◎季節の言葉 蒲団・布団2010/02/12

 夜具としての布団を季題とすることに違和感を覚える人もあろう。敷き布団は四季を問わず年中必要なものだし、掛け布団が欲しいのは秋の半ばから春先までの半年間である。特に冬の寒い間、これなしで眠ることは難しい。そう考えると布団とは掛け布団のことであり、冬の季題にしているのだろうか。多分そんな感想を持たれることだろう。まさにその通り、冬の季題として知られる。立春を過ぎたとは言え、このところの冷え込みは寒の戻りを思わせるほどに冷たい。各地で雪や冷たい雨を降らせ続けている。

  蒲団きて寝たる姿や東山 嵐雪

 作者の嵐雪は蕉門古参の高弟として知られる服部嵐雪のことである。この句は詠まれた当時から、俳諧を志す者の間に広く膾炙していたことが分かる。次の句は、そうした事情があって初めて詠まれたものだろう。与謝蕪村は嵐雪に師事した早野巴人の門下として知られ、嵐雪から見れば孫弟子にあたる人である。句には「東山の麓に住どころ卜したる一音法師に申遣す」との題詞が付いている。侘び寝には落ちぶれた者同士が一枚の蒲団を分け合って眠るうらぶれた物寂しいさまを彷彿とさせる響きがあり、蕪村らしい叙景と離俗を柱にした自在の境地がうかがえる。

  嵐雪とふとん引合ふ侘寝かな 蕪村


◆空徳利を振ってみる 官僚の献立2010/02/12

 政策の立案など土台、彼等には無理な仕事なのだ。政権与党の座にあったとき何となく順調にこなしているように見えたのは、裏で霞ヶ関の官僚たちが内政面の大枠をお膳立てしてくれたからである。国際関係は米国の後ろ盾があったから、その顔色を伺いながら機嫌を損ねないよう努めていたに過ぎない。しかし官僚たちが滅私奉公などするはずもない。十分すぎる福利厚生、世間の常識を超える退職金、そして数々の天下り先と、その見返りはしっかり受け取っている。米国とて同じこと、事あるごとにあれを買え、これを買えと要求したり、様々な支出の肩代わりを強いてきた。

 旧政権党の国会議員たちにどのような政治的理想があったのか、誰か確かめた人がいるだろうか。本当にそうしたものがあったのかさえ実は疑わしいのではないだろうか。そんな連中でも私腹を肥やすことには人一倍熱心に取り組んできた。だからこそ政権交代で利権を奪われたと勘違いし、その腹いせに騒ぎ立てているのではないだろうか。どうしてもそう見えてしまうのである。


 しかも野党に成り下がった自民党のすることは旧野党の日本社会党などの活動と比べても誠にお粗末なものである。ひたすら猿まねを繰り返している。新しい戦略も工夫も知恵も見あたらない。彼等が政権党であった時代、多くの日本人は自分が食べることと家族を食べさせることで精一杯だった。毎日そのために汗を流し、夢中で懸命に働いた。だから政治家や官僚に多少の粗相があっても振り向く暇はなかった。そんな余裕があれば、その分は自分の稼ぎに回すことを考えた。

 自民党が長期政権を維持できたのは、こうした勤勉で実直な多くの日本人のお陰であったことを知る必要がある。だから政権を奪い返したければ、これらの勤勉で実直な多くの日本人にまず感謝し、詫びを入れ、議員を辞めるのが王道である。そして自費で勉強し将来、政治的理想に目覚めることがあったら、そのとき出直しを考えたらよい。こういう苦労の末に理想に燃えて集まった人々ならきっと世間も、もう一度政権を担う機会を与えてくれることだろう。(つづく)

☆読めますか? この言葉2010/02/12

口 上

日本語力が売り物のある大学で新入生に漢字や熟語の読み方を尋ねてみた。入学してきた学生の漢字能力をまず知ることから始めたわけだ。そこで気づいたのは、学生たちが正しく読める漢字と日常生活やビジネスで使われる漢字や熟語との間に差のあることだった。学生たちが読み書きできる言葉の大半は実社会から切り離された、受験という特殊な過程で試される範囲のものだった。そこを一歩でも外れると途端に正答率が下がってしまうことを知った。「一期一会」や「風情を楽しむ」ならどの学生も正しく読めるが、「荼毘に付す」や「進捗状況を尋ねる」となると急に正解者が減ってしまうことに気づいた。

一口に漢字能力といってもその中身は一様ではない。正しく読むことより正しい筆画できちんとした文字を書くことに力を入れた時代もある。難解な語句の混じる長めの文章を読ませ、大意や要旨を把握させることに重きを置く受験指導のような方法もある。だが現代のように日常的にパソコンを使い、文章もパソコンを使って書くことが当たり前の時代になると、とにかく日本語は耳で聞いて理解できることが基本となる。耳で聞いた音をそのままパソコンに伝え(入力し)、変換候補の中から文字の言葉として妥当なものを選び出している。この作業が適切に終了して初めて漢字と仮名の交じった普通の文章が出来上がる。もしこの全てをパソコンに委せてしまったら、まっとうな日本語の文章にはならない。

実は日本人は、これと同じことを毎日頭の中で繰り返している。そして相手の話すことを理解し、スピーカーから流れてくる音の言葉を手掛かりに風景や意味を思い浮かべている。この力を付ける基本は聴く力にある。集中力といってもよい。意思疎通にはまずこの力を付けることが欠かせない。が、それはこのコラムの目的ではない。聴く力を付けるのは幼児のうちほどやさしいが、そのためには幼児期の家庭環境から整備しなければならない。聴く力の話は別の機会に譲ることにして、ここでは聴く力の後に試される頭の中の辞書を豊かにする方法について考える。

頭の中の辞書が豊かとは、音の言葉を聞いてその音が表す文字の言葉をすぐに辞書から引き出すことができ、その意味を的確に理解できる力のあることをいう。辞書の中に言葉を音で表した部分、つまり見出しがあって、次にそれを文字で表したものがあって、さらに言葉の意味が記録されていることが最低限必要である。ついでに言葉の使い方を示した部分、つまり用例と呼ばれるものがたくさんあるほど言葉の使用能力・日本語力は高いことになる。これが頭の中につくる豊かな辞書の理想である。

頭の中にこうした辞書を築くコツは、実際の辞書を片手に文学作品などを努めてたくさん読むことに尽きる。その積み重ねが頭の辞書を豊かにし日本語力を向上させるのだが、このコラムなどで毎日練習を続けることもあながち無駄では無かろう。よく目に付く漢字、使用頻度の高い熟語を選んで、2つのタイトルでお届けする。

 ☆読めますか? この漢字
 ☆熟語を読む ▽△

どこまで続くものかとんと分からぬが、読めない漢字や使い分けが必要な漢字の存在に気づくために、正しく使える漢字や熟語を増やす精進のひとつとして、お使いいただければ幸いである。

  2010年2月12日        木多・まさと

http://atsso.asablo.jp/blog/2009/11/02/4669831 旗幟鮮明(1)