと咲いたか」と撮したものです。


 老主人によると、暖冬だと言われる割りには例年より開花が遅いそうです。私たちは花を咲かせると、大抵のものが実になり梅干しになって食べられてしまいます。そのため兄や姉たちも私も、昔のことは学校で習う以外に何も知らないのです。


 ところで兄姉弟妹の多くは、撮影に見える方の都合に合わせようと、まだ咲かずに頑張っております。白梅が義理を知らない不実な植物と言われるのは困るからです。梅にとって不実は禁句です。昨日は皆で話し合って、一日中しっかり目をつむっていました。それでもあの陽気でしたから、一昨日の写真と比べるとだいぶ口元が緩んでいます。私たちの努力も知っていただけると嬉しいです。

■角を矯めて牛を殺す--新釈国語2010/01/11

 角は動物の頭頂部に突き出た円錐形の硬い突起をいい、矯めるは性癖や形状などを世間一般の価値や基準に添うよう改めることをいう。牛には2本の角があり、円を描くように互いに内側に曲がって生えているが、この場合の矯めるとは(1)自己の価値観、都合、独善などに基づいて角とは本来、垂直に生えるべきものであると決めつけること、(2)この決めつけに添って角の形状を垂直に改めるために無理に強い力を加え続けること、の二つの行為を指す。

 牛を殺すとは、これら二つの行為がもたらした結果にほかならない。牛は生きていてこそ農耕にも牛車牽きにも使えるし、厩肥もつくる。だが、死しては食肉になるぐらいの用しかない。決めつけが無理強いを生み、無理強いが仇(あだ)となって牛は死に至る。死んだ牛を蘇らせることはできない。決めつけがなければ牛も死なずに済む。賢人ならば後悔する前に、まず決めつけの愚を廃さなければならない。

 ところで辞書は、この言葉について「少々の欠点を直そうとして、かえってそのもの自体を駄目にする。枝葉にかかずらわって、肝心な根本をそこなうことのたとえ」と記している(大辞林)。しかし最初から角を「少々の欠点」と説いたのでは辞書の解説にはならない。これでは角の曲がりを欠点と見なす背景に何があるか伝えることができない。「肝心な根本をそこなう」ほどの愚かな行為は常に、この背景によって引き起こされる。辞書を名乗る以上、そこに身勝手な価値観に基づく独善主義の潜むことくらいは明らかにしてほしいものだ。(つづく)