夢と希望と絶望 (3)2012/10/04

 漢字の「夢」は草冠ではありません。部首は「夕」です。なぜ夢が草冠なんだろうと思っていた人は、夕部と聞いてすっかり納得した気になっていませんか。実は「夢」という字ももともとは寐の字の「未」の部分に収っていた部品にあたる文字でした。ですから寝るという字の親戚にあたる文字ということができます。

 「寝」も今は略字で記されますが、もとは同じように「爿」を書いていました。しかしその都度、冠の「宀」を書いたり「爿」を付けたりするのは面倒だと思う人が多かったのでしょうか。家の中に置かれた寝床を示すこれらの部分を略して、もっぱら部品の「夢」だけを記すようになりました。

 この夢という文字は夜の暗さを表していて、蔑と夕とを組合わせた形になっています。蔑は蔑視の例からも分かるように余りよい意味の文字ではありません。元々の字義は目に光がない、目がよく見えないの意ですから、これと夕を組合わせることで夕闇の暗さを表そうとしたのです。

 ですから元の音は「ベツ」と「ボウ」でしたが、「ベツ」の方が「ム」に変わったと考えられています。この字の音は何かと聞かれたら十人が十人「ム」と答えそうですが、「ム」は慣用で使われる音で、漢音は「ボウ」です。

 ついでに言えば、人偏に夢と書いて日本では「はかない」と読ませていますが、この儚という字も同様に暗いことを示しています。但しこちらは人偏ですから、暗い原因は光ではなくて人の心です。迷いがあって明るくならないさまを指します。例えば儚々(ボウボウ)と言えば文字通り心に迷いがあることです。(つづく)

                       メロンのお尻です…

夏から秋へ--蕎麦っ喰い(4)2012/09/29

 シリーズ最終回は蕎麦というものの由来がテーマである。蕎麦というものと書いたが、この語には植物名としてのソバ、食料としての「そば」(干そば・生そば)、蕎麦屋や自宅で食べる料理としての蕎麦、の三つの意味がある。英語で言えば buckwheat(植物)、soba noodles(食料)、soba dishes(料理)の三つを指す。

 植物としてのソバの原産地は中国南部の四川省から雲南省にかけての山岳地帯、あるいはさらに西方の中央アジア辺りと考えてよいだろう。いずれもイネの栽培に適さない、冷涼な気候の高原や山岳地帯である。現在もこれらの場所ではソバの栽培が盛んに行なわれている。

 日本列島への伝来がこれらの場所から漢字圏を経由して行なわれたことは呼称としての蕎麦から容易に想像がつく。漢名の蕎麦(ケウバク)に対し、列島の先人達が与えた呼称は「ソバムギ」といわれる。平安時代の承平年間(931~938)に成立した「倭名類聚鈔」を繙くと、漢名の見出しに続けて「出崔禹」と出典が明記されている。インターネット上にごまんと並ぶ怪しげな解説とは大違いだ。


 出典の「崔禹」は「崔禹錫食経」の略称である。この書は7~9世紀頃、中国の崔禹錫という人物によって成立したものらしいが現存しない。しかし引用先の書物に記された出典を便りにその内容を再構成してゆくと、どうやら食用となるさまざまな穀物や果物や菜根類や虫魚や獣禽の食べ方などを記していたことが推測できる。

 ところで「倭名類聚鈔」は皇女の命を請けた源順(みなもとのしたごう)によって編纂され朝廷に献上された辞書である。呼称には「ワミョウルイジュショウ」「ワミョウルイジュウショウ」の両様あるが、単に「和名抄」とも呼ばれる。この辞書の出典の次に見える万葉仮名の「和名曽波牟岐」が日本名、すなわち当時の呼び名にあたるソバムギを示している。中国ではソバを麦の仲間と見て、これに薬草の一種である蕎を冠し蕎麦と呼んだ。日本列島の先人達も、これをそのまま麦の仲間と考えていた。源順が遺した辞書はそんなことを教えてくれる。

 では「そば」とは何だろうか。数ある「そば」の中で最もソバに関係がありそうなものは、平安末期に成立し編者不詳の漢字字書「類聚名義抄」が伝える「稜」の字義である。物のかど、つまり尖ったところの意であるという。ソバの実(種子)に由来する命名ではないかと想像できる。過去の記事でも述べたが、中国と日本では全く同一の物を指す場合でも命名の視点の異なることが多い。

