夏から秋へ--酢橘(すだち)2012/09/25

 今年も徳島県佐那河内村から特産の嬉しい酢橘が届いた。しかもその量たるや半端ではない。地域の八百屋全てに卸してもまだ余りそうなくらい大量だ。とても我が家一軒では消費できない。かつてはどうしたものかと悩んだこともあったが、今は到着を待ち望む大勢の友人・知人がいてあっという間に消えてしまう。栽培の労を執られる方・鋭い棘も厭わず収穫し送ってくださる方の御厚意に深く感謝したい。

 ⇒ http://www.vill.sanagochi.lg.jp/ 佐那河内村


 我が家では届けられるとすぐに仕分けにかかる。特に大事なのが色づき加減と熟し具合だ。青黒いものは、たいてい皮も厚めで保存が利く。黄色みを帯び、つるっとした感じのものは皮が薄く、そのままがぶりと噛んで食べてしまう。これがなかなか美味い。徳島の秋が先ず上顎を撃ち、それから喉へと染み渡ってゆく。十月の末まで毎日、二三個はこうした食べ方を楽しんでいる。熟し始めているのか酸味もさほど強くなく、通の食べ方ではないかと自賛している。

 友人・知人へのお裾分けにもこうした少し黄色みのあるものが適している。どの家でも脂ののった秋刀魚の塩焼きに絞ってかけたり、焼酎の水割りに垂らしたりして三四日のうちには使ってしまうようだ。

 酢橘を切るときは実を横に寝かせて輪切りにする。こうすると袋が二つに切断され、汁が搾りやすくなる。縦に切ってしまうと汁を絞り出すのが難しい。梅酒ならぬ酢橘酒をつくるときも、二つに輪切りした酢橘に氷砂糖を加え三十五度の焼酎に浸しておく。焼酎が綺麗な黄緑色に変わったら実は取り出す。すぐに飲むか、そのまま少し寝かせるか迷うほどの量はつくっていないが、甘ったるさがないので料理の味を損ねることがない。


 酢橘は文字通り「酢」が身上の柑橘類だ。誰が命名したものかは知らぬが、まさに体を表している。ビタミンやカリウムなど豊富な栄養価もレモンの比ではない。近ごろは仮名書き流行りの世の中だから店先に並ぶときも「すだち」や「スダチ」と書かれるが、これでは酢橘の真骨頂は伝わらない。一人でも多くの皆さんに酢橘の味やこの栄養価が知れ渡り、漢字名が使われるよう祈りたい。

  がぶり噛み 喉に染み入る 酢橘の香  まさと

夏から秋へ--蕎麦っ喰い(2)2012/09/24

 可愛いハートの形をしたソバの花が終わると、花のあとには、これまた独特の菱形をしたソバの実がつく。ソバの実は鋭く尖った頂部をもつ硬い外皮(ソバ殻)に覆われていて、うっかり触ると痛い。実が付いたソバは刈り取って乾燥させ、実だけ落とし、さらに外皮を除いて石臼などで挽くと、蕎麦粉ができる。


 これを捏ね鉢に移し、水を加えてよく捏ね、最後に平らに打ちのばして包丁で細長く切る。最後に茹でれば蕎麦のできあがりとなる。こう記すと至極簡単なようだが、事実は全く逆である。繋ぎに何を使うかも含めて手打ち蕎麦の魅力は食べる側だけでなく、つくる側にもあるようだ。どの地方にも昔から蕎麦打ち名人と呼ばれる人がいて、それぞれの技・極意を伝えている。

 子どもの頃、裏山をいくつも越えたところに子どもから年寄りまで村中みんなが蕎麦を打つ小さな集落があった。どの家も、その村の蕎麦を一度口にした者はもう他村の蕎麦は食べる気になれないと言われたくらい美味い蕎麦を打ち、客人に振る舞った。が今、その村に住人の姿はなく、かつてのソバ畑は木々に覆われ深い山と化してしまった。

  ありがたや 新蕎麦喉を 清めけり  まさと

 彼岸を過ぎる頃、ソバの産地には走りの蕎麦が出回り始める。その年収穫の新蕎麦はのど越し、歯ざわり、香りのいずれをとってもどこかに瑞々しさがある。蕎麦っ喰いには嬉しい季節だ。運良く巡り会うと、なぜか若さまでもらったような気分になる。(つづく)

夏から秋へ--蕎麦っ喰い2012/09/23

  蕎麦はまだ 花でもてなす 山路かな  芭蕉


 俳句の先覚、芭蕉ならではの句と言えよう。この季節、地方を旅すると、あちこちで車窓からソバの白い花を目にするようになった。例年より早く今日から新蕎麦を出し始めた店もあると、ラジオが伝えていた。もうそんな季節に入ったのである。

