◆りんごの蜜は甘くない2010/02/21

 いつの頃からか「蜜入り」を謳ったりんごが登場するようになった。子どもの頃に食べた国光やインドりんごには、そうしたものはなかったように記憶する。秋に訪れたドイツの町中でときおり若い娘さんがりんごを丸かじりする姿を目にした。試しに買い求めてみたが、日本風に言えば青りんごに近く、微かな甘みと渋みの交錯した比較的あっさりとした味わいだった。ホテルの朝食にもらったりんごも同じようなもので、どこか遠くで渋みを感じるようなところがあった。


 日本では「蜜入り」りんごの登場以来、りんごの値打ちはこの蜜の有無や多寡で決まるような印象がある。嗜好は民族や風土によっても異なるだろうから一概には云えないが、戦後間もなくの砂糖が貴重品だった時代が偲ばれる。砂糖も蜂蜜も手に入らず、甘味料はもっぱらサッカリンで間に合わせた時代が長く続いた。そんな時代に育つと、どうやら「蜜入り」と聞いただけで甘いと感じてしまうものらしい。その上、輪切りにされた芯の周りには蜜色の模様まで見えるのだから、もうどこにも疑う余地などなかった。

 ある時、四つ割りにしたりんごの芯を取り除き、さらにその周辺部にある蜜色の部分だけをえぐり取って食べたことがある。さぞかし蜜の味がすると思いきや、これがさっぱり味がしないのである。甘くも何ともなかった。騙された気がした。以来、例えばわざと収穫を遅らせて大々的に「蜜入り」を謳った無袋りんごを10キロ箱などで大量に送ってもらうことの愚にも気づくようになった。まさに過ぎたるはなお及ばざるが如しの格言どおりだった。

 その理由を解説したページを見つけたので紹介しよう。説明には「蜜自体はさほど甘くはない」とあるが、要は収穫が遅れている間に急に寒くなり、光合成によって生じた甘みの源であるソルビトール(一種の糖アルコール)の果糖などへの変換が止まってしまうために起こる現象と解される。蜜のように見えるものの正体は何あろう、糖類への変換が止まり細胞と細胞の隙間に溜まったソルビトールがせっせと集めた多量の水分だったのである。収穫期と糖度の関係だけで言うなら、気温の下がる直前を見計らって収穫したものが最上と思われる。だが現実は俗に云う「欲をかけば何とやら」も混じっているのだろう。(つづく)

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