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/03/24/ こぶし・拳・辛夷 (1)
 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/03/25/ こぶし・拳・辛夷 (2)
 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/03/26/ こぶし・拳・辛夷 (3)
 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/10/12/ こぶし・拳・辛夷 (4)

 彼の地ではソバを薬草に似た麦と見、列島の先人達は食料になる実の部分に着目した。そして時代が下るといつの間にか「ムギ」は略され消えてしまった。これこそが植物としてのソバが食料として一般に普及し、さらには料理名へと変化してゆく過程であろう。ついでに言えば英名は「くろんぼ麦」とでもなろうか。日本人と同じく種子に注目した命名だが、形ではなく色の方である。(完)

夏から秋へ--蕎麦っ喰い(3)2012/09/28

 少し間が空いてしまった。今日は蕎麦そのものの話題ではなく、蕎麦っ喰いの「喰い」の部分について考えてみることにする。都内の蕎麦屋の広告に「のど越し、歯ざわり、香り… 蕎麦っ食いを うならせる 蕎麦」というのがあった。「のど越し、歯ざわり、香り…」の三つに惹かれ、感心しながら眺めていると同じ文句が他の場所にもあることに気づいた。但しこちらは「蕎麦っ喰いを」であった。「食い」を「喰い」と口偏を追加するだけで随分と印象が変わるものである。

 口偏があろうがなかろうが、この「そばっくい」という表現には使う人の自嘲が二三分・自尊が七八分くらいは込められているだろう。そんな感じのする言葉である。同じ「くい」でも面食いとなると、選り好み・器量好みの人を指し、男女を問わず顔立ちの美しい人だけを選りに選って好むことの意となる。その点、「そばっくい」の選り好みはどうであろうか。蕎麦にも人間でいうところの器量のようなものがあるのだろうか。

 ところで喰なる文字は漢字ではない。つまり食に口偏を付けたのは他ならぬ我が列島の先人の仕事である。食は器に盛られた「たべもの」の形から始まったとする説があり、食べるという動作を示すのは後のこととされる。先人は、そこに何か一抹の物足りなさを覚えたのかも知れない。こうした日本製文字の仲間には噺、峠、裃、凩、榊、鰯、麿、働などいろいろあるが、いずれの字形も一定の視覚的な特徴を備え何より分かりやすいことが特色である。これらは一般に国字と呼ばれ、大陸製の生っ粋の漢字とは区別している。

 日本製は字形の案出だけに止まらない。例えば口偏に出ると書く咄も国字ではないかと思いたくなるが、文字としては歴とした大陸製の漢字である。ところがこの文字には「はなし」とか「はなす」といった意味は含まれない。原義は叱るとか、驚きの声を発するの意であって、日本で字形だけを流用して使ったのである。このような原義を離れた訓は国訓と呼ばれ、著名な例に鮎がある。日本では「あゆ」専用だが、中国では「なまず」を指す文字として使われている。

 なお日本製の国字には訓はあっても音は最初から存在しない。もし音読みされるものがあれば、必ずそれなりの事情が隠されている。最近のいい加減な字書や字引の中にはそうした事情を調べることなく、勝手に音を付けてしまったものが混じっている。安易な字書づくりが文字の歴史まで歪めていることに注意したい。(つづく)


夏から秋へ--酢橘(すだち)2012/09/25

 今年も徳島県佐那河内村から特産の嬉しい酢橘が届いた。しかもその量たるや半端ではない。地域の八百屋全てに卸してもまだ余りそうなくらい大量だ。とても我が家一軒では消費できない。かつてはどうしたものかと悩んだこともあったが、今は到着を待ち望む大勢の友人・知人がいてあっという間に消えてしまう。栽培の労を執られる方・鋭い棘も厭わず収穫し送ってくださる方の御厚意に深く感謝したい。

 ⇒ http://www.vill.sanagochi.lg.jp/ 佐那河内村


 我が家では届けられるとすぐに仕分けにかかる。特に大事なのが色づき加減と熟し具合だ。青黒いものは、たいてい皮も厚めで保存が利く。黄色みを帯び、つるっとした感じのものは皮が薄く、そのままがぶりと噛んで食べてしまう。これがなかなか美味い。徳島の秋が先ず上顎を撃ち、それから喉へと染み渡ってゆく。十月の末まで毎日、二三個はこうした食べ方を楽しんでいる。熟し始めているのか酸味もさほど強くなく、通の食べ方ではないかと自賛している。

