福島の桃2012/09/13

 我が家ではもっぱら到来物の桃の実だが、この桃だけは例年の桃といささか事情が異なっている。贈り主が丹精込めて育てた自作の品でもなければ、百貨店などに依頼した贈答品でもない。ただ「福島の桃」というだけで、あちこち転々とした末に我が家にたどり着いた数奇な身の上の桃の実である。妙な時代になったものだと嘆息せずにはいられない。

 これまでは岡山や山梨産の桃を食することが多かった。だが今回この桃の実を囓って、すぐに「これが自分の記憶にある桃の食感・桃の味だ」と感じた。身のしまり加減、固さ、歯ごたえ、そして甘さといっぺんに嬉しくなった。しかし、お礼を言いたくても肝心の育ての親・生産者が判らない。桃の実に口がきけたらきっと畑の様子くらいは教えてくれるだろうにと残念でならない。


 余談だが、俳句では桃の花は春の、実は秋のそれぞれ季題とされる。昨今は中元の贈答品として立秋前に出回るものが少なくない中で、この季節にまだ桃の実が食せることも教えてもらった。これも「福島の桃」のお陰である。

  伯母が来て 桃を手土産 母は留守  虚子


 


情報過多--大根日記(2)2012/09/11

 袋には「交配耐病総太東山大根」と品種名が記されていた。古くから「くみあいのタネ」として親しまれている商品で、我が家では毎年この種を購入して家庭用の大根栽培を行なってきた。しかし母が高齢になり、野菜づくりはできても、前提となる日常生活のための火の使用などに不安が生じていた。何度も説得し、ようやく独り暮らしを諦めてもらった。畑作の断念はそのついでに決まったことである。

 これが通いで野菜づくりを始めることになった理由だが、母にしてみれば口惜しさは残る。農作業の全部を任せなければならないほどワシはまだ耄碌していない、とばかり細かな作業にまで一々口を出してくる。現場に出向いて監督するかと思えば、作業後に念入りな検分を行なって注文を付ける。他にすることのない閑人だから口うるさくて叶わない。

 一箇所に二粒ずつ蒔いたのも、他ならぬこの指示に従ったまでのことである。この二粒という指示は母の永年の経験に基づく数字だが当然、前提となる畝の作り方や間隔、その後の管理方法や管理の手間など母の頭の中にはいくつもの条件があって、そうした条件の上に成り立っている。

 ところが、こうした野菜づくりの現場を何も知らない人でも現代はインターネットを検索することによって、すぐにも野菜づくりを始められそうな多くの情報が手に入る。しかもたいていの情報には写真が付いている。だから、ある人は大根の種は「一箇所に3~6粒ずつまき、2回間引く」のが「正しい」作り方だと信じ、ある人は「一箇所に4~5粒ずつまき、3回間引く」のが「よい」と思い込むことになる。(つづく)

播種四日目

播種五日目

  ※こんなに発芽しても最終的に残せるのは1本、無理しても2本までである

大根日記2012/09/09

 何だか役者の懐中手帖みたいだが、さにあらず。遅い夏休みの自由研究である。二十日ほど前、山間地の畑に大根を蒔いた。何しろ遠隔地にある畑だから、その後の様子が分からない。袋には確か85%以上の発芽率と記されていた。蒔いた前後には夕立があったし、JAの種でもあるし、さっぱり芽が出ないどこぞの役者の卵とは違うと思いつつも、旱天に泣かされた昔のことを思うと今ひとつ確信が持てない。

 畑に蒔くときは、間隔も測って二粒ずつきちんと蒔き、軽く土も載せた。土を厚くしすぎると発芽が遅れるし、あまり薄いと夕立で飛ばされたり、鳥に食べられてしまう。昔の遠い記憶も頼りにしながら丁寧な作業を心がけた。それでも幾久しく途絶えていた農作業である。本当に芽が出るものか、どのくらい出るだろうか、と気になった。

 ほんの少しだが種が余った。余った種はそのまま持ち帰ることにした。すでに袋の封は切ってあるから、あまり長く放置するのはよくない。

 九月の声を聞くと急に、種のことが気になった。そこで発砲スチロールの魚箱に堆肥と元肥の化学肥料を入れ、三日前の六日の朝に種蒔きをした。次の写真はその翌朝七日に撮した。破線の○で示した中に大根の紅い種皮や発芽の始まった様子が写っている。水やりのせいで土が流れ、顔を覗かせた種だろう。


 次の二枚は、二日目の八日の朝そして今朝の様子である。身近にあって水やりができると、こんなにも簡単に芽を出してくれるかと驚くほど短時間のうちに発芽が始まった。もっとも今度はいい加減にバラバラと蒔いたから発芽率の精確な計算はできない。それでも十分な発芽力をもつ種であったことは確認できる。(つづく)




