◆桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿2010/04/19

 馬鹿という言葉には多くの意味合いが含まれる。が、ここでは伐るとか伐らぬという行為が道理や常識から見て外れているの意であろう。つまり桜の幹や枝を伐るのは何か問題があるから止めよう、逆に梅の枝や幹は伸びるにまかせておくのではなく人間が積極的に介入し、不要な幹や枝を伐り取ることで姿を整えよう、という意に解釈できる。


 また背景として桜の木は切り口から腐りが入りやすいのに対し、梅は丈夫で切り口が固く腐りが入ることもまずないという事情も関わっていよう。だから桜は将来の生長をよく考え、成木となったときの大きさ・枝の張り具合、高さを見越して植える必要があるということにもなる。桜の生長は早いので植える間隔が十分でないと、すぐに枝がぶつかり合ってしまう。あるいは枝が屋根の上まで伸びてきて瓦や雨樋を痛めることになる。

 一方、梅は幹にわざと傷を付けて発芽を促すことも試みられるほど樹勢が強く、丈夫で育てやすい樹木である。かなりの刈り込みに耐えるから狭い庭に植えても思い通りの枝に仕立てることができる。逆に放置すると枝は伸び放題となり枝同士が交差して混み合い、梅の実の収穫量が減る原因にもなってしまう。梅伐らぬ馬鹿という言葉は、おそらくこんな事情や背景の下に生まれたのだろう。


 しかし、だから手を入れない梅の木は姿が醜いかというと必ずしもそうとは言いきれない。野山に放置された梅や、寺院の広い境内で伸び伸びと育った梅の中にはえも言われぬほど見事に枝を伸ばし、落下傘状の自然な樹形をつくって目を楽しませてくれるものも少なくない。かつて岩波書店の小林勇さんが随筆に書き残したとおりである。今やそんなことの分かる人はほとんどあの世へ旅立ってしまった。誠に寂しいと言うほかない。

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