 友人・知人へのお裾分けにもこうした少し黄色みのあるものが適している。どの家でも脂ののった秋刀魚の塩焼きに絞ってかけたり、焼酎の水割りに垂らしたりして三四日のうちには使ってしまうようだ。

 酢橘を切るときは実を横に寝かせて輪切りにする。こうすると袋が二つに切断され、汁が搾りやすくなる。縦に切ってしまうと汁を絞り出すのが難しい。梅酒ならぬ酢橘酒をつくるときも、二つに輪切りした酢橘に氷砂糖を加え三十五度の焼酎に浸しておく。焼酎が綺麗な黄緑色に変わったら実は取り出す。すぐに飲むか、そのまま少し寝かせるか迷うほどの量はつくっていないが、甘ったるさがないので料理の味を損ねることがない。


 酢橘は文字通り「酢」が身上の柑橘類だ。誰が命名したものかは知らぬが、まさに体を表している。ビタミンやカリウムなど豊富な栄養価もレモンの比ではない。近ごろは仮名書き流行りの世の中だから店先に並ぶときも「すだち」や「スダチ」と書かれるが、これでは酢橘の真骨頂は伝わらない。一人でも多くの皆さんに酢橘の味やこの栄養価が知れ渡り、漢字名が使われるよう祈りたい。

  がぶり噛み 喉に染み入る 酢橘の香  まさと

サンパ、ジョウハ、テンパ--大根日記(3)2012/09/12

 この見出しにピンと来る読者は、なかなかの教養人と言えるだろう。漢字で書けば撒播、条播、点播であり、いずれも作物の種子を「まくこと」を表している。前回、前々回の記事では種を「蒔く」と記したが、この文字に「まく」「ちらす」の意をもたせるのは日本だけである。よく知られる「種蒔く人」や「蒔かぬ種は生えぬ」のほか、工芸には「蒔絵」があって日本人には馴染みの深い文字といえる。だが、蒔植(ししょく)の例からも判るように苗の移植が本来の意味である。

 さて、先頭の撒播をサンパと読むのも実は慣用に従っていて撒の正式な音とは相違する。正式にはサッパとすべきだが、文字の印象からかサンパと読む人が多い。辞書にもこれを慣用読みとして掲載するものが多くなった。つまりはそれだけ日本人の漢字力が下がったことを示している。

 この原因は戦後の漢字「改革」にある。撒を使う人には白い目を向け、代わりに散を使うよう奨励した。こうして農業書などの記述にも散播が登場するようになった。だが散の意味は「ちる」や「ちらす」であって、種や水を「まく」ことではない。散水栓も散水車も散播も、文字を大切にする人には実にいい加減な表現と映ろう。公金を使った「文化」政策によって古い歴史をもつ言葉を次々に排除し、妙な新造語の使用を奨励した時代、これが戦後と呼ばれた時代のもう一つの姿である。

 話を元へ戻そう。撒・条・点の三文字はそれぞれ種子の「まきかた」を表している。撒はまんべんなくバラバラとまくこと、条は平行線でも引くように隣の列との間隔をとって真っ直ぐ一直線にまくこと、点は条に似ているが種と種との間隔も一定に保ちながらまくことである。JA京都・企画営農課の芦田さんの説明が分かりやすいので興味のある方にはお勧めしたい。


 芦田さんは難しい漢語の使用を止め、それぞれ「ばらまき」「スジまき」「点まき」と表現している。何より解説が丁寧で行きとどき、かつ論理的でもある。通販業者などが作る、にわか仕立てのページとは違うことがお判りいただけるだろう。


 写真は六日目の様子。箱全体に撒播(ばらまき)したつもりだが、仮に撒播が適切なまき方であったとしても合格点は取れそうにない。それに大根だから、この先どう育てるか思案に暮れるところだ。(つづく)