◆野性味 酸葉の味2010/04/10

 野という漢字は「里+予」と書く。だが古い字形は「林+土」である。この字は野の異体字として今でも名字には使われている。但し埜(や)の字について、これを林があって土が見える(舗装されていない)から郊外や田舎や野原のようなところを指すのだと解するのは適切ではない。それは現代人が考えることであって、古代においては地球上の至るところ海か川か、そうでなければ地面か岩であった。地面には必ず木や草が生えていた。木も草も生えないような場所は水の涸れた砂漠であり、人間は住むことができなかった。

 この字を土の上に木々が生い茂るさまと解するのも妥当ではない。木も草も地面に生えるのは当たり前のことであり、それらの生育に土が必要と考えるのはマンション住まいに慣らされた現代人の悲しい発想でしかない。林の字が示すのは木々が生い茂る未開の土地、土が示すものは木々を切り倒して耕した土地と考えるのが妥当だ。これら二つを合わせもつところを「や」と呼び、埜と書き表したのである。音の「や」は土(しゃ)から出ている。

 つまり野といえども人の気配が必要であり、人跡未踏の地や無人の場所は野の範囲には入らない。野の字に、人家が集まる小さな集落としての里の字を用いたことが何よりの証拠と云える。さらに、音符を兼ねる旁の予が人家を表す舎(しゃ)から来ていることにも注意したい。総じて野とは人は住んでいるが開化の進んでいないところ、人が住んでいても自然の状態がそのまま残っているところを指していて、田舎や粗野や民間などの意はこれから転じたものである。

 例えば野趣という言葉には人の手の加わらない自然のままの状態を彷彿とさせるさまを云う場合と、田舎を想像させるような鄙びたさまを云う場合の二通りの意がある。後者は前者から転じたものであろう。野性も日本では人間というより動物に近い、教育を受けることのない粗野な性質を示す言葉として使われているが、漢詩には静かな田園での暮らしを楽しむ心を指す表現として用いたものもある。日常よく目にする言葉や文字であっても時には辞書を開いて、その意味や用法に触れておくことが肝要であろう。


 写真はタデ科の多年草酸葉(すいば)を撮したものである。一般にスカンポと呼び慣わされている野草で、今頃のものは食用にもされる。茎や葉を噛んだときの野性味あふれる酸っぱさを思い出す人もいることだろう。

◆青鷺(2)2010/03/24

 我々の姿が美しいことは世界遺産にも登録されている彼の国宝姫路城が白鷺城とも呼ばれることを思い起こしていただければお分かりでしょう。そそっかしい人の中には思いがけずアオサギを見て「鶴を見た」などと自慢する者もいるほどです。アオサギとは云いますが、背中は青みがかった灰色を帯び後頭部が黒く、何より姿の大きいことが特徴です。これがナベヅル君と勘違いされる原因になっています。もし似た姿を目にしたら後頭部から伸びる自慢の細長い2本の毛の有無、鳴くかどうかをまず確かめてください。我々は滅多に鳴きません。


 青鷺や白鷺がなぜ夏の季題なのか、その理由はよく分かりません。冬の間、寒さを避けて南方へ渡るものもいますが多くの仲間は日本列島に留まって年を越します。そして桜の花の散る頃から6月にかけて高い木の上に巣をつくり雛を育てます。つまり初夏に番(つがい)を組むからだろうという人もいれば、暑さが増すころ水田や水辺に立って小魚や蛙や蟹などを追い求める姿が目に涼しいからだと説明する人もいます。人間というのはつくづく自分中心の身勝手な動物だと思わずにはいられません。

 次の句は昭和20年代後半に始まった秋田県西部・男鹿半島基部の大汽水湖八郎潟の干拓事業を告発したものです。多くの人が「食糧難を解消してくれる夢の大事業」と期待に胸弾ませていた時代に、作者は別の覚めた目で湖や干潟に暮らす生き物たちを見ていたのです。青鷺をできたての新田に追いやった日本人は果たして、夢や幸せを手にしたと云えるでしょうか。今や作者の名を知る人さえ希でしょう。(了)

  亡びゆく潟や青鷺田に逐はれ 児玉小秋

◆青鷺(1)2010/03/23

 先日、佐渡トキ保護センターの野生復帰ステーションにある順化ケージと呼ばれる訓練施設内に移されたばかりのトキが夜間、正体不明の小動物に襲われ大半が死ぬという悲しい事件が起こりました。襲った側の動物から見れば、わざわざ自分のために出入り自由の檻を設けてくれ、そこに2月4日に5羽、2月19日に6羽と計11羽も餌を入れてくれたようなものです。目の前にこんな魅力的なものを用意され、襲った側はきっといても立ってもいられなくなったのでしょう。それが野生動物の本能であり、弱肉強食世界の現実なのです。もしトキの世界にマスメディアがあれば「人間をトキの過失致死罪や過失傷害罪で訴えろ」と息巻くことでしょう。

