○狐の剃刀(1)--野の草花2009/09/26

 狐が剃刀(かみそり)を使うかどうかは知らない。だが狐の顔に髭があることは確かだ。昔、竹田津実さんの写真で見たことがある。「アニマ」という動物雑誌があって、キタキツネの写真集も出ていた。

 キツネノカミソリは植物である。それも、先日来話題にしている彼岸花の仲間である。根元と茎を見ただけでは間違えそうなくらいよく似ている。だが開花の時期が違う。彼岸花より一月ほど早く咲く。花の色は朱色の強いもの、黄色がかったものを図鑑では見るが、今のところ実物で見ているのはもっぱらこの薄桃色に限られている。(つづく)

○獣除け--実りの秋2009/09/26

 いま鳥獣害に悩まされているのは都会の農家だけではない。中山間地と称される山あいの集落でも猿、鹿、猪、狢(むじな)などの食害に脅かされている。しかも対策の有効な決め手がない状態が続いている。集落全体を牧場のように金網で囲ったところまである。それでも猿の群れはやって来る。鹿は柵を跳び越えるし、猪も隙を見つけて入り込む。狢を防ぐ手はない。
 写真の風景はまだ秋の彼岸前の、朝露が残る時間帯の棚田を山の裾の方から見上げたものである。右手前方の山の端に、ちょうど朝日が昇ったところである。斜めの光が初秋の朝の爽やかな空気を感じさせてくれる。写真とはまさに光の力の表現であることを教えてくれる。
 しかし気になることもある。右側の土手には網の目が見えるし、テープも光っている。これらは害獣が田圃に入り込まないよう耕作者が設置したものだが、気休めにしかならないという。実際この朝、猪が入り込んで田圃中を転げ回った跡が見つかっている。それでも何もしないよりは増しではないか。そう考えて、今年も周りに網を張ったそうである。テープは雀除けとのことだった。

○秋茄子(3)2009/09/26

 俗諺(ぞくげん)とか俚諺(りげん)と呼ばれるのはある地域において、その意味が多くの人々に共有されている諺(ことわざ)のことである。その諺を聞いた人、見た人が共通に抱く印象・感じる意味合いがあって初めて俗諺や俚諺となる。しかしその印象・意味合いを他の地域の人々と共有できるかどうかは分からないし、共有できるという保証も日本には明治期に至るまで存在しなかった。日常語ですら十分には通じかねる状況だった。

 だからこの問題を解くためには、ある地域において秋茄子というものが人々にどのように受け止められていたか、理解されていたかを知らなければならない。また嫁というものを舅や姑がどのように考えていたかも知る必要がある。そういう作業を省いて今日的な一般論だけで俗諺や俚諺の解説を行ったり、理解しようとするのは適切ではない。

 しかし日本の辞書には、それ以前の水準にあるものが少なくない。地域差以前の、単純な事象についての事実確認すら怠っているのである。その最たる例を挙げよう。「秋茄子には種子がない」から嫁に食わすのは縁起が悪い、気が引けるといった類の記述がこれに当たる。無茶を言ってはいけない。秋茄子は一名、種採り茄子とか種茄子と呼ばれるほど種子の粒々が大きく育ち、実が割れたり弾けて種子の露出したものも少なくない。種子がないのは初夏の頃の成長が極めて早い時期に収穫する茄子のことであって、秋茄子とは全く時期が異なっている。敢えて書名は挙げないが、日本にはこの手の大辞書が多すぎる。(了)

  背負籠の底に乏しや秋茄子 鮫島交魚子