 ひと頃、国内のそば粉は中国からの輸入物が圧倒的に多かった。あちこちの蕎麦屋で中国産の粉を使っているとか混ぜているといった類の噂が絶えなかった。だが農林水産省の説明では近年、中国からの輸入物は確実に減っている。

 その陰で確実に増えているのが米国からの輸入そば粉である。まだ量としてはそれほど多くないが、それでも国産そば粉3万トンの半分に達する。一方、中国産は減ったとは言え、国産のまだ1.5倍近くもある。

 こういう数字の問題は、このブログの守備範囲ではない。蕎麦の味は元より、そば粉の産地を大事と思う方々には農林水産省の次の資料をお勧めしたい。国内の主産地なども分かるし、何より作物統計を利用する際の手引きとして便利だ。(つづく)

 ⇒ http://www.maff.go.jp/j/tokei/kikaku/digest/pdf/soba_yunyu.pdf  グラフと絵で見る食料・農業


夏から秋へ--稲莚(いなむしろ)2012/09/22

 温暖化や亜熱帯化の影響もあるのだろう年々、稲刈りの時期が早まっているように感じる。その刈り取りの一週間か十日前の稲作地帯の景色はそれはそれは見事なものである。黄金色に輝く稲の穂が田んぼごとに絨毯でも敷き詰めた如くに見える。古代の人々はこの景色を稲莚と称した。

  小山田に風の吹きしく稲莚 夜鳴く鹿の臥し所なりけり  如願法師

 その稲莚がどこまでもどこまでも続いているのである。昨日もそうした光景を目にしたが、あいにくカメラをもっていなかった。そういえば昨年も一昨年もなぜか、稲穂が黄金に波打つこの季節にはカメラを持たずに出かけることが多い。そして黄金色の光景を目にして悔しがる。残念だが手元には、八郎潟のような広大な平野部の情景を収めた写真がない。それでも稲莚の大凡のイメージくらいは感じていただけよう。


 稲莚は秋の季題でもあるが、莚そのものが現代人の生活とは遠いものとなり、これを知る人も・そうした景色を思い浮かべることのできる世代も稀となった。この季語による雄大な情景の創出を期待することはもはや無理なのかも知れない。なおこの季題は、稲藁を編み上げて作った敷物としての稲莚をテーマにしているわけではない。枕詞にもされ、両方が登場する和歌の場合とはこの点の異なることに注意したい。

  稲むしろ 近江の国の 広さ哉  浪化

 この作者もまた先日の「秋の色」の句の園女と似て、芭蕉の影響を強く受けた江戸中期の俳人である。

夏から秋へ--稲穂2012/09/21

 早くも「新米をいただきました」という便りがラジオから流れる季節になった。今日は秋分の日である。今年も豊作だが、我が家に新米が届くのはもう少し先になる。そこで新米の句はお預けにして、間もなく刈り取られ稲架(はざ・はぞ)で十分に干された後に脱穀され、そして精米されて我が家にも届くであろう新米候補たちの今の様子をお目にかける。


  稲垂りぬ 幾千万も 露を抱き  小野房子

 野菜もそうだが温暖な場所で何事もなくすくすくと育ったものより朝晩の冷気と日中の暑熱に鍛えられて育った、やや高地の米の方が単純な旨味だけに終わらない深い味わいがある。次の写真の左側は朝露に濡れた粳(うるち)米の稲穂、右側は夕陽に照らされた糯(もち)米の稲穂である。普通に釜で炊いてそのまま食べるのが粳、蒸して杵で搗いて餅にするのが糯である。


秋の色2012/09/20

 黄金に色づく稲穂、山肌を彩る黄や紅のモミジ、色づいた桜の葉、イチョウの葉などをつい思い浮かべてしまうが、それは我ら凡人世界の目玉に映る景色であって侘び寂の世界で用いられる「色」の話はそうした絵の具の色選びとはだいぶ趣が異なっている。たとえるならカメラのレンズを通して季節季節に感じる、あの光の色とでもいったらよいだろう。


 ススキの穂の写真は背景の空気が爽やかで光の色も清々しく、いかにも秋を思わせる一枚ではある。だが「秋の色」というときは、同じ場面を切り取っていてもどこかに他の季節とは違う感じの残る景色、「そうか秋が来ているのか」といった感じのする情景を指すのである。時には盛りを過ぎて感じる一抹の寂しさも混じる、そんな複雑さも備えた季題といえるだろう。