 環境省とかトキ保護センターとか自然保護官などと云っても、それらの言葉になにがしかの価値や有難味を感じるのは人間界だけの話です。自然界には学歴も学力も資格も肩書きも通用することはありません。そんなもので野生生物の命を守れるなどと考えるのは誤りです。人間がいかに思い上がった動物であるか、いかに愚かな生き物であるかを証明するだけです。このことを深く自覚し十分肝に銘じて自戒に努めなければ、こうした犠牲を防ぐことは今後も難しいでしょう。まず専門家を学歴や学力で一律に判断することの愚を改める必要があります。


 前置きが長くなりました。今日紹介するサギは、このトキと同じくコウノトリの仲間です。そのため姿や形に似通った点がいくつもあります。しかし幸か不幸か、今のところ特別天然記念物や国際保護鳥に指定されるほどの希少性はないようです。保護センターに捕獲されたり窮屈な檻に閉じこめられたりする憂き目にも遭わず、勝手気ままに暮らしています。(つづく)

◎季節の言葉 彼岸2010/03/21

 今日は春彼岸の中日。二十四節気の春分にあたり、太陽がほぼ真東から出てほぼ真西に沈むため昼と夜がほぼ同じ長さになるとされる日である。だが実際は東京地方の場合、日の出が5時44分・日の入りが17時53分とすでに昼間の方が9分も長くなっている。昼夜の時間は4日前には同じとなり、以後毎日少しずつ昼間の方が長くなっている。因みに17日の日の出は5時50分・日の入りは17時50分だった。ずれの原因は主に光の屈折現象にあると考えられている。

 彼岸は仏教の言葉である。現世の此岸(シガン)に対する言葉であり、彼岸には生きていればこその迷いも、死に対する怖れも、失うことや別れることへの不安もない。何もかもが無の、全てを超越した理想の世界と言われている。それは長く厳しい修行の末に到達する理想の境地であり、信仰を通じて初めて拓くことのできる悟りの境地でもある。

 この彼岸に春秋2回、なぜ日本人は墓参りをするのか。聖徳太子の頃に発するとも平安初期に始まるとも言われる春秋2回の仏事・彼岸会の由来は必ずしも定かではない。だがこれが大陸起源でないことはアジア諸国の仏事を見ればすぐに気づく。

 列島の民が元々有していた太陽や月に対する畏敬の念に、大陸伝来の仏教信仰が巧みに結びついて生まれた新たな行事と云うべきだろう。あるいは元々土着の習俗として存在したものに、時の権力者が政策的に仏事を合流させたのかも知れない。いずれにしても昼の時間が長くなり始めるこの日、農耕民族であった祖先の人々は先祖の墓に詣でてその年の豊作を祈願し、秋は夜の時間が長くなり始める秋彼岸にその年の実りを感謝したであろうことは想像に難くない。

 エコだ自然環境保護だと騒ぎ立てながら腹の中では経済や財布のことしか頭にない現世の人々・列島の民の末裔を、我が御先祖さまたちは釈迦と過ごす涅槃の世界・彼岸からどのような思いで眺めておられることか。これも此岸に生きるが故の迷いだろうか。今朝の関東地方は明け方、低気圧や寒冷前線の通過によって一時的に大気の状態が非常に不安定となり激しい風と雨と雷に見舞われた。次は今から200年ほど前に詠まれた句である。

  ばくち小屋降つぶしけり彼岸雨 一茶

◆りんごの誤解 残留農薬(3)2010/03/02

 ボルドー液はその名の通りフランスのボルドー地方におけるブドウ栽培から始まった果樹のための殺菌剤である。ブドウもりんごも収穫前のまだ木になっている状態で観察すると、いずれも表面が白く粉を吹いたように見える。ブドウの場合は果皮には直接手を触れないのが理想だから店頭で買い求める際にも、この白い粉を吹いたようなものは例外なくほぼそのまま残っている。

 だから気にする人は多分これを農薬のせいと思うだろう。そして白いものを洗い落とそうと懸命に水をかけたり、一粒一粒丁寧に粉を擦り取ってから食卓へ出している。また口へ運ぶ際にも皮が口へ入らないよう丹念に表皮を剥き去っている。だが注意深い人なら、この白い粉のようなものの付着がどうも農薬の散布とは関係ないとすぐに気づくはずだ。なぜなら農薬など全く散布していないその辺の庭の甘柿などにもうっすらと付いているからである。


