◆野性味 酸葉の味2010/04/10

 野という漢字は「里+予」と書く。だが古い字形は「林+土」である。この字は野の異体字として今でも名字には使われている。但し埜(や)の字について、これを林があって土が見える(舗装されていない)から郊外や田舎や野原のようなところを指すのだと解するのは適切ではない。それは現代人が考えることであって、古代においては地球上の至るところ海か川か、そうでなければ地面か岩であった。地面には必ず木や草が生えていた。木も草も生えないような場所は水の涸れた砂漠であり、人間は住むことができなかった。

 この字を土の上に木々が生い茂るさまと解するのも妥当ではない。木も草も地面に生えるのは当たり前のことであり、それらの生育に土が必要と考えるのはマンション住まいに慣らされた現代人の悲しい発想でしかない。林の字が示すのは木々が生い茂る未開の土地、土が示すものは木々を切り倒して耕した土地と考えるのが妥当だ。これら二つを合わせもつところを「や」と呼び、埜と書き表したのである。音の「や」は土(しゃ)から出ている。

 つまり野といえども人の気配が必要であり、人跡未踏の地や無人の場所は野の範囲には入らない。野の字に、人家が集まる小さな集落としての里の字を用いたことが何よりの証拠と云える。さらに、音符を兼ねる旁の予が人家を表す舎(しゃ)から来ていることにも注意したい。総じて野とは人は住んでいるが開化の進んでいないところ、人が住んでいても自然の状態がそのまま残っているところを指していて、田舎や粗野や民間などの意はこれから転じたものである。

 例えば野趣という言葉には人の手の加わらない自然のままの状態を彷彿とさせるさまを云う場合と、田舎を想像させるような鄙びたさまを云う場合の二通りの意がある。後者は前者から転じたものであろう。野性も日本では人間というより動物に近い、教育を受けることのない粗野な性質を示す言葉として使われているが、漢詩には静かな田園での暮らしを楽しむ心を指す表現として用いたものもある。日常よく目にする言葉や文字であっても時には辞書を開いて、その意味や用法に触れておくことが肝要であろう。


 写真はタデ科の多年草酸葉(すいば)を撮したものである。一般にスカンポと呼び慣わされている野草で、今頃のものは食用にもされる。茎や葉を噛んだときの野性味あふれる酸っぱさを思い出す人もいることだろう。

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