敬老の日・祝日法--大根日記(5)2012/09/18

 さて私的な話題はこれくらいにして、話を本題に戻そう。敬老の日というのは「国民の祝日に関する法律」によって定められたものである。この法律は昭和23年(1948)7月に制定され、一般には祝日法とか国民祝日法と呼ばれている。制定当時の祝日は元日、成人の日、春分の日、天皇誕生日、憲法記念日、秋分の日、文化の日、勤労感謝の日の計8日である。残りの7日はその後の改正によって追加された。

 この法律は全3条から成る簡単なものだが、第3条だけは当初の「「国民の祝日」は、休日とする。」という至って簡潔な条文に、何遍読んでも理解できない2と3の二つの追加がなされ難解な内容に変わってしまった。これらは次のページで容易に確認できるから是非ご覧いただきたい。

 ⇒ http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO178.html 昭和23年7月20日法律第178号

 第1条ではまず法律制定の目的に触れ、「自由と平和を求めてやまない日本国民」が「美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるため」と述べている。制定当時の時代的な雰囲気を感じさせる文言である。また、そもそも「国民の祝日」とはなんぞやという点については「国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日」であると説明している。

 次に第2条では具体的な祝日をおおむね月日順に列挙し、その内容を簡単に述べている。それらの全てを今ここで取り上げる余裕はないが、全てが上記の3種類に収るような内容・説明であるかは疑わしい。例えば体育の日、あるいは文化の日はそれぞれの説明を読んでも祝う・感謝する・記念するのいずれに該当するものか判然としない。また春分の日と秋分の日の説明の差も庶民の感覚とは明らかに異なっている。とても第1条にいう「美しい風習を育てつつ」を考慮した説明には思えない。

 いろいろ言い出すときりがないのでこの辺で止め、本日のテーマである「敬老の日」に絞ると、この日は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。」と記されている。但しこの日は後の改正によって追加されたもので、昭和23年の法律制定当初から存在した祝日ではない。制定に先立つ同年2月3日の衆議院文化委員会で行なわれた祝祭日に関する最初の審議経過を振り返っても、敬老を伺わせるような表現や9月中旬の候補日は見あたらない。

 この日が追加されたのは祝日法最初の改正となった昭和41年(1966)6月のことである。何かと物議を醸(かも)した建国記念の日、10月10日と定められた体育の日と同時期の追加であった。因みに前年昭和40年の日本の人口構成を見ると、65歳以上が占める割合は6.3%でしかない。生産年齢と呼ばれる15~64歳が68.0%、14歳以下の年少人口も25.7%を占めていた。そういう活力溢れる時代の「敬老の日」であった。

 以来50年近く、日本の人々は右肩上がりの経済成長を信じ、自分はまだ十分に若い・働けると信じ、加齢には医療技術や製薬技術や美顔術などで抗(あらが)いながら、ひたすら消費に邁進した。そして、次の世代を生み育てる努力を怠ってしまった。これが、当初9月15日としていた敬老の日を平成13年(2003)6月の改正で9月の「第三月曜日」に切り替え、同様に1月15日の「成人の日」を1月の「第二月曜日」に切り替えた便宜主義的行動と通底することは容易に想像がつく。

 もはや「その日」に対するこだわりだけでなく、「国民こぞつて」感謝する・祝うといった意識までもが薄れてしまったのではないか。単に休日を増やすための方便に、これらの日が体よく利用されたに過ぎない。海の日や体育の日にしたところで似たようなものであろう。東日本大震災後、急速に広まった原発に対する不安も、もしかしたら「きずな」という言葉もこれと似たようなものかも知れない。これが日本文化の有り様だとしたらあまりにも寂しい。