夏から秋へ--露・つゆ2012/09/07

 今日は二十四節気の白露(はくろ)、昼と夜の長さがほぼ等しくなる秋分・彼岸の中日まであと半月である。昔から「暑さ寒さも彼岸まで」というくらいだから、今年の暑さももう少しの辛抱だ。そして、さらにその半月余り後の十月八日が寒露(かんろ)である。日中は相変わらず暑いが、本格的な秋がすぐそこまで来ている。

 露(つゆ)は朝露や夜露を含め、多くが秋の季題とされる。だが秋の専売特許ではない。例えば「古今和歌集」には僧正遍昭が詠んだ、春の柳に光る白露(しらつゆ)を数珠に見立てた歌が収録されている。

 俳句では異なる季節の露を句にするときは春や夏を冠し、春の露・夏の露というように区別する。また白露(はくろ)と寒露(かんろ)は時候を句にするとき用いる。水蒸気が凝結してできた水滴の描写には漢字表記は同じでも「しらつゆ」が使われるから、声に出して読むときは注意したい。

  野の露に よこれし足を 洗けり  杉風


 多くの俳人が「露」を用いる中で、次の作品は「つゆ」の二文字にこだわった繊細な女性らしい佳句といえよう。

  つゆと云ふ このかなもじの 好きで書く  高田美恵子


◎季節の言葉 筍・竹の子(2)2010/04/18

 グラム○○○円と表示して量り売りする店もあれば、選り取り見取りの均一料金で大量に販売する店もある。どの店にも共通するのは商品名の表示が「筍」ではなく「竹の子」と3文字にしている点である。鶏卵が玉子と書いて販売されるのと似ている。近ごろは客の方でも筍と表示されたのでは読めない人が多いかも知れない。

  筍の秤したゝかに上りけり 田村木国

 筍は竹冠+旬(じゅん)と記すが、旬は他の多くの漢字に先駆けて朝鮮半島経由で日本に伝わった文字のひとつである。勹には「めぐる」の意があり、これと日を組合わせることで甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十干を一巡りする意となり、十日を単位とする数え方に用いられる。上旬、中旬、下旬だけでなく、旬報とか旬刊とか旬日などよく目にする漢字だろう。

 ところで筍という漢字の音(漢音)は「じゅん」ではなく「しゅん」である。しかし旬は日本では「じゅん」が先に音として定着したのでこれを「しゅん」と読む人は少なく、もっぱら慣用音の「じゅん」で通っている。


 興味深いのは、この字が十日の意ではなく野菜や果物や魚などの味が最もよくなる時節の意としても使われることと、その際には慣用音の「じゅん」ではなく本来の漢音である「しゅん」が用いられることである。実は「しゅん」という音には春(しゅん)に通じる響きがあり、春先に芽吹いた柔らかくアクの少ない新芽を好んで食した列島の先人たちの生きる知恵がこの文字に目を止めたのではないだろうか。そして地中からほんの少しだけ頭を出した竹の子こそ、この旬のイメージを象徴する食べ物ではないかと思うのだが考えすぎだろうか。(了)

◆野性味 酸葉の味2010/04/10

 野という漢字は「里+予」と書く。だが古い字形は「林+土」である。この字は野の異体字として今でも名字には使われている。但し埜(や)の字について、これを林があって土が見える(舗装されていない)から郊外や田舎や野原のようなところを指すのだと解するのは適切ではない。それは現代人が考えることであって、古代においては地球上の至るところ海か川か、そうでなければ地面か岩であった。地面には必ず木や草が生えていた。木も草も生えないような場所は水の涸れた砂漠であり、人間は住むことができなかった。

 この字を土の上に木々が生い茂るさまと解するのも妥当ではない。木も草も地面に生えるのは当たり前のことであり、それらの生育に土が必要と考えるのはマンション住まいに慣らされた現代人の悲しい発想でしかない。林の字が示すのは木々が生い茂る未開の土地、土が示すものは木々を切り倒して耕した土地と考えるのが妥当だ。これら二つを合わせもつところを「や」と呼び、埜と書き表したのである。音の「や」は土(しゃ)から出ている。

 つまり野といえども人の気配が必要であり、人跡未踏の地や無人の場所は野の範囲には入らない。野の字に、人家が集まる小さな集落としての里の字を用いたことが何よりの証拠と云える。さらに、音符を兼ねる旁の予が人家を表す舎(しゃ)から来ていることにも注意したい。総じて野とは人は住んでいるが開化の進んでいないところ、人が住んでいても自然の状態がそのまま残っているところを指していて、田舎や粗野や民間などの意はこれから転じたものである。

 例えば野趣という言葉には人の手の加わらない自然のままの状態を彷彿とさせるさまを云う場合と、田舎を想像させるような鄙びたさまを云う場合の二通りの意がある。後者は前者から転じたものであろう。野性も日本では人間というより動物に近い、教育を受けることのない粗野な性質を示す言葉として使われているが、漢詩には静かな田園での暮らしを楽しむ心を指す表現として用いたものもある。日常よく目にする言葉や文字であっても時には辞書を開いて、その意味や用法に触れておくことが肝要であろう。


 写真はタデ科の多年草酸葉(すいば)を撮したものである。一般にスカンポと呼び慣わされている野草で、今頃のものは食用にもされる。茎や葉を噛んだときの野性味あふれる酸っぱさを思い出す人もいることだろう。

◎言葉の詮索 縁結び(2)2010/04/07

 漢字の縁は漢音では「えん」と読みますが、訓読みでは「ふち」とか「へり」とするのが一般的です。どちらも昨日説明した端っこの意です。日本語ではこのように同一またはよく似た内容の事柄に対して幾つもの言い方や表現のあることが少なくありません。その場合、それぞれの意味に対応する漢字のあるときは使い分けも可能ですが、ないときは同じ漢字を宛てて読み分けることになります。

 縁にはほかにも「えにし」「ゆかり」「よすが」といった訓も使われています。このうち「えにし」は漢語の縁に副助詞の「し」が付いたものだと云われています。これは「いつしか」「おりしも」などというときの「し」と同じ働きをする助詞で、副詞に似た機能をもっています。「えんし」では言いにくいので「えにし」に変わったのでしょう。意味は縁結びの縁と同様に男女間の繋がりを表しています。

 これに対し「ゆかり」は生地、学校、勤務先など何らかの繋がりや関係があることを示す言葉です。親戚関係についても用いられます。また「よすが」は古くは「よすか」と濁らない言い方が一般的でした。文字にするときは「寄す処」と記します。拠り所や頼りの意ですが、漢字の縁を宛てるのはそれが人の場合です。特に夫、妻、子など互いの関係が深く、従って頼りにもなる人を指しています。単なる拠り所の意味で使うときは縁は使いません。


 縁を結ぶということは決して一時的な男女の関係を築くことではありません。人類にとっては社会の永続性を確実にするために、その源をつくることを意味する言葉です。また一人ひとりの人間として見た場合は、生涯をともに手を取り合って一緒に生きてゆくための相手を決めることであり、さらに末の頼みをつくるための伴侶を選ぶことでもあるのです。(つづく)

◎言葉の詮索 縁結び(1)2010/04/06

 縁という漢字は正字では糸偏に彖(たん)と書きます。糸偏は織物を表し、彖には端(はし)の意があります。つまり布の端っこが原義です。この端をもって他の布の端と結んだり端と端を縫い合わせれば、より長い布・大きな布とすることができます。一枚の布だけでは端っこに過ぎなくても他の布と繋ぎ合わせるときには、この端っこが重要な役目をするわけです。

 ところで人間(ヒト)は群れて暮らす動物です。年齢も身体の大きさも力の強さも好みも違う老若男女が社会という群れをつくって生活しています。群れの中で生まれ、寿命が尽きると死に、残った者がその亡骸を弔います。子どもが生まれるためには成熟した若い男女が他の哺乳類と同様に交わり、女性は母となって新しい命を誕生させることが必要です。


 一方、男性もニホンザルのような単なるオスとしての役割だけを負っていてはヒトの社会は成立ちません。伴侶となった女性を助け、住まいや食料を確保し、子どもを安全かつ確実に成人させる重要な役目を負っています。次の世代の担い手が育つまで常に見守り続ける必要があるのです。

 これが父性と呼ばれるものです。従来のサル社会には見られなかった父性の誕生・獲得がサルの群れに継続的な夫婦という結合を生み出し、結合の結果でもある子どもを含めた家族がヒト社会とサル社会とを分ける最も重要な差となったのです。若い皆さんには、この点をしっかりと自覚して伴侶探しに望んで欲しいと思います。(つづく)