 この正体は果粉と呼ばれ、りんごや柿やブドウなどが果皮の内側から出している保湿成分の一種である。生物として果実内の水分蒸散を調節するために自分自身で一種のワックスをつくりだし、自分の力で表皮に塗って保護に努めているのである。だから蝋のように固まってうっすらと白く見えるものもあれば、品種によってはまるで油でも塗りつけているかのようにベトベトするほどたくさん付いていて、洗剤を付けたスポンジなどで擦っても容易に落ちないものもある。りんごで云えばジョナゴ-ルド、つがる、千秋などが後者の例になろう。

 いずれにしてもこうした誤解が生まれる背景として、りんご農家を始めとする生産者側に情報提供の面で不足するものがあることを指摘しておきたい。またこうした問題の解決を行政に頼りすぎた嫌いもある。不審が不信を生み、言い訳がまた不審につながるという負の連鎖を断ち切るために、どうしてもこの辺で生産者自身による情報の積極的な開示と情報を継続して提供するための自助努力を始める必要がある。まずは農薬散布の実情を公表する農家・農園が増えてゆくことを期待したい。(了)

◆りんごの誤解 残留農薬(2)2010/03/01

 とは言え、人はそれぞれである。気にする人は気にするし、気になる人は気にして眠れなくなるかも知れない。そういう品は正直口にしないのが一番だが、それでは生産者が困ってしまう。こういう人は従来どおりに皮を剥いて食べるしかない。ミカンの皮と同様、この部分は食べないものと考えるよりほかあるまい。

 鯛の頬肉やヒラメの縁側を知らない人に、それらの美味さをいくら語ってみても始まらないのと似ている。ウマヅラハギは皮が厚くて食べられないだの、食べたこともないのに不味いと決めつけて平気で海や浜に捨ててしまう食の通人や美食家に説法するようなものだろう。所詮人は顔つきが違うように育ちも価値観も違うのだから無理に押しつけても仕方がない。


 もうひとつの方法は、公開されている農薬散布の計画表を入手し、不審な点は実際に現地へ出向いて自分の目で確かめるとよいだろう。例えば収穫のだいたい50日ほど前に散布するボルドー液が、りんごの皮の表面に点々と白く斑模様を残していることだってあるかも知れない。それらが果たして本当に水に落ちるものか、そもそもボルドー液とは何なのか、白い液体はどんな薬剤から作られているのか、皮の内側には吸収されないのかなど率直に疑問をぶつけ、納得の行くまでつぶさに調べることをお勧めする。都会の消費者がエアコンや空気清浄機の完備したビルやマンションの中で、自然環境の保護が必要だの食の安全が危ういだのと議論をしているよりは遙かに健康的だろう。

 一方、全国の果樹農家・農園には積極的にこうした計画表を公開し、消費者が直接自分の目で確かめる機会を設けて欲しいと願っている。そうすることで果樹など農作物栽培に対する真の消費者理解が進み、農薬散布に対する過剰な疑念や誤解が晴れることを期待したい。参考までに、ある農園の2010年の農薬散布計画及び実施結果をお目にかけよう。(つづく)

 ⇒ http://park7.wakwak.com/~hironiwa/Apple/chemical.pdf ヒロニワ農園(長野県飯田市)

◎季節の言葉 春近し・春隣2010/02/03

 文字通り、春がすぐそこまでやって来ていることを季題にしたものである。同様に春隣にも、春はもう隣まで来ている(明日はきっとこちらにも来るだろう)という感慨が込められている。

 太古の昔、文明が未開だった頃の人々は今よりも寒暖の差に対して敏感だったのだろうか、それとも鈍感だったのだろうかと考えることがある。着衣の発達という点から見れば今より遙かに薄着だったろうから寒さは感じやすかったと考えたくなる。だが気温を感じ外気に耐える側の皮膚から見ればそうとも言えない気がする。

 四六時中ビルの中や地下街で暮らす人はいざ知らず日中のある時間帯、毎日必ず外気に触れる生活をしている人にとって季節の変化を最も強く感じるのは日の光ではないだろうか。日の出・日の入りの時刻、そして太陽の位置・高さ、これらが変化することによって日照時間は伸び縮みするし、光の強さも格段に変わってくる。

 木々の芽吹きや葉の緑など目に映ずるものももちろん季節の変化を教えてくれる。だが先ほどの寒暖の差など外気温の変化も含めて、そうした移り変わりの全てが実は太陽光によってもたらされていることを忘れてはならない。この点に思いを致すことこそエコロジーの第一歩であろう。

  日あたりて春まぢかなり駅の土堤 山口誓子


 ※こんなときでないと西洋タンポポには出番が回ってこない