  木や草に 何を残して 秋の色  園女

 大正か昭和の作を思わせる平明かつどこかに知的な香りのする句だが、作者は三百年も昔の女性である。初出とされる原典(羽黒月山湯殿三山雅集)を自分の目で確認するまで、どうにも信じ難い作品であった。


夏から秋へ--雲(3)2012/09/15

 相変わらず日中は暑いが、朝晩はそれでもだいぶ楽になった。もう少しの辛抱だと自分に言い聞かせながら仕事をしている。朝晩が過ごしやすくなった理由を素人なりに考えてみると、やはり太陽に行き着く。日の出の時刻が六月七月の頃とは相当に違っている。夏至の頃は朝四時半にはもう日が昇っていた。今は五時をかなり過ぎないと太陽にお目にかかれない。


 困るのはいつまでも日中の気温が高いままなのに、日射しが容赦なく部屋の中まで入り込むようになったことである。以前は日中の室内気温の低下を、この入り込む日射しで補っていた。だから有難かった。ところが昨今は迷惑この上ない。真夏のように、もう少し高いところのままでいてくれないかと恨めしくなる。


 とは言え、日中でもあちこちに日陰のできる場所が多くなった。上手くコースを探せば、こうした日陰の道を秋の風に吹かれながら心静かに散歩することだってできるだろう。来週はもう彼岸の入りである。かくして、今年もまた一年が終わってしまうのだろうか。

  秋雲の 白き見つづけ 部屋くらし  篠原 梵

夏から秋へ--雲(2)2012/09/14

 この季節、東西南北の空に姿を見せる雲の種類が夏の雲から秋の雲へと代わりつつある。東や北にはまだ夏の雲のそびえ立つこともあるが、南や西の空には徐々に一捌け塗ったような秋の雲が多くなった。


 西山の向こうに陽が沈み空の色が変わり始めた頃、透けて見えるような雲の下を、西へ向かう旅客機の細く白い姿が見えた。高度3千メートルくらいのところを水平飛行しているはずだから、雲の位置はそれよりもはるかに高いことになる。秋の空を高いと感じるのは、実際に高く遠いところまで視界が利くからだろう。(9月8日撮影)

  夢殿の 夢の上なる 秋の雲  野田別天楼



夏から秋へ--露・つゆ2012/09/07

 今日は二十四節気の白露(はくろ)、昼と夜の長さがほぼ等しくなる秋分・彼岸の中日まであと半月である。昔から「暑さ寒さも彼岸まで」というくらいだから、今年の暑さももう少しの辛抱だ。そして、さらにその半月余り後の十月八日が寒露(かんろ)である。日中は相変わらず暑いが、本格的な秋がすぐそこまで来ている。

 露(つゆ)は朝露や夜露を含め、多くが秋の季題とされる。だが秋の専売特許ではない。例えば「古今和歌集」には僧正遍昭が詠んだ、春の柳に光る白露(しらつゆ)を数珠に見立てた歌が収録されている。

 俳句では異なる季節の露を句にするときは春や夏を冠し、春の露・夏の露というように区別する。また白露(はくろ)と寒露(かんろ)は時候を句にするとき用いる。水蒸気が凝結してできた水滴の描写には漢字表記は同じでも「しらつゆ」が使われるから、声に出して読むときは注意したい。

  野の露に よこれし足を 洗けり  杉風


 多くの俳人が「露」を用いる中で、次の作品は「つゆ」の二文字にこだわった繊細な女性らしい佳句といえよう。

  つゆと云ふ このかなもじの 好きで書く  高田美恵子


夏から秋へ--秋の蝶2012/09/06

 単に「蝶」と言えば菜の花畑を群れ飛ぶモンシロチョウなど春の蝶のイメージが強い。そこで他の季節に見かけた蝶にはそれぞれ夏・秋・冬を冠して区別する。


 写真の蝶は小型の割りに胴が太いため時に蛾と勘違いもされるが、立派に蝶の仲間である。イチモンジセセリと呼ばれ、日本全国どこでも普通に見かける。但し幼虫はイネを食べる害虫だから歓迎はできない。

 写真を拡大すると、前ばねにある大小合わせて8個の白斑の環状に並ぶ様子が確認できる。因みに後ばねの白斑は4個であり、こちらは一列に並ぶ。これが「一文字」の所以だろう。

 蝶が載る花は秋の季題にもされる芙蓉である。八月も終りが近づくと早朝に咲き出し、妙に艶めかしい雰囲気を漂わせて辺りを圧倒するが、夕方には敢えなく萎れてしまう。華麗だが、ちょっと寂しくもなる一日花である。

  花心まで にじり寄らんか 秋の蝶  まさと