オクラ(夏野菜)--ヒロ田中さんからの手紙2012/09/02

 ブログの中断が28ヵ月を超えた。理由は触れないが、いぶかしく思われた方、写真の手配でお困りになった方など少なからぬ方々に影響を及ぼしたことも確かだ。つい先日まで何も知らずに過ごしていた。今となっては不明をお詫びするしかない。

 だが、この間ずっと気にかかっていたのは米国在住・ヒロ田中さんのことである。ヒロさんが小生のオクラの記事に目を止められ、ご自分の体験や彼の地の調査で判明したことなどをわざわざお知らせくださったのはブログが中断する少し前、ちょうどお彼岸の終りだった。

 日本はまだオクラの季節には早かったので「夏が来たら公開して、せっかくの知見を多くの方に知ってもらいましょう」と約束したところで中断となってしまった。我ながら全く不甲斐の無いことをしたものである。

 では前口上はこのくらいにして、以下にヒロ田中さんのご教示を転載する。長文なので切りのよいところで2つに分け、それぞれ見出しを付けた。略地図の赤い印は米国に移住したヒロさんがオクラと遭遇するテネシー州メンフィスの位置である。

米国テネシー州メンフィス


(1)米国にもオクラがあった ?!

たまのまさと 様

 北カロライナ州シャーロット在のヒロ田中と申します。南部生活約30年になります。オクラに関する文章を楽しく読ませていただきました。

 ⇒ http://atsso.asablo.jp/blog/2009/09/05/4563736 オクラ(2)--夏野菜

 時効ですから言ってしまいますが、1981年の夏までオクラは日本独特の季節野菜だと思っていました。夏の料理屋や居酒屋などで出されるあのシャキシャキ、ヌルヌルの突き出し。とりわけ旨いものとは思いませんでしたが、ビールが旨い夏が来ると枝豆などとともに懐かしく響くコトバでした。

 米国南部の女性と結婚したので、強い南部訛りの親戚が大勢できました。大所帯の家族にとっては初めての日本人ということで、毎週末、時にはウィークデーにも晩御飯に呼ばれ、あのヘビーなサザン・フードを食べさせられました。東京の味覚に慣れていた自分にはかなりの舌覚ショックでした。

 さて、東京から遙々メンフィスへ移住して来たその夏、大所帯の晩御飯の支度に掛かったブロンドの義母が紙袋を私に手渡しながら「庭の、ほら、あそこに生えているオークラをいっぱいもいできて。」と言ったものです。なにか庭に生えているものを「もいできてくれろ」と言うのですが、キッチンの窓から見渡すと、トマトやズキーニなどと並んで大きな葉の何かが生えているのは見えても、それが何であるか見当が付きません。

オクラの畑

 そこで、庭の片隅のその場所まで行き、ランダムに栽培されている植物を一目見て驚きました。それは、オが強く発音されるオークラであり、ぼくの目には日本のオクラだったのです。かなりの文化的衝撃でした。米国南部、しかもミシシッピの深南部で人生の大半を生きてきた彼女には、日本にもオクラがあることなど知る由もありません。

 その日の晩御飯は定番キャットフィッシュのフライだったので、とてつもなく大量のオークラは1センチくらいの長さにカットされ、コーン・ミールに塗(まぶ)され、コーン・オイルでフライにされて食卓に並びました。

 移住したメンフィスとケイジャン文化のメッカ、ニューオーリンズは車でたったの5時間の距離でしたから、音楽と食体験のためよくルイジアナへ南下しました。おかげで何種類かのクリオール/ケイジャン料理のレパートリーが増えました